転職すると給与が上がる。
より専門性の高い仕事ができる。
希望する地域で働ける。
それでも転職をためらう理由の一つになるのが退職金です。
従来型の退職金制度には、勤続年数が長くなるほど支給額が大きく増える仕組みが多くあります。
さらに自己都合で途中退職すると、定年退職などより支給額が少なくなる制度もあります。
そのため、
今転職すると将来もらえる退職金が減ってしまう
という意識が働きます。
退職金は社員の老後を支える制度であると同時に、社員を会社につなぎ留める役割も果たしてきました。
人材流動化が進む現在、この仕組みが改めて問われています。
勤続年数と退職金は深く関係している
従来型の退職金制度では、勤続年数が重要な要素になります。
代表的なのが、
退職時の基本給掛ける勤続年数などに応じた支給率
によって退職金を計算する仕組みです。
最近ではポイント制を導入する企業もありますが、長期間勤務するほど退職金が増えるという基本的な考え方は珍しくありません。
たとえば勤続10年の社員より勤続20年の社員。
勤続20年の社員より勤続30年の社員。
というように、長く働くほど退職金が増えていきます。
退職金は単なる退職時の一時金ではなく、長期勤続へのインセンティブとして機能してきたのです。
単純に勤続年数に比例するとは限らない
重要なのは、退職金が勤続年数に単純比例するとは限らないことです。
仮に勤続10年で500万円なら、
勤続20年で1000万円
勤続30年で1500万円
になるとは限りません。
長く勤務するほど支給率が高くなる制度なら、後半になるほど退職金の増え方が大きくなることがあります。
たとえばイメージとして、
勤続10年で300万円
勤続20年で800万円
勤続30年で1600万円
勤続40年で2500万円
というような設計も考えられます。
この場合、勤続30年から40年までの10年間だけで退職金が900万円増えます。
すると勤続30年の社員は、
あと10年働けば退職金が大きく増える
と考えます。
これが転職をためらわせる要因になります。
なぜ長期勤続者を優遇するのか
企業が長期勤続者ほど退職金を厚くするのには理由があります。
社員に長く働いてもらいたいからです。
企業は社員を採用すると、
採用費
新人研修費
専門教育費
配置や育成のコスト
などを負担します。
経験を積んだ社員がすぐ転職してしまえば、会社は再び人材を採用して教育しなければなりません。
そこで、
長く働けば退職金が大きくなる
という制度を設けることで社員の定着を促します。
退職金には人材を会社につなぎ留める機能があるのです。
自己都合退職とは何か
退職理由によって退職金額が変わる制度もあります。
代表的なのが自己都合退職です。
社員自身の事情で会社を辞めるケースです。
たとえば、
転職
独立
家庭の事情
などによる退職が考えられます。
一方、定年まで勤務した場合や会社都合による退職などについて、異なる支給率を設けている会社もあります。
具体的な支給条件は会社の退職金規程によって異なります。
そのため転職するときには、
現在までに積み上がった退職金はいくらか
だけではなく、
今辞めた場合に実際にいくら支給されるのか
を確認する必要があります。
自己都合退職で支給率が低くなることがある
たとえば退職金の基礎額が1000万円まで積み上がっていたとします。
しかし自己都合退職の場合に一定の支給率が設定されている制度なら、実際の支給額が1000万円より少なくなることがあります。
一方、定年まで勤務すれば、より高い支給率が適用される場合があります。
社員からすると、
今辞めると現在の退職金が減る
だけではありません。
さらに、
将来増えるはずだった退職金も受け取れなくなる
という二つの影響があります。
これが転職判断を難しくします。
転職による不利益は二つに分けて考える
退職金と転職の関係を考えるときには、不利益を二つに分けると分かりやすくなります。
一つは現在の退職による影響です。
自己都合退職などによって、現在受け取れる退職金が少なくなる可能性があります。
もう一つは将来の増加分を失うことです。
今の会社であと10年働けば退職金が1000万円増える予定だったとしても、転職すればその増加分は基本的に得られません。
転職によって失う可能性があるのは、
現在までの退職金
だけではありません。
今後会社に残ることで得られたはずの退職金も含まれます。
年収が上がっても転職が得とは限らない
たとえば50歳の社員が転職を考えているとします。
現在の年収は800万円。
転職先から年収900万円を提示されました。
年収は100万円増えます。
60歳まで10年間働けば、単純計算で給与は1000万円増えることになります。
これだけなら転職した方が有利に見えます。
しかし現在の会社に残れば退職金が2000万円。
今50歳で退職すると1000万円。
転職先には退職金がほとんどない。
という条件ならどうでしょうか。
現在の会社に残ることで増える退職金1000万円も比較する必要があります。
年収だけでは転職の経済的な損得を判断できないのです。
転職先の退職金もゼロから始まることがある
転職すれば、新しい会社でも退職金制度の対象になる場合があります。
しかし中途入社の場合、勤続年数は原則として新しい会社へ入社した時点から始まります。
40歳で転職して60歳まで働けば勤続20年です。
新卒から60歳まで約40年間働く社員とは勤続年数が大きく違います。
長期勤続者ほど退職金が有利になる制度では、中途採用者が同じ年齢の生え抜き社員と同じ退職金を受け取れるとは限りません。
そのため中途採用を増やしたい企業にとって、従来型退職金制度が採用上の弱点になることがあります。
高度専門人材ほど退職金を魅力に感じにくい場合がある
たとえば40歳の高度専門人材を外部から採用するとします。
