国の財政について議論するとき、プライマリーバランスという言葉がよく使われます。
日本語では基礎的財政収支と呼ばれます。
国だけでなく、地方自治体の財政を見る場合にも、現在の行政サービスや公共事業を現在の税収などでどこまで賄えているのかを考えるうえで重要な考え方です。
川崎市ではJR南武線の高架化や等々力緑地の整備など大型公共事業が相次ぎ、市債発行額が増える見通しです。
その影響もあり、基礎的財政収支は2027年度から3年間にわたり319億円から407億円の大幅な赤字が見込まれています。
ただしプライマリーバランスが赤字だからといって、直ちに自治体が財政危機に陥るわけではありません。
地方債によって何を整備するのか、その投資によって将来どのような便益が生まれるのか、将来の返済能力があるのかまで合わせて考える必要があります。
プライマリーバランスとは借金に頼らない収支を見る考え方
プライマリーバランスは、基礎的財政収支とも呼ばれます。
基本的な考え方は、地方債などによる借入収入と、過去の借金に対する元利払いなどを除いて、現在の行政活動に必要な支出を税収などの収入でどの程度賄えているのかを見ることです。
簡単にいえば、新しい借金にどの程度頼らずに行政を運営できているかを見る指標です。
税収などの収入が行政サービスや公共事業などの支出を上回れば黒字になります。
反対に支出の方が大きければ赤字になります。
赤字部分については、地方債発行などによって財源を確保する必要があります。
自治体が現在行っている行政活動と、借金との関係を見るための考え方なのです。
通常の財政収支とは見ているものが違う
自治体にはさまざまな財政収支の見方があります。
単純に収入と支出を比較するだけでは、借金による収入や借金返済による支出も含まれます。
例えば自治体が100億円の地方債を発行すれば、その年度には100億円の資金が入ってきます。
通常の収入だけを見れば、財源が100億円増えたことになります。
しかし、その100億円は税収ではありません。
将来返済しなければならない借金です。
プライマリーバランスでは、こうした地方債による収入を切り離して考えます。
借金によって収入を増やした結果ではなく、本来の税収などで現在の行政支出をどこまで賄えているのかを見るわけです。
黒字なら借金への依存度は小さくなる
プライマリーバランスが黒字であれば、税収などの基礎的な収入が基礎的な支出を上回っていることを意味します。
現在の行政サービスや公共投資などを、比較的借金に頼らず賄えている状態です。
黒字が継続すれば、地方債残高を抑えたり、将来の返済に備えて基金を積み立てたりする余地も生まれます。
特に人口減少によって将来の税収増加が期待しにくい自治体では、平常時に財政余力を確保しておくことに意味があります。
ただし黒字であれば必ず良い財政運営というわけでもありません。
必要な公共投資や行政サービスまで削減して黒字を確保しているのであれば、住民にとって望ましいとは限らないからです。
財政収支だけでなく、その背景を見る必要があります。
赤字なら新しい借金への依存が増える
プライマリーバランスが赤字の場合、税収などだけでは現在の支出を賄えていないことになります。
不足する財源を地方債などによって調達すれば、地方債残高が増える方向に働きます。
赤字が毎年継続し、その財源を借金で賄い続ければ、将来の公債費も増えていく可能性があります。
特に日常的な行政サービスを恒常的な借金で賄う状態が続けば、将来世代へ現在の支出を先送りすることになります。
そのため長期的に大幅な赤字が続く場合には注意が必要です。
ただし赤字の原因が何なのかによって評価は大きく変わります。
大型公共投資では赤字になりやすい
自治体が鉄道、道路、学校など大規模な公共施設を整備する場合、一時的に巨額の支出が発生します。
例えば1000億円の公共事業を、その年度の税収だけで全額賄うことは現実的ではない場合があります。
そこで地方債を発行します。
長期間利用する公共施設の費用を複数の世代で負担するという考え方です。
このような大型公共投資が集中する時期には、地方債発行が増え、プライマリーバランスが赤字になることがあります。
赤字という数字だけを見れば財政悪化に見えます。
しかし、その資金で数十年間利用できる重要なインフラを整備しているのであれば、単年度の赤字だけで政策の良し悪しを判断することはできません。
川崎市では大型投資が赤字要因になる
川崎市では複数の大型公共事業が重なっています。
JR南武線の矢向駅から武蔵小杉駅までの約4.5キロメートルを高架化する事業は、現時点で総額1387億円を見込んでいます。
等々力緑地の整備事業も総額1232億円です。
さらに市立学校体育館の空調設備整備なども進めます。
こうした資金需要を背景に、市債発行額は2027年度に1000億円を超え、2029年度には1233億円まで増える見通しです。
