中小企業の事業承継では、会社の株式を後継者へ渡したときに発生する相続税や贈与税が大きな問題になることがあります。
現在の事業承継税制には、一定の要件を満たせば相続税や贈与税の納税を猶予する仕組みがあります。
さらに、後継者が死亡した場合など一定の事由が発生すると、猶予されていた税額について免除を受けられる場合があります。
一方、経済産業省は、成長投資や賃上げなどに取り組む企業を対象として、相続税や贈与税を免税とする新たな仕組みを検討しています。
一見すると、現在の納税猶予でも税金を払わずに済むため、大きな違いはないように見えるかもしれません。
しかし、後継者にとって「今は払わなくてよい税金」と「将来も払わなくてよいことが確定した税金」では意味が大きく異なります。
納税猶予は税金が消えたわけではない
納税猶予とは、税金の支払いを一定期間待ってもらう仕組みです。
例えば、後継者が先代経営者から自社株を相続し、本来3000万円の相続税を納めなければならないとします。
事業承継税制の適用を受け、対象となる税額について納税猶予が認められれば、その時点で3000万円を納める必要はありません。
後継者にとっては大きな負担軽減です。
しかし、ここで3000万円という税額そのものが消滅したわけではありません。
一定の要件を満たしているため、納付が猶予されている状態です。
その後、法律で定められた免除事由に該当すれば、猶予されていた税額について納付が免除されます。
反対に、一定の要件を外れれば、猶予されていた税額の全部または一部を納付しなければならない場合があります。
これが納税猶予の基本的な特徴です。
免税は将来の納税義務がなくなることに意味がある
免税の大きな特徴は、税負担を確定的に軽減できることにあります。
今回検討されている新制度の具体的な内容は、今後の政府・与党による税制改正議論で決まります。
そのため、どの時点で、どのような条件を満たせば免税になるのかは現段階では確定していません。
ただ、現在のように長期間にわたって納税猶予を続け、その後に一定の免除事由が発生することを待つ仕組みと比べれば、税負担の予見性を高めることが制度見直しの重要な目的になります。
後継者から見ると、
「今は税金を払わなくてもよい」
という状態と、
「この税金は将来も払わなくてよい」
という状態では、経営判断のしやすさが違います。
ここに納税猶予から免税へ踏み込む大きな意味があります。
後継者は何十年も税負担を意識する可能性がある
事業承継は、非常に長い時間軸で行われます。
例えば、45歳で父親から会社を引き継いだ後継者がいるとします。
その後、70歳まで経営を続けるとすれば、25年間にわたって会社を経営することになります。
現在の納税猶予制度を利用している場合、その長い期間にわたって制度の要件を意識する可能性があります。
会社経営では、さまざまな変化が起こります。
事業を縮小することもあります。
不採算部門から撤退することもあります。
株式の一部を売却したくなることもあります。
M&Aによって会社を売却することが最善の選択になる場合もあります。
そのたびに後継者は、事業承継税制の納税猶予にどのような影響があるのかを確認する必要があります。
経営上は合理的な判断であっても、税制上の影響を考えなければならない場合があるのです。
納税猶予は後継者の資金計画にも影響する
納税猶予は実際の資金管理にも影響します。
例えば5000万円の税額について納税猶予を受けているとします。
現在は5000万円を支払う必要がありません。
しかし、将来何らかの理由で納税猶予が終了する可能性があると考えれば、後継者は資金をすべて事業へ投入することに慎重になるかもしれません。
会社に十分な現預金を残しておこうと考える可能性があります。
個人としても、納税に備えて資産を確保しておこうと考えるかもしれません。
つまり、実際には税金を支払っていなくても、「将来必要になるかもしれない納税資金」が経営判断に影響することがあります。
これが納税猶予の持つ不確実性です。
免税なら設備投資の判断もしやすくなる
税負担が確定的に軽減されれば、後継者は資金の使い道を考えやすくなります。
例えば、会社に5000万円の余裕資金があるとします。
納税猶予による将来の税負担を意識していれば、その5000万円をそのまま残しておくという判断も考えられます。
しかし、税負担がなくなることが確定していれば、
新しい製造設備を導入する
工場を改修する
業務システムを刷新する
DXを進める
新しい店舗を開設する
研究開発を行う
といった投資へ資金を回しやすくなります。
設備投資は企業の生産性向上にもつながります。
事業承継税制を免税へ踏み込ませる狙いには、後継者の税負担を減らすだけでなく、企業に眠る資金を成長投資へ動かすことがあります。
賃上げにも資金を回しやすくなる
今回の制度見直しでは、賃上げも重要な条件として検討されています。
税負担を免除するのであれば、そのメリットを経営者だけにとどめず、従業員にも還元してもらおうという考え方です。
例えば、相続税や贈与税として支払う可能性があった資金が会社や後継者の手元に残ります。
その資金を設備投資だけでなく、従業員の給与引き上げや人材育成などへ振り向ければ、企業の成長と従業員の所得向上を同時に進められます。
税金を免除する代わりに、
事業を承継する
会社を成長させる
従業員の賃金を増やす
という循環をつくることが制度の狙いになります。
免税になれば何でも自由になるわけではない
ただし、免税制度が導入されれば、後継者が無条件で税金を払わなくてよくなるとは限りません。
むしろ税負担を確定的に軽減するのであれば、現在以上に厳しい適用要件が設けられる可能性があります。
今回の検討でも、成長投資や賃上げに積極的に取り組む企業に対象を絞る方向が示されています。
例えば、
どの程度賃金を増やす必要があるのか
どのような設備投資が対象になるのか
何年間要件を維持する必要があるのか
要件を達成できなかった場合にどうするのか
といった制度設計が重要になります。
免税によって税負担の不確実性を減らす一方で、その入口では厳しい条件を設けるという制度になる可能性があります。
納税猶予から免税への変更は税制の目的も変える
従来の事業承継税制は、相続税や贈与税によって会社の承継が困難になることを防ぐという意味合いが強い制度でした。
いわば「会社を残すための税制」です。
これに対して今回検討されている免税制度では、賃上げや成長投資が条件として重視されています。
つまり、
会社を残す
だけではなく、
会社を引き継いだ後に成長させる
ところまで税制によって促そうとしていることになります。
事業承継政策と成長政策を組み合わせる考え方です。
後継者にとっても、単に税金を減らす制度ではなく、承継後の経営計画と税制を一体で考える必要性が高まる可能性があります。
結論
納税猶予と免税の最大の違いは、将来の納税義務に対する不確実性です。
納税猶予では、現在は相続税や贈与税を支払わなくても、税額そのものが直ちになくなるわけではありません。
一定の免除事由が生じるまで、後継者は長期間にわたって納税猶予の要件を意識する必要があります。
これに対して、一定の条件を満たした段階で税負担が確定的になくなる仕組みになれば、後継者は将来の納税リスクを意識せずに資金計画を立てやすくなります。
その結果、設備投資やDX、人材投資、賃上げなどへ資金を振り向けやすくなる可能性があります。
今回検討されている事業承継税制の見直しで重要なのは、単純に税負担を軽くすることだけではありません。
「税金をいつか払うかもしれない状態」から後継者を解放し、その資金を企業の成長へ動かそうとしているところに大きな意味があります。
参考
日本経済新聞 2026年8月23日 朝刊 相続・贈与税、賃上げで免除 中小、事業承継しやすく 経産省要望へ