円安が急速に進むと、政府と日本銀行による円買いの為替介入が注目されます。
政府が巨額のドルを売って円を買えば、外国為替市場では強い円買い需要が発生します。
実際、今回の記事では、政府と日銀が2022年から2024年に計7日間介入した際の円買い額は1日当たり平均約3兆5000億円だったとされています。
数兆円規模の円買いですから、短期的には為替相場を大きく動かす力があります。
一方で、家計や企業も円から外貨へ資産を移しています。
2026年4月から6月期の外貨預金の増加額は前年同期比で約4兆円となりました。
さらに海外株式や投資信託への投資、企業による円転の見送りなどもあります。
ここで重要なのは、政府の為替介入と民間の資金移動では時間軸が違うことです。
政府は特定の日に巨額の円を買います。
家計や企業は毎日、毎月、継続的に資産配分を変えていきます。
円安が止まりにくい理由を考えるには、介入の金額だけでなく、民間の資金がどの方向へ、どのくらい長く動き続けるのかを見る必要があります。
円買い介入とは何か
円買い介入とは、急激な円安などに対応するため、政府が外国為替市場で外貨を売って円を買う取引です。
日本では為替介入を決定するのは財務大臣で、実際の市場での取引は日本銀行が財務大臣の代理人として行います。
例えば政府が保有するドルを売却し、その代わりに円を購入します。
市場から見れば、
ドル売り
円買い
が大量に発生します。
通常の市場参加者による取引よりはるかに大きな金額を短時間で売買することがあるため、介入直後には円相場が大きく円高方向へ動くことがあります。
円安の勢いが非常に強い局面では、市場参加者に対して政府の強い姿勢を示す効果もあります。
為替介入は日本銀行の金融政策とは違う
為替介入については、日本銀行が円安を止めるために円を買っていると思われることがあります。
しかし為替介入と日本銀行の金融政策は別の仕組みです。
為替介入を実施する権限を持つのは財務大臣です。
日本銀行はその代理人として実務を担います。
一方、政策金利などを決める金融政策は日本銀行自身が決定します。
したがって、
政府による為替介入
日本銀行による金融政策
は区別して考える必要があります。
もっとも、為替市場では両方が重要です。
政府が円買い介入を行っても、日本と海外の金利差など円安を生み出している要因が残れば、再び円安方向へ動く可能性があるからです。
政府による円買いはどれくらい大きいのか
為替介入では、一日で数兆円規模の取引が行われることがあります。
今回の記事によれば、2022年から2024年に政府と日銀が計7日間介入した際の円買い額は、1日当たり平均約3兆5000億円でした。
仮に1ドル150円とすると、3兆5000億円は単純計算で約230億ドルに相当します。
これだけのドル売り円買いが短期間に集中すれば、市場へのインパクトは大きくなります。
さらに市場参加者は、
再び介入が行われるかもしれない
と警戒します。
円を売っていた投資家が取引を縮小したり、利益確定のために円を買い戻したりすれば、政府による直接的な円買い以上に相場が動く場合があります。
介入には金額そのものだけでなく、市場参加者の行動を変える効果もあるのです。
家計の円売りとは何か
一方、民間でも円から外貨へ資金が動いています。
例えば個人が100万円の円預金を米ドル預金へ移せば、経済的には円を売ってドルを買う取引になります。
一人の100万円は為替市場全体から見れば小さな金額です。
しかし多数の家計が同じ行動を取れば巨額になります。
今回の記事によると、国内銀行に預けられた外貨預金は2026年4月から6月期に約26兆1000億円となり、前年同期からの増加額は約3兆9772億円でした。
もちろん、この約4兆円すべてをその期間中に発生した純粋な円売りとみなすことはできません。
外貨預金残高には為替換算の影響などもあり、残高の増加と外国為替市場で実際に行われた円売り額は同じではないからです。
それでも家計や企業が外貨保有を増やしているという方向性は、円の需給を考える重要な材料になります。
外貨預金だけが民間の円売りではない
民間の海外への資金移動は外貨預金だけではありません。
家計は外国株式や海外投資信託も購入しています。
全世界株式型や米国株式型の投資信託への積立投資が増えれば、日本の家計資金の一部が継続的に海外資産へ向かいます。
企業も海外への設備投資や企業買収などのため外貨を必要とします。
さらに生命保険会社や年金基金などの機関投資家も海外資産を保有しています。
したがって円相場への民間資金の影響を見る場合には、
外貨預金
外国株式
外国債券
海外投資信託
企業の海外直接投資
機関投資家の海外投資
など幅広い資金フローを見る必要があります。
外貨預金残高だけを政府の為替介入額と比較して、どちらが大きいと単純に結論づけることはできません。
企業の円転見送りも重要になる
企業の場合には、直接円を売る行動だけでなく、円を買わなくなる行動も重要です。
輸出企業が海外で100万ドルを稼いだとします。
この100万ドルを円へ交換すれば、
ドル売り
円買い
になります。
ところが企業が円安の継続を予想し、ドルをそのまま外貨預金として持てば円買いは発生しません。
つまり、
家計が円を売って外貨を買う
企業が外貨を円へ戻さない
という二つの動きが同時に起こる可能性があります。
前者は円売りを増やします。
後者は円買いを減らします。
この両方が円安方向へ働く可能性があるのです。
一時的な介入と継続的な資金移動の違い
政府の為替介入と民間の資金移動の最大の違いは、時間軸にあります。
政府の円買い介入は特定の日に巨額の資金を投入します。
一日に数兆円規模で円を買えば、その瞬間の市場では非常に大きな力になります。
