円安が進むと、輸入物価の上昇によって家計の負担は重くなります。
ところが、その円安によって大きな利益が生じる政府の会計があります。
外国為替資金特別会計です。
いわゆる外為特会です。
外為特会が保有する米国債などの外貨資産は、円安になるほど円換算した評価額が大きくなります。
2025年3月末時点では、外為特会の為替換算差損益は50兆円を超える規模になっています。
これだけを見ると、
「50兆円もの利益があるなら、その一部を消費税減税の財源に使えばいいのではないか」
と思うかもしれません。
しかし、この50兆円は政府が自由に使える現金ではありません。
外為特会の仕組みを理解すると、なぜ巨額の含み益をそのまま減税財源にできないのかが見えてきます。
外為特会とは何か
外国為替資金特別会計は、政府が外国為替市場への介入などを行うための特別会計です。
日本政府は巨額の外貨準備を保有しています。
その中心となっているのが米国債などの外貨建て資産です。
日本政府がこれほど多くの外貨資産を持っている背景には、過去に繰り返してきた為替介入があります。
典型的なのが円高を抑えるための円売りドル買い介入です。
政府が円を売ってドルを買い、そのドルで米国債などを購入します。
こうした介入を長年繰り返した結果、外為特会には巨額の外貨資産が積み上がりました。
つまり、外為特会は政府の投資ファンドとして利益を稼ぐためにつくられたものではありません。
為替相場の急激な変動に対応するための政策手段なのです。
なぜ円安になると含み益が増えるのか
外為特会が持っている資産の多くはドル建てです。
そのため、円安になると円換算した資産価値が大きくなります。
例えば、政府が1ドル100円のときに100億ドルの資産を持っていたとします。
円換算すると1兆円です。
ところが為替相場が1ドル150円になると、同じ100億ドルでも円換算額は1兆5000億円になります。
ドル建て資産そのものが増えたわけではありません。
為替レートが変わったことで、円で評価した金額が5000億円増えただけです。
これが為替換算による含み益です。
外為特会では、このような円安による評価額の増加が積み重なり、2025年3月末時点の為替換算差損益は50兆円を超える規模になっています。
ただし重要なのは、これは基本的に評価上の利益だということです。
50兆円の含み益は50兆円の現金ではない
ここが外為特会を考えるうえで最も重要なポイントです。
50兆円の含み益があるからといって、政府の銀行口座に50兆円の現金が余っているわけではありません。
例えば、1000万円で購入した株式が2000万円になったとします。
この場合、1000万円の含み益があります。
しかし株を売却しなければ、1000万円の現金を自由に使うことはできません。
外為特会も基本的には同じです。
米国債などの外貨資産を保有したままであれば、円安によって評価額が増えても、それだけで一般会計の歳入になるわけではありません。
含み益と実際に使える財源は分けて考える必要があります。
含み益を実現するには外貨資産を売る必要がある
外貨資産の含み益を実現するには、基本的には外貨資産を売却する必要があります。
為替介入で考えれば、円買いドル売り介入です。
政府が保有しているドルなどを売り、その代わりに円を受け取ります。
これによって外貨資産の一部が円に変わります。
しかし、ここで別の問題が出てきます。
外為特会が保有している外貨資産には、その取得のために調達した負債が存在するからです。
外為特会には約97兆円の政府短期証券がある
過去に政府が円売りドル買い介入を行ったとき、政府は何もないところから円を用意したわけではありません。
政府短期証券を発行して円資金を調達し、その円を売ってドルを購入してきました。
つまり外為特会のバランスシートを見ると、
外貨資産
だけではなく、
政府短期証券という負債
も存在します。
その残高は約97兆円に達します。
このため、円買い介入によって外貨を売却して円を手にした場合、その円は政府短期証券の償還に充てるのが原則です。
単純に一般会計へ移して社会保障や減税に使えるわけではありません。
資産だけを見て「政府には100兆円を超える外貨資産がある」と考えると、政府の財政余力を過大評価してしまいます。
資産と負債をセットで見る必要があります。
円買い介入をすれば50兆円の利益が出るわけではない
もう一つ誤解されやすいのが実現益の計算です。
過去に1ドル100円でドルを買い、現在1ドル150円なら、
「1ドルにつき50円の利益が出る」
と考えたくなります。
しかし外為特会の売却益は、このような単純な計算ではありません。
会計上の評価額との関係で売却損益が計算されるため、過去の介入時点と現在の為替レートとの差額が、そのまま利益として計上されるわけではありません。
