退職金といえば、長年会社で働いた人が定年退職するときに受け取るまとまったお金というイメージがあります。
住宅ローンの完済、老後の生活費、子どもへの援助など、退職金を前提として人生設計を考えている人も少なくありません。
ところが最近、この退職金制度を見直す企業が出てきました。
退職一時金を廃止して確定拠出年金へ移したり、退職金として積み立てる代わりに毎月の給与として支給したりする企業もあります。
背景にあるのは、単なるコスト削減ではありません。
日本企業の雇用制度そのものが、長く勤めることを前提とした仕組みから、人材が会社を移動することを前提とした仕組みへ変わり始めているのです。
退職金は法律で義務付けられた制度ではない
まず知っておきたいのは、企業には退職金を支給しなければならないという法律上の義務があるわけではないことです。
退職金制度を設けるかどうかは、基本的には企業が決めます。
日本で退職金制度が広く普及した背景には、戦後の高度経済成長と終身雇用があります。
企業にとって優秀な社員に長く働いてもらうことは重要でした。
そこで、
長く働けば働くほど退職金が増える
という制度を設けることで、社員が会社を辞めにくくする効果を持たせました。
退職金には老後保障だけでなく、人材を会社につなぎ留める役割もあったのです。
退職金には一時金と年金がある
一般に退職金と呼ばれるものには、大きく分けて2つの受け取り方があります。
一つが退職一時金です。
定年などで退職するときに、数百万円から数千万円といったまとまった金額を一括して受け取ります。
もう一つが退職年金です。
退職後、一定期間あるいは年金形式で継続的に受け取る仕組みです。
企業によっては、この2つを組み合わせています。
中央労働委員会の2025年調査では、大手企業における定年時のモデル退職金は、大卒総合職で平均2558万8000円となっています。
老後の生活設計に与える影響が大きいことが分かります。
大企業では今も退職金制度が一般的
退職金がすぐになくなるわけではありません。
厚生労働省の調査では、2023年時点で従業員1000人以上の企業の90.1パーセントが退職一時金や退職年金などの制度を持っていました。
現在でも大企業では退職金制度を持つ会社が圧倒的多数です。
ただし、長期的には制度を持たない企業も増えています。
重要なのは、
退職金そのものが消える
というより、
退職時にまとめて支払うという仕組みが変わり始めている
と考えることです。
退職金を毎月の給与に変える企業もある
退職金制度を見直す場合でも、その原資までなくなるとは限りません。
たとえば、従来は退職金として会社が積み立てていたお金を、毎月の給与として社員へ支給する方法があります。
イメージすると分かりやすくなります。
従来型では、
毎月の給与を抑える
退職金原資を会社に蓄積する
退職時にまとめて支給する
という流れです。
これを、
毎月の給与を増やす
社員自身が貯蓄や資産運用をする
という仕組みに変えるわけです。
つまり、
後でもらうお金を今もらう
という考え方です。
確定拠出年金へ移す方法もある
もう一つの方法が確定拠出年金です。
会社が一定額を拠出し、その資金を社員自身が運用して老後資金を形成します。
退職一時金の場合、社員自身が運用する必要はありません。
一方、確定拠出年金では、預金や投資信託などの商品を選択し、運用結果によって将来受け取れる金額が変わります。
企業から見ると、退職時に巨額の資金をまとめて支払う仕組みから、現役時代に一定額を拠出していく仕組みに変えられます。
社員から見ると、自分の老後資産を自分で形成する色彩が強くなります。
なぜ企業は退職金を見直すのか
最大の理由は、日本型の終身雇用が変化していることです。
従来の日本企業では、新卒で入社して定年まで同じ会社で働くことが典型的なキャリアモデルでした。
そのため、
勤続年数が長いほど有利になる退職金制度
は合理的でした。
ところが転職が一般的になると事情が変わります。
たとえば30歳や40歳で転職した人が、新卒から勤め続けた社員より退職金で大きく不利になる会社では、中途採用の魅力が下がります。
企業が即戦力の専門人材を採用したくても、
退職金では長期勤続者が有利です
と言われれば、転職希望者には魅力的に映らない場合があります。
そこで企業は、
勤続年数
よりも、
現在持っている能力や仕事への貢献
を重視した報酬制度へ移行しようとしているのです。
退職金は後払い賃金という見方もある
退職金を考えるうえで重要なのが、
後払い賃金
という考え方です。
日本型雇用では、若い社員の給与は必ずしも現在の仕事への貢献だけで決まってきたわけではありません。
若い時期には能力以上の給与を受け取り、中堅になると能力や会社への貢献に比べて給与が抑えられ、シニアになると再び比較的高い給与を受け取るという考え方があります。
会社員人生全体で賃金を調整する仕組みです。
この考え方に立てば、中堅時代に十分受け取れなかった賃金の一部を最後にまとめて精算するのが退職金とも考えられます。
そのため、社員からすると、
会社からプレゼントされるお金
ではありません。
長年働いた結果として受け取る、
後払いされた賃金
という感覚が強くなります。
だからこそ、途中で突然制度を廃止すれば大きな反発が起きます。
