企業が退職金制度を見直すとき、これまで退職時に支給していたお金の原資を毎月の給与へ振り替える方法があります。
社員から見れば、
退職時に2000万円もらう代わりに、現役時代の給与として合計2000万円もらう
のであれば、同じように思えるかもしれません。
しかし、税金や社会保険料まで考えると両者は同じではありません。
給与には給与所得としての課税があります。
一方、一定の退職金には退職所得控除や、一般的な退職所得について控除後の金額を原則として2分の1にする仕組みがあります。
さらに給与は社会保険料の計算にも影響する場合があります。
退職金を給与へ振り替える制度を見るときには、額面ではなく生涯の手取りで比較することが重要です。
給与として受け取れば給与所得になる
会社から毎月受け取る給料は給与所得です。
退職金原資を毎月の給与へ上乗せした場合も、原則として給与として課税されます。
たとえば退職金原資に相当する年間60万円を毎月の給与へ振り替えるとします。
月額なら5万円です。
給与が月40万円だった人なら、単純化すると月45万円になります。
年間では60万円収入が増えます。
しかし60万円がそのまま手取りとして増えるわけではありません。
給与所得に対する所得税や住民税などの負担が生じるからです。
給与所得には給与所得控除がある
給与に税金がかかるといっても、給与収入の全額にそのまま所得税率を掛けるわけではありません。
会社員には給与所得控除があります。
給与収入から給与所得控除を差し引いて給与所得を計算します。
さらに基礎控除や扶養控除など、適用できる所得控除を差し引いて課税所得を求めます。
そのうえで所得税を計算します。
つまり給与にも一定の負担軽減の仕組みがあります。
ただし、退職金に設けられている退職所得控除とは仕組みが異なります。
退職金原資を給与へ振り替えれば、その金額について退職所得控除を利用することはできません。
退職金は退職所得として計算する
一定の退職一時金は、給与所得ではなく退職所得として扱われます。
退職所得には、長年働いた人が退職時にまとまったお金を受け取ることを考慮した税制があります。
まず退職金から退職所得控除を差し引きます。
原則として勤続年数20年以下なら、
40万円掛ける勤続年数
です。
勤続年数20年を超える場合は、
800万円プラス70万円掛ける20年を超えた勤続年数
となります。
さらに一般的な退職所得では、控除後の残額を原則として2分の1にして課税退職所得金額を計算します。
給与とはかなり違う仕組みです。
勤続40年なら控除は2200万円になる
たとえば22歳で会社へ入り、62歳まで40年間勤務したとします。
退職所得控除は原則として、
800万円プラス70万円掛ける20年
です。
したがって2200万円になります。
もし退職一時金が2000万円なら、退職所得控除の範囲内です。
一般的なケースでは課税退職所得金額は生じません。
一方、同じ2000万円を40年間にわたって給与へ上乗せした場合、その給与は各年の給与所得として扱われます。
この違いだけを見ても、
退職金2000万円
給与2000万円
を額面だけで比較できないことが分かります。
給与には社会保険料も関係する
退職金を給与へ振り替えた場合に重要なのが社会保険料です。
会社員が負担する健康保険料や厚生年金保険料などは、給与や賞与を基礎として計算されます。
給与が増えれば標準報酬月額などが変わり、社会保険料負担が増える場合があります。
たとえば月給が40万円から45万円へ増えたとしても、5万円すべてが手取りとして増えるとは限りません。
所得税や住民税に加えて、社会保険料の増加も考える必要があります。
これが退職金原資を給与へ振り替える場合の大きなポイントです。
退職一時金には通常の給与と違う扱いがある
退職時に支給される一定の退職一時金は、通常の給与と同じように毎月の社会保険料の計算対象になるものではありません。
この点でも給与として受け取る場合との違いがあります。
退職金を給与へ振り替えると、
所得税
住民税
社会保険料
という複数の負担を考える必要があります。
そのため会社が、
退職金2000万円を廃止する代わりに、生涯給与を2000万円増やします
と説明しても、社員の手取りが完全に同じになるとは限りません。
社会保険料が増えればすべて損なのか
ただし、社会保険料が増えることを単純に損と考えるのも正確ではありません。
たとえば厚生年金保険料は、一定の範囲で将来の老齢厚生年金の金額にも関係します。
給与が増え、標準報酬月額などが高くなれば、将来の年金額が増える場合があります。
健康保険の一部の給付でも標準報酬月額などが関係するものがあります。
つまり社会保険料には、
現在の手取りを減らす
という面と、
将来や万一の給付に反映される
という面があります。
したがって税金と社会保険料をすべて単純なコストとして比較するだけでは不十分です。
給与なら早くお金を受け取れる
退職金を給与へ振り替える最大のメリットの一つは、お金を早く受け取れることです。
