日本経済が金利のある世界に移行するなか、奨学金制度のあり方が改めて問われています。
日本学生支援機構の有利子奨学金である第2種奨学金では、2026年夏に利率固定方式の利率が上限の3%に達しました。
大学卒業時に数百万円の奨学金を抱える学生にとって、卒業後の返還負担は結婚、住宅購入、子育てなどの人生設計に影響する可能性があります。
従来の奨学金制度は、借りた金額を卒業後に一定期間で返還する仕組みを基本としてきました。
しかし、卒業後の所得には大きな個人差があります。
高い所得を得られる人もいれば、非正規雇用や失業、病気などによって十分な所得を得られない人もいます。
所得が低い場合でも毎月一定額の返還を求める仕組みでは、生活費を圧迫する可能性があります。
こうした問題に対応する方法として注目されているのが、所得連動型の奨学金返還制度です。
英国やオーストラリアでは、卒業後の所得に応じて返還額が決まる仕組みが導入されています。
日本でも所得連動返還方式が存在しますが、海外の制度とは対象や仕組みが異なります。
さらに、大学院修士課程などを対象とした授業料後払い制度も始まっています。
今回は、英国とオーストラリアの制度を比較しながら、日本の奨学金制度が今後どのように変わるべきかを考えます。
従来の奨学金制度が抱える問題
日本学生支援機構の貸与型奨学金には、無利子の第1種奨学金と有利子の第2種奨学金があります。
いずれも、学生が在学中に資金を借り、卒業後に返還する仕組みです。
従来の返還方法では、貸与総額などに応じて返還期間と毎月の返還額が決まります。
例えば、300万円を借り、20年間で返還する場合を考えます。
利息を考慮しなければ、毎月の返還額は1万2,500円です。
利率3%の元利均等返済を仮定すると、毎月の返済額は約1万6,600円になります。
ただし、これは金利負担を説明するためのモデル計算であり、日本学生支援機構の実際の返還条件とは異なる場合があります。
重要なのは、卒業後の所得が異なっていても、同じ借入条件であれば基本的な返還負担が同じになることです。
例えば、年収600万円の人と年収250万円の人では、毎月1万6,600円の負担の重さが異なります。
年収600万円の場合、年間返還額約20万円は年収の約3.3%です。
一方、年収250万円の場合には約8%になります。
実際には税金や社会保険料が差し引かれるため、手取り所得に対する負担割合はさらに大きくなります。
所得が低い人ほど奨学金返還の負担が重くなるという問題があるのです。
所得連動返還制度とは何か
所得連動返還制度とは、卒業後の所得に応じて奨学金の返還額を決める仕組みです。
従来の制度では、借入額や返還期間を基準として毎月の返還額が決まります。
一方、所得連動型では、本人の所得が返還額を決める重要な基準になります。
例えば、一定の所得水準を超えた場合に、その超過部分の一定割合を返還する仕組みが考えられます。
所得が低い期間には返還額が少なくなり、所得が高くなれば返還額が増えます。
失業などによって所得が一定水準を下回った場合には、返還額がゼロになる制度もあります。
この仕組みの利点は、返還額が本人の返還能力に応じて変化することです。
例えば、大学卒業後に年収250万円だった人が、10年後に年収500万円になった場合を考えます。
所得連動型であれば、所得が低い時期の負担を抑え、所得が増えた段階で返還額を増やすことができます。
これにより、若い時期の生活費や結婚資金などを確保しやすくなる可能性があります。
ただし、所得連動型は返還義務をなくす制度ではありません。
所得が低い期間が長く続く場合には、返還期間が長期化する可能性があります。
また、利息や残高調整の仕組みによっては、返還総額が増える場合もあります。
所得連動型の評価では、毎月の負担だけでなく、長期的な返還総額も考える必要があります。
英国では所得に応じて返還額が決まる
英国では、大学授業料の負担を支える仕組みとして、所得連動型の学生ローンが利用されています。
ただし、英国の制度は地域や入学年度、ローンの種類によって異なります。
特にイングランドでは、学生ローンの返還額が卒業後の所得に応じて決まる仕組みが整備されています。
例えば、一定の所得基準を超えた部分に対して、所定の割合で返還額を計算する方式があります。
所得が基準以下であれば、原則として返還義務が発生しません。
所得が増えれば、返還額も増えます。
また、一定の条件のもとで、長期間経過後に残債が免除される仕組みもあります。
この制度の特徴は、大学進学時に必要な授業料を学生が直ちに全額負担するのではなく、卒業後の所得に応じて負担することです。
一方、英国の制度にも課題があります。
学生ローンには利息が発生し、残高が大きくなる場合があります。
また、所得が高い人と低い人では、最終的な返還総額が異なります。
所得水準や返還期間によっては、元金を全額返還する前に残債が免除される人もいます。
そのため、制度の運営には政府の財政負担が伴います。
英国の制度は、大学進学時の資金負担を軽減する一方、学生ローンの費用を本人と政府がどのように分担するかという問題を抱えているのです。
オーストラリアでは税制と連動した返還制度を採用
オーストラリアでも、大学授業料の負担を支える所得連動型の制度が導入されています。
代表的なのが、HECS HELPと呼ばれる仕組みです。
これは、対象となる学生の授業料負担について、政府が一定の条件のもとで資金を提供し、卒業後などに所得に応じて返還する制度です。
返還額は所得水準によって決まり、一定の基準を下回る場合には強制返還が発生しません。
所得が増加すると、返還負担も増える仕組みです。
また、返還は税制と連動して管理されています。
税務当局が所得情報を把握することで、所得に応じた返還を実施しやすくなっています。
この点は、日本の制度を考えるうえでも重要です。