現在働いている社員の退職金が突然ゼロになるわけではない
退職金制度を企業が自由に変更できるからといって、現在働いている社員の退職金を突然ゼロにできるわけではありません。
就業規則や退職金規程などで退職金制度が定められている場合、その変更は労働条件の問題になります。
社員に著しく不利な変更を企業側が一方的に行えば、不利益変更として問題になる可能性があります。
そのため実際の制度改革では、
新入社員から新制度を適用する
既存社員には旧制度を残す
一定期間の経過措置を設ける
旧制度と新制度を選択できるようにする
といった対応が取られることが多くなります。
特に50代など退職が近い社員にとって、予定していた退職金が突然大幅に減れば人生設計への影響は極めて大きくなります。
企業側にも慎重な対応が求められます。
退職金廃止は必ずしも社員の損とは限らない
ここで注意したいのは、
退職金廃止イコール社員の収入減
とは限らないことです。
たとえば会社が年間60万円を退職金原資として積み立てていたとします。
これを廃止して年間60万円を給与へ上乗せするなら、社員が受け取る報酬総額そのものが単純に減ったわけではありません。
違うのは受け取る時期です。
従来は、
現役時代の給与を抑えて退職時に受け取る
仕組みでした。
新しい制度では、
現役時代に受け取り、自分で老後資金を準備する
ことになります。
ただし税金や社会保険料の扱いは異なるため、額面が同じだから手取りも同じというわけではありません。
退職一時金には大きな税制上のメリットがある
退職金制度を考えるとき、見逃せないのが税制です。
退職一時金には退職所得控除があります。
さらに原則として、退職所得控除後の金額の2分の1を課税対象とする仕組みがあります。
長期間勤務した社員にとっては、給与として受け取るより税負担が軽くなるケースがあります。
そのため、
退職金2000万円
と、
現役時代の給与として合計2000万円を追加でもらう
ことは、税引き後では同じ価値とは限りません。
企業が退職金原資を給与へ振り替える場合、社員側は税金や社会保険料まで含めて考える必要があります。
人材流動化と退職金制度は密接につながっている
政府や企業が人材流動化を進めるうえでも、退職金制度は重要な論点になります。
長く同じ会社に勤めるほど有利になる制度は、裏返せば、
途中で転職すると損をする制度
でもあります。
退職金だけでなく、企業年金、年功賃金、福利厚生など、日本企業には長期勤続を前提とした制度が数多くあります。
人材の流動化を本格的に進めるのであれば、
転職しても不利になりにくい報酬制度
を作る必要があります。
退職金制度の見直しは、その一つなのです。
逆に退職金を増やす企業もある
一方で、すべての企業が退職金を減らしているわけではありません。
人手不足が深刻な業界では、逆に退職金を増額して採用力や定着率を高めようとする企業もあります。
これは退職金制度の本質をよく表しています。
退職金は単なる老後資金制度ではありません。
企業が、
どんな人材に来てほしいのか
どのくらい長く働いてほしいのか
転職者を積極的に採用したいのか
社員に自分で資産形成してほしいのか
といった人材戦略を反映する制度です。
終身雇用を重視する企業なら退職金を手厚くする意味があります。
一方、中途採用や専門人材を重視する企業なら、退職金を減らして現在の給与を高くする方が合理的かもしれません。
これからは退職金額だけで会社を比較できない
これから転職や就職を考えるときには、
退職金があります
という情報だけを見るのでは不十分になります。
重要なのは、
基本給
賞与
退職一時金
企業年金
確定拠出年金
福利厚生
などを含めた生涯の報酬全体です。
退職金が2000万円ある会社でも、現役時代の給与が低ければ必ずしも有利とは限りません。
逆に退職金がない会社でも、その分を給与や確定拠出年金として十分還元しているのであれば、条件が悪いとは限りません。
これから重要になるのは、
退職金があるかないか
ではなく、
会社が社員に支払う生涯報酬をどのように設計しているのか
を見ることです。
結論
退職金制度は、すぐになくなるわけではありません。
現在でも多くの大企業が退職一時金や企業年金などの制度を持っています。
しかし、終身雇用を前提として長期勤続者を優遇してきた従来型の退職金制度は、大きな転換期に入っています。
退職金原資を毎月の給与へ移す企業もあれば、確定拠出年金へ移す企業もあります。一方、人材確保のために退職金を増額する企業もあります。
つまり、退職金制度の見直しは単なる福利厚生の変更ではありません。
その会社が、
社員に長く勤めてもらいたいのか
人材の流動化を進めたいのか
即戦力の中途人材を採用したいのか
という人材戦略そのものを映しています。
これから会社を見るときは、退職金の金額だけで判断するのではなく、給与や企業年金、確定拠出年金などを含めた生涯報酬全体を見ることが重要になります。
退職金がなくなる時代というより、
退職時にまとめて受け取る報酬から、自分で受け取り方と資産形成を考える時代へ変わりつつある
と考えた方が実態に近いでしょう。
参考
日本経済新聞 2026年8月31日夕刊 退職金、なくなるの? 人材流動化で見直しも