しかし介入を毎日無期限に続けるわけではありません。
一方、家計の積立投資などは一回当たりの金額が小さくても毎月続きます。
企業による海外投資も継続します。
輸出企業が円転を見送る行動も続く可能性があります。
つまり、
政府の介入は大きく短い
民間の資金移動は小さくても長い
という違いがあります。
円相場の短期的な動きと長期的な方向を考える場合には、この違いが重要になります。
政府が円を買っても再び円安になるのはなぜか
為替介入によって円相場が大きく円高へ動いても、その後再び円安になることがあります。
これは円安を生み出している根本的な条件が変わっていない場合があるためです。
例えば日本より海外の金利が高い状況が続いているとします。
投資家は相対的に高い利回りを得られる海外資産へ資金を移そうとするかもしれません。
家計もNISAなどを通じて海外株式を積み立て続けます。
企業も海外で稼いだドルを円へ戻さないかもしれません。
政府が一日に数兆円の円を買っても、その後も民間から円売り方向の資金フローが続けば、再び円安方向への圧力が強まる可能性があります。
為替介入は市場の流れを一時的に大きく変えることはできても、円安を生み出しているすべての経済条件を直接変える政策ではありません。
為替介入には時間を稼ぐ意味もある
それでは為替介入には意味がないのでしょうか。
そうではありません。
急激な為替変動は企業や家計に大きな混乱を与える可能性があります。
短期間で円安が進めば、輸入企業は仕入価格の急上昇に対応できないことがあります。
市場参加者による投機的な円売りが一方向へ集中すると、相場の変動がさらに加速することもあります。
そこで政府が介入すれば、
一方向への投機をけん制する
相場の速度を抑える
市場参加者の予想を変える
といった効果が期待できます。
その間に金融政策や経済環境が変化すれば、円相場の流れそのものが変わる可能性もあります。
為替介入は必ずしも特定の為替水準を永久に維持するためだけのものではありません。
民間の円売りは悪いことなのか
家計や企業による円売りが円安要因になると聞くと、民間の海外投資が問題であるように感じるかもしれません。
しかし、それぞれには合理的な理由があります。
家計は老後資金を世界の株式へ分散しているかもしれません。
円だけに資産を集中させないため外貨を持つ人もいます。
企業は海外工場を建設するためドルを購入する場合があります。
輸出企業が受け取ったドルを、次の海外投資へ使う場合もあります。
一つ一つは資産形成や事業活動として合理的な行動です。
問題は、こうした行動が社会全体で同じ方向へ積み重なると、為替市場では大きな資金フローになることです。
個人や企業にとって合理的な行動と、マクロ経済全体への影響は分けて考える必要があります。
円安が進めば民間の円売りがさらに増える可能性
さらに難しいのが、円安そのものが民間の行動を変えることです。
円安が進むと家計が、
円だけで資産を持つのは不安だ
と考えて外貨を増やす可能性があります。
企業も、
将来もっと円安になる前にドルを確保しよう
と考えるかもしれません。
輸出企業は、
急いでドルを円へ戻す必要はない
と判断する可能性があります。
すると円安を警戒した行動が、さらに円安方向の資金フローを生みます。
政府が円買い介入をしても、市場参加者の円の先安観が変わらなければ、介入後に再び同じ行動が始まる可能性があります。
為替介入の効果を考える場合には、金額だけでなく人々の予想を変えられるかどうかも重要なのです。
為替介入と民間の円売りを単純比較できない理由
政府による円買い介入と民間による円売りについて、
どちらが何兆円だから強い
と単純に比較することはできません。
第一に、外貨預金残高の増加額と実際の円売り額は同じではありません。
第二に、民間の海外投資には外貨預金以外にも様々な資金フローがあります。
第三に、輸出企業の円転見送りのように、円売りではなく円買いの減少として表れる動きもあります。
第四に、政府の介入は短期間に集中しますが、民間の資金移動は長期間続く可能性があります。
したがって重要なのは単純な総額比較ではなく、
どのくらいの速度で
どのくらいの期間
どちらの方向へ
資金が流れているのかを見ることです。
結論
政府による円買い介入は、一日に数兆円規模の円を買うこともある非常に大きな取引です。
短期的には円相場を大きく円高方向へ動かす力があります。
一方、家計や企業による円から外貨への資金移動は、一回当たりでは政府の介入ほど大きくなくても、毎日、毎月、長期間続く可能性があります。
家計は外貨預金や海外投資信託、外国株式などへ資金を移します。
企業は将来必要な外貨を確保し、輸出で得たドルの円転を見送る場合があります。
そのため民間の動きは、
円売りを増やす
円買いを減らす
という両面から円安方向へ働く可能性があります。
政府の為替介入と民間の円売りのどちらが大きいのかを、一つの数字だけで判断することはできません。
政府の介入は巨額ですが一時的です。
民間の資金移動は分散していますが継続的です。
政府が数兆円の円を一気に買っても、その後、数百万人の家計や多数の企業が少しずつ外貨へ資金を移し続ければ、円売り圧力は再び積み上がります。
円安が止まりにくい理由を考えるときに重要なのは、政府が何兆円介入したかだけではありません。
日本の家計と企業が、自分たちの資産を今後どの通貨で持とうとしているのかを見ることです。
為替相場の長期的な方向を左右するのは、政府による一日の巨大な取引だけではなく、家計や企業による日々の小さな資産選択の積み重ねでもあるのです。
参考
日本経済新聞 2026年8月21日 朝刊 外貨預金の伸び最大 家計・企業、円から資産分散