したがって、50兆円を超える為替換算差益と、一般会計で利用できる財源を同一視することはできません。
実際に財源として重要なのは特会剰余金
それでは外為特会から一般会計へお金を移すことはできないのでしょうか。
実際には行われています。
重要なのが外為特会の剰余金です。
外貨資産からは利子などの運用収入が発生します。
そこから必要な経費などを差し引いた剰余金の一部は、一般会計へ繰り入れられています。
近年では年5兆円程度の規模で推移しています。
このため消費税減税の財源を考える場合、50兆円を超える含み益よりも、毎年度発生する外為特会の剰余金をどこまで一般会計へ繰り入れるのかという議論の方が現実的です。
ただし、これにも限界があります。
外為特会の剰余金を全部使えばよいわけではない
外為特会は一般的な貯金箱ではありません。
為替介入などに備える政策的な会計です。
剰余金を一般会計へ大量に移せば、外為特会内部に残る財務的な余力が小さくなります。
さらに問題なのは、恒久的な減税を不安定な収入で賄うことです。
外為特会の収益は為替や金利などの影響を受けます。
毎年必ず同じ金額が生まれる保証はありません。
一方、消費税率を引き下げれば、税収減は制度が続く限り発生します。
不安定な収入で恒常的な歳出や減税を賄えば、将来その収入が減ったときに財源不足が発生します。
これは財政運営の安定性という点で大きな問題になります。
日本の外貨準備は本当に多すぎるのか
一方で、日本の外貨準備そのものを見直す議論には一定の意味があります。
日本の外貨準備は過去の円売り介入などによって長期間にわたり積み上がってきました。
その規模は名目GDPと比較しても大きなものです。
さらに日本の外貨準備は米国債などに大きく偏っています。
そのため、
どれほどの外貨準備が本当に必要なのか
米国債への集中は適切なのか
外貨準備の運用方法を見直すべきではないか
といった議論はあってよいでしょう。
ただし、
「外貨準備が多すぎるかもしれない」
という議論と、
「外貨準備を売って減税財源にする」
という議論は別問題です。
日本が米国債を売れば世界市場にも影響する
日本は世界でも最大級の米国債保有国です。
その日本が外為特会の資産を大規模に売却すれば、日本国内だけの問題では済みません。
大量の米国債が売られれば、米国債価格が下落し、米長期金利の上昇圧力になる可能性があります。
米国金利の上昇は世界の金融市場にも波及します。
さらに米金利が上昇すれば日米金利差を通じて円安圧力が強まる可能性もあります。
つまり、
円安によって膨らんだ外為特会の利益を使うために米国債を売却する
米金利が上昇する
円安圧力が強まる
という逆方向の作用が生じる可能性があります。
政策は一つの会計だけを見て判断することができません。
金融市場全体への影響を見る必要があります。
消費税減税の財源問題は消えない
2027年度から2年間、飲食料品の消費税率を8%から1%へ引き下げる場合、必要となる財源は10兆円規模とされています。
外為特会には巨額の資産があります。
50兆円を超える為替換算差益もあります。
毎年数兆円規模の剰余金も生まれています。
そのため財源候補として注目されるのは自然です。
しかし、
含み益
実現益
剰余金
一般会計への繰入金
はそれぞれ意味が違います。
これらをすべて「政府が自由に使える利益」と考えてしまうと、財政の実態を見誤ります。
特に一時的な資産売却や特別会計からの資金移転によって減税を実施しても、税収そのものが減少するという問題は残ります。
財源問題を解決したことにはなりません。
結論
外為特会には100兆円を超える有価証券があり、円安によって50兆円を超える為替換算上の含み益が生じています。
数字だけを見ると、巨額の余裕資金が政府に眠っているように見えます。
しかし外為特会は政府の貯金箱ではありません。
過去の円売り介入では政府短期証券を発行して資金を調達しており、外為特会には約97兆円の政府短期証券という負債もあります。
また、50兆円を超える為替換算差益は、そのまま50兆円の現金として使えるわけではありません。
外貨資産を売却すれば米国債市場や為替市場にも影響します。
外為特会の規模や外貨準備の運用方法を見直す議論と、外為特会を減税財源として利用する議論は分けて考える必要があります。
減税の財源を考えるときに重要なのは、政府がどれだけ資産を持っているかだけではありません。
その資産の裏側にどのような負債があり、その資金が何の目的で保有され、継続的な財源として利用できるのかを見ることです。
巨額の含み益があることと、巨額の財源があることは同じではないのです。
参考
日本経済新聞 2026年8月29日 朝刊 「外為特会で減税」は悪手