基礎的財政収支も2027年度から3年間にわたり、319億円から407億円の赤字が見込まれています。
大型投資の時期とプライマリーバランスの赤字が重なっていることが分かります。
国のプライマリーバランスとは事情が異なる
国の財政でもプライマリーバランスは重要な指標として使われています。
ただし国と地方自治体では財政の仕組みが異なります。
国は国債を発行し、税収などを財源として国全体の財政政策を運営します。
一方、地方自治体には地方税だけでなく地方交付税、国庫支出金などがあり、国と地方を通じた財政制度の中で運営されています。
地方債についても、地方財政制度によるさまざまな仕組みがあります。
そのため国のプライマリーバランスと自治体のプライマリーバランスを全く同じ感覚で見ることはできません。
ただし借金にどの程度依存して現在の政策を行っているのかを見るという基本的な考え方には共通する部分があります。
赤字でも将来に価値ある資産が残る場合がある
プライマリーバランスを見るときに重要なのは、赤字によって何が残るのかという視点です。
例えば地方債を発行して道路を整備したとします。
その年度には借金が増え、財政収支は悪化するかもしれません。
しかし道路は数十年間利用されます。
交通利便性が高まり、企業進出や住宅開発につながれば、地域経済が成長する可能性があります。
鉄道の立体交差によって踏切がなくなれば、交通渋滞の解消や安全性向上などの便益も生まれます。
学校や防災施設なら、教育環境や地域の安全性という価値が将来に残ります。
現在の赤字と引き換えに、将来世代が利用できる資産を形成している場合があるのです。
問題は赤字が恒常化する場合
一方で注意が必要なのは、特別な大型公共投資がないにもかかわらず、毎年度プライマリーバランスの赤字が続く場合です。
通常の行政サービスを税収などで賄えず、毎年借金に依存しているのであれば、地方債残高は継続的に増える可能性があります。
さらに人口減少によって将来の税収が減れば、少なくなった住民が過去の借金を返すことになります。
公共施設であれば将来世代も利用できますが、現在の経常的な支出を借金で賄っても、将来世代に対応する資産が残らない場合があります。
一時的な赤字と構造的な赤字を区別することが重要です。
金利上昇は赤字の意味を重くする
超低金利時代には、地方債を発行しても利払い負担は小さく抑えられていました。
そのため地方債による公共投資の資金調達コストも限定的でした。
しかし金利が上昇すると状況は変わります。
川崎市が2026年8月に発行した10年債の表面利率は3.017%となりました。
プライマリーバランスの赤字を地方債発行で賄えば、その地方債について将来利息を支払う必要があります。
金利が高いほど、現在の赤字が将来の公債費へ与える影響も大きくなります。
これまでと同じ金額の地方債を発行しても、将来世代が負担する利息は増える可能性があります。
金利上昇時代には、赤字の金額だけでなく、その赤字をどの金利で調達するのかも重要になります。
黒字化そのものを目的にしてはいけない
財政の健全性を維持するためには、プライマリーバランスを意識することが重要です。
しかし黒字化そのものが自治体の最終目的ではありません。
自治体の目的は、住民に必要な行政サービスを提供し、地域の生活や経済を支えることです。
将来必要になる防災設備や老朽化した学校の建て替えを先送りして黒字を維持しても、後になってさらに大きな費用が必要になる可能性があります。
逆に将来の人口や需要を十分検討せず、利用されない大型施設を借金で建設すれば、将来世代には負担だけが残ります。
大切なのは黒字か赤字かという数字だけではなく、その財政支出が将来どのような価値を生み出すのかという視点です。
結論
自治体のプライマリーバランスとは、地方債などによる借入収入や過去の借金に対する元利払いなどを除き、現在の行政活動を税収などでどの程度賄えているのかを見る考え方です。
黒字であれば新しい借金への依存度を抑えやすくなり、赤字であれば地方債などによる資金調達が増える可能性があります。
ただし赤字だから直ちに財政危機というわけではありません。
鉄道、道路、学校など長期間利用される公共資産を整備する時期には、一時的に大幅な赤字になることがあります。
重要なのは、その赤字が将来に価値ある資産を残すための一時的なものなのか、それとも通常の行政サービスを借金で賄う構造的なものなのかという違いです。
さらに金利が上昇すれば、赤字を地方債で賄うためのコストも高くなります。
自治体財政を見るときには、黒字か赤字かだけではなく、なぜその収支になっているのか、そしてその負担と資産を誰が将来引き継ぐのかまで考える必要があります。
参考
日本経済新聞 2026年8月19日 川崎市、大型投資続き市債発行増 30年ぶり高金利 逆風