退職金なら60歳や65歳など、退職するまで受け取れないことがあります。
給与なら毎月受け取れます。
たとえば30歳の人が月5万円多く受け取れば、
住宅購入資金
子どもの教育費
生活費
資産形成
などに使うことができます。
退職金として将来受け取るより、現在の生活を豊かにできる可能性があります。
お金には、
いくら受け取るか
だけでなく、
いつ受け取るか
という価値があります。
自分で運用すれば退職金以上になる可能性もある
給与として早く受け取ったお金を使わず、資産形成へ回す方法もあります。
たとえば毎月一定額をNISAなどで長期間積み立てることが考えられます。
30年間や40年間運用すれば、運用収益によって元本以上の資産を形成できる可能性があります。
その結果、会社から将来退職金を受け取る場合より大きな資産を作れる可能性もあります。
ただし運用にはリスクがあります。
必ず増えるわけではありません。
また、給与として受け取ったお金をすべて生活費に使えば、退職時に資産が残らない可能性もあります。
自由度が高くなる代わりに、自己管理の責任も大きくなります。
退職金には強制貯蓄のような役割がある
従来型の退職金制度には、社員が意識しなくても老後資金を残せるという特徴があります。
現役時代に自由に引き出せないからです。
毎月の給与として5万円を受け取れば、
少しくらい使っても大丈夫
と考えてしまうかもしれません。
生活水準が上がれば、給与が増えた分だけ支出が増えることもあります。
40年間で2000万円多く給与を受け取ったとしても、退職時に2000万円残っているとは限りません。
一方、退職金なら退職時にまとまった資金を受け取れます。
これは老後資金を確保するという点では大きな特徴です。
企業型DCへ振り替える方法もある
退職金制度を見直す企業には、原資をすべて給与へ振り替える以外の選択肢もあります。
その代表例が企業型確定拠出年金です。
会社が社員のために掛金を拠出し、社員自身が運用します。
企業型DCへ拠出された資金は、原則として老後まで自由に引き出すことができません。
つまり、
給与のように現在使える自由
と、
退職金のように老後まで資金を残す機能
の中間的な特徴を持っています。
企業によっては、退職給付原資について給与と企業型DCなどの選択肢を設けることがあります。
社員自身が老後資金の受け取り方を考える時代になっているのです。
生涯手取りで比較するとは何か
退職金制度が違う会社を比較するときには、年収だけを見るのでは十分ではありません。
たとえばA社とB社の給与を比較するとします。
A社は年収600万円で退職金2000万円。
B社は年収650万円で退職金なし。
この数字だけを見れば、B社の方が魅力的に見えるかもしれません。
しかし本当に比較するなら、
現役時代の給与
所得税
住民税
社会保険料
退職金
退職所得課税
企業年金
企業型DCの掛金
資産運用による収益
などを考える必要があります。
これらを長い職業人生全体で考えるのが生涯手取りという視点です。
転職時にも重要になる
退職金制度の違いは転職にも影響します。
求人票に書かれた年収だけを比較すると、待遇を正しく判断できないことがあります。
年収800万円で退職金がない会社と、
年収750万円で手厚い退職金や企業年金がある会社
では、どちらが有利なのか単純には分かりません。
さらに中途入社の場合、退職金が勤続年数によって大きく変わることもあります。
これから転職する人は、
年収はいくらか
だけでなく、
退職金制度はあるか
企業年金はあるか
企業型DCの会社掛金はいくらか
まで確認することが重要になります。
結論
退職金を給与へ振り替えると税負担が変わるのは、給与と退職金では税金の計算方法が違うからです。
給与として受け取れば給与所得として課税されます。
さらに給与額が増えることで、社会保険料負担に影響する場合があります。
一方、一定の退職一時金には退職所得控除があります。
一般的な退職所得では、控除後の残額を原則として2分の1にして課税退職所得金額を計算します。
そのため、
退職金2000万円
と、
給与として受け取る合計2000万円
は額面が同じでも手取りが同じとは限りません。
ただし給与には、早く受け取って生活や資産形成に利用できるというメリットがあります。
自分で長期間運用すれば、退職時により大きな資産を作れる可能性もあります。
逆に使ってしまえば、老後資金が残らない可能性があります。
したがって退職金制度の変更を見るときには、
額面の総額
だけで判断してはいけません。
税金、社会保険料、受け取る時期、資産運用、企業年金まで含めた生涯手取りで比較することが重要です。
退職金を給与へ振り替えるという変化は、会社から受け取るお金の総額だけの問題ではありません。
会社が老後資金を準備する仕組みから、社員自身が現在と老後の間でお金を配分する仕組みへ変わることでもあるのです。
参考
日本経済新聞 2026年8月31日夕刊 退職金、なくなるの? 人材流動化で見直しも