最低賃金が引き上げられるたびに、「働く人の生活は良くなる」という期待と、「企業は雇用を減らすのではないか」という懸念が聞かれます。
どちらの考え方にも一定の根拠があります。
実際、経済学でも長年にわたって議論が続いてきたテーマです。
今回は、最低賃金と雇用の関係について、経済学の考え方と近年の研究結果を踏まえて考えてみます。
古典的な経済学では雇用は減ると考えられていた
経済学の基本的な考え方では、賃金は労働市場で決まる価格と考えられています。
企業は利益を上げるため、必要な人数だけ労働者を雇います。
もし法律によって最低賃金が市場価格より高く設定されれば、人件費が増えるため、企業は採用を控えたり、人員を減らしたりする可能性があります。
このため、古典的な理論では最低賃金の引き上げは雇用を減少させると考えられてきました。
特に、利益率の低い中小企業や、人件費比率の高い業種では、その影響が大きいとされていました。
実証研究では必ずしも雇用は減っていない
ところが、1990年代以降、多くの実証研究が行われるようになると、理論どおりの結果ばかりではないことが分かってきました。
代表的なのが、アメリカで行われた飲食店を対象とする研究です。
最低賃金を引き上げた州と引き上げなかった州を比較したところ、雇用が大きく減少したとは確認できませんでした。
その後も世界各国で多くの研究が行われましたが、「最低賃金を少し引き上げただけで雇用が大幅に減る」という結果は必ずしも一般的ではありません。
現在では、最低賃金の影響は引き上げ幅や景気、産業構造などによって異なるという考え方が広く受け入れられています。
なぜ雇用が減らない場合があるのか
最低賃金を引き上げても雇用が維持される理由はいくつかあります。
まず、賃金が上がることで離職率が下がる可能性があります。
人材が定着すれば、採用や教育にかかるコストを抑えられるため、企業にとっても利益になります。
また、賃金が増えれば消費が活発になり、企業の売り上げが増えることも期待できます。
さらに、人件費が上昇したことをきっかけに、設備投資やDXを進め、生産性を高める企業もあります。
最低賃金の引き上げが、企業の経営改善を促すきっかけになる場合もあるのです。
影響を受けやすい業種もある
一方で、すべての企業が対応できるわけではありません。
飲食業、小売業、介護、宿泊業など、人件費の割合が高い業種では影響が大きくなります。
特に地方の小規模事業者では、価格転嫁が難しく、人件費の増加を利益で吸収できないケースも少なくありません。
その結果、営業時間を短縮したり、採用を見送ったり、家族経営へ切り替えたりする例もあります。
最低賃金の引き上げは、業種や企業規模によって影響が大きく異なることを理解する必要があります。
日本では人手不足という事情がある
現在の日本は、少子高齢化によって深刻な人手不足が続いています。
求人倍率が高い地域では、最低賃金を引き上げなくても、人材確保のために企業が自主的に賃金を上げるケースが増えています。
このような状況では、最低賃金の引き上げによる雇用への影響は、従来より小さくなる可能性があります。
一方で、人手不足だからといって無制限に賃金を上げられるわけではありません。
利益を確保できなければ、事業を続けること自体が難しくなるからです。
人手不足と企業経営の両立は、日本経済の大きな課題となっています。
最低賃金だけでは賃金は上がり続けない
最低賃金は、働く人を守るために欠かせない制度です。
しかし、最低賃金だけを引き上げ続けても、日本全体の賃金が持続的に上昇するとは限りません。
企業の利益が増え、生産性が向上し、その成果として賃金が上がる仕組みが必要です。
設備投資やDX、人材育成、価格転嫁などが進まなければ、企業は高い人件費を支え続けることができません。
最低賃金政策は、こうした成長戦略と一体で考えることが重要です。
結論
最低賃金を引き上げると必ず雇用が減るという考え方は、現在では必ずしも当てはまらないと考えられています。
実際には、引き上げ幅や景気、人手不足の状況、企業の生産性など、多くの要因が影響します。
日本では人手不足が続く中で、最低賃金は働く人の生活を支えるだけでなく、人材確保や企業の生産性向上を促す役割も期待されています。
今後は「最低賃金を上げるか、上げないか」という二者択一ではなく、企業が継続して賃上げできる環境を整えることが、持続的な賃金上昇への鍵になるでしょう。
参考
日本経済新聞 2026年7月30日 朝刊
最賃1176円、現実路線の4.9%決着 政府目標後退、中小にも配慮