その人に会社が、
30年以上勤続すると退職金が大きく増えます
と説明しても、あまり魅力的ではないかもしれません。
40歳から30年間勤務すれば70歳になります。
本人は5年後や10年後に再び転職する可能性もあります。
それなら、
現在の基本給を高くする
成果に応じた報酬を増やす
毎年企業型DCへ掛金を拠出する
といった制度の方が魅力的に見える場合があります。
人材流動化が進むほど、将来の長期勤続を前提とした報酬より、現在の仕事に対して報酬を支払う制度が求められやすくなります。
退職所得控除も勤続年数と関係する
退職金そのものだけでなく、税制にも勤続年数が関係します。
退職所得控除は原則として勤続年数を基礎に計算します。
勤続年数20年以下なら、
40万円掛ける勤続年数
です。
20年を超えると、
800万円プラス70万円掛ける20年を超えた勤続年数
となります。
たとえば勤続40年なら原則2200万円です。
長期間勤務するほど退職所得控除も大きくなります。
そのため従来型の退職金制度と退職所得課税の双方に、長期勤続との結びつきがあります。
転職すると退職所得控除がすべて無駄になるわけではない
ただし、
転職したら退職所得控除が全部なくなる
という意味ではありません。
退職金を受け取るときには、それぞれの退職手当等に対応する勤続期間などをもとに税務上の取り扱いを判断します。
また企業型DCやiDeCoなどの老齢一時金も退職所得として扱われる場合があります。
複数の退職金や老齢一時金を一定期間内に受け取る場合には、勤続期間などの重複に応じて退職所得控除の調整が行われることがあります。
働く会社が増えるほど、老後資金の受け取り方も複雑になります。
転職回数だけで単純に有利不利を判断することはできません。
企業型DCは人材流動化と相性がよい
従来型退職金の弱点を補う仕組みの一つが企業型確定拠出年金です。
企業型DCでは、会社が一定額の掛金を拠出し、社員自身の年金資産として積み上げていきます。
転職するときには、一定の要件のもとで転職先の企業型DCやiDeCoなどへ資産を移換できます。
つまり、
長く勤務しなければ大きな退職金にならない
という仕組みとは考え方が違います。
毎年拠出された資産が積み上がっていくため、転職を前提とした働き方との相性がよい面があります。
退職金は悪い制度なのか
人材流動化の観点だけを見ると、従来型退職金は転職を妨げる制度に見えます。
しかし長期勤続を促すこと自体が悪いわけではありません。
会社には、
長期間かけて専門技術を育てたい
社内固有のノウハウを蓄積したい
顧客との長期的な関係を築いてほしい
技能を次の世代へ継承してほしい
という事情があります。
こうした企業では、社員に長く働いてもらうことに大きな価値があります。
その場合、長期勤続者を退職金で優遇することには合理性があります。
重要なのは、会社がどのような人材戦略を取るのかです。
退職金を増やす企業もある
すべての企業が退職金を縮小しているわけではありません。
人手不足が深刻な業界では、逆に退職金を増やして社員の採用や定着につなげようとする企業もあります。
元の記事で紹介された仙台市の総合建設会社橋本店は、2026年1月に退職金の算定方法を改定しました。
大卒社員が60歳で退職する場合のモデル退職一時金を、従来の約1300万円から最大2000万円へ引き上げました。
約5割の増額です。
建設業では人手不足が大きな課題です。
そこで、
長く働けば手厚い退職金を受け取れる
という制度を採用や人材定着に活用しているわけです。
退職金を減らす企業と増やす企業が同時に存在するのは、人材戦略が違うからです。
転職では失う退職金も計算する
転職を検討するときには、転職先の年収だけを見るのでは十分ではありません。
現在の会社について、
今辞めた場合の退職金
定年まで働いた場合の退職金
今後増える企業年金
などを確認します。
転職先についても、
基本給
賞与
退職金
企業型DCの会社掛金
企業年金
福利厚生
などを確認します。
そのうえで、今後10年、20年の生涯報酬を比較します。
転職によって年収が上がっても、失う退職金が大きければ経済的なメリットは小さくなることがあります。
反対に退職金を失っても、それ以上に給与や企業型DCの掛金が増えるなら、転職した方が有利になる可能性があります。
結論
退職金が転職を妨げることがあるのは、従来型の制度では長く同じ会社に勤めるほど有利になる仕組みが多いからです。
勤続年数が長くなるほど退職金が増える。
一定の場合には自己都合退職によって支給額が低くなる。
さらに会社に残れば将来の退職金が大きく増える。
こうした仕組みが重なると、
転職したいけれど退職金がもったいない
という状況が生まれます。
退職金は老後資金であると同時に、企業が社員の長期勤続を促す人事制度でもあるのです。
一方、人材流動化が進むと、この仕組みが中途採用の障害になることがあります。
そこで企業型DCのように、転職しても老後資産を持ち運びやすい制度へ移行する企業も出てきます。
反対に、人材を長期間定着させるため退職金を増額する企業もあります。
つまり、
退職金を減らすのが新しい会社
退職金を増やすのが古い会社
という単純な話ではありません。
どのような人材を採用し、どれくらい長く働いてもらいたいのかによって最適な制度は変わります。
社員が転職を考えるときにも、年収だけを見るのでは十分ではありません。
今辞めれば退職金はいくらなのか。
残れば将来いくらになるのか。
転職先にはどのような退職金や企業年金があるのか。
そこまで含めた生涯報酬を比較することで、初めて転職の本当の経済的な損得が見えてくるのです。
参考
日本経済新聞 2026年8月31日夕刊 退職金、なくなるの? 人材流動化で見直しも