日本でも所得税や住民税の課税情報を通じて、個人の所得を把握する仕組みがあります。
こうした情報を適切に活用できれば、所得に応じた奨学金返還制度を運営しやすくなる可能性があります。
ただし、オーストラリアの制度にも課題があります。
返還残高は物価などに応じて調整される仕組みがあり、物価上昇が残高に影響する場合があります。
また、所得が低い期間が長い人は、返還が長期化する可能性があります。
制度の持続可能性を確保するためには、本人の負担軽減と政府の財政負担のバランスが重要になります。
日本にも所得連動返還方式がある
日本でも、所得連動返還方式はすでに導入されています。
日本学生支援機構では、2017年度以降の第1種奨学金の採用者などを対象として、所得連動返還方式が設けられています。
この方式では、前年の所得などに応じて毎月の返還額が決まります。
所得が低い場合には、定額返還方式よりも毎月の負担が小さくなる可能性があります。
一方、所得が高くなれば返還額が増え、返還期間が短くなる場合もあります。
ただし、日本の所得連動返還方式には重要な特徴があります。
英国やオーストラリアの制度と異なり、所得が一定水準以下になった場合でも、原則として最低返還月額が設定されています。
また、対象となる奨学金にも制限があります。
第2種奨学金については、現行の所得連動返還方式の対象となっていません。
そのため、有利子奨学金を利用している学生が、卒業後の所得に応じて返還額を自動的に調整できるわけではありません。
所得が減少した場合には、減額返還制度や返還期限猶予制度などを利用する必要があります。
日本の所得連動返還方式は、海外の制度と同じ名称であっても、仕組みが完全に一致しているわけではないことに注意が必要です。
大学院修士課程では授業料後払い制度が始まった
日本では、大学院修士課程などを対象とした授業料後払い制度も導入されています。
この制度は、大学院進学時の授業料負担を軽減し、卒業後の所得に応じて返還する仕組みです。
対象となる学生について、日本学生支援機構が授業料相当額を学校に支払い、学生は修了後に所得に応じて返還します。
一定の要件を満たす場合には、生活費奨学金を併せて利用することもできます。
この制度の目的は、経済的な理由によって大学院進学を諦める学生を減らすことです。
大学院では、学部卒業後さらに2年間程度の教育費や生活費が必要になる場合があります。
また、大学院に進学することで、就職して給与を得る機会を先送りすることになります。
こうした負担が大学院進学を妨げる要因になることがあります。
授業料後払い制度によって、進学時の資金負担を軽減できれば、高度な専門知識を身につける機会が広がります。
ただし、授業料が無償になるわけではありません。
学生には卒業後の返還義務があり、制度に定められた保証料などの負担にも注意が必要です。
また、利用対象や申込条件は制度上の要件によって定められています。
授業料後払い制度は、教育費を免除する制度ではなく、負担する時期と返還方法を変える制度として理解することが重要です。
所得連動型制度は結婚や住宅購入を後押しするのか
所得連動型の奨学金制度には、若い世代の家計負担を軽減する効果が期待されています。
例えば、大学卒業後の年収が250万円の人を考えます。
毎月2万円の奨学金を返還している場合、年間返還額は24万円です。
一方、所得連動型によって毎月の返還額が1万円になれば、年間負担は12万円になります。
差額の12万円を貯蓄や生活費に充てることができます。
5年間では60万円です。
この資金は、結婚資金や住宅購入の頭金、出産費用などの準備に役立つ可能性があります。
また、失業や育児休業などによって所得が減少した場合に、返還額が自動的に調整される仕組みであれば、家計の急激な悪化を防ぎやすくなります。
ただし、毎月の返還額が減少しても、借入残高が減る速度は遅くなります。
返還期間が長期化することで、住宅ローンなどの借入審査に影響する可能性もあります。
そのため、所得連動型制度の導入によって、結婚や住宅購入が必ず増えるとは限りません。
制度の効果を評価する際には、短期的な家計負担の軽減だけでなく、長期的な債務負担も考える必要があります。
所得連動型制度には財政負担の問題がある
所得連動型の奨学金制度を拡充する場合、政府の財政負担も重要な課題になります。
所得が低い人の返還額を減らす場合、奨学金の回収期間が長くなる可能性があります。
さらに、一定期間が経過した後に残債を免除する制度を導入すれば、回収できない金額が発生します。
その負担を誰が負うのかという問題が生じます。
例えば、100万人が平均300万円の奨学金を利用した場合、貸与元金の総額は3兆円になります。
仮に、そのうち10%に相当する3,000億円が最終的に回収されないとすれば、その財源をどのように確保するかが課題になります。
もちろん、これは制度の財政構造を説明するための仮定であり、実際の回収不能額を示すものではありません。
教育は社会全体の生産性を高める投資であるため、一定の公的負担には合理性があります。
しかし、政府の財政には限界があります。
奨学金制度の拡充によって将来の税負担が増える可能性もあります。
所得連動型制度を持続可能なものにするためには、本人負担、公的負担、返還期間、利息、残債免除の条件などを総合的に設計する必要があります。
所得情報の把握と個人情報保護も課題になる
所得連動型制度を適切に運営するためには、利用者の所得を正確に把握する必要があります。
日本では、給与所得者については勤務先が年末調整を行い、自営業者などについては確定申告によって所得を申告する仕組みがあります。
また、住民税の課税情報などを通じて、所得状況を確認できます。
こうした情報を奨学金返還に活用することで、所得に応じた返還額を決定できます。
しかし、所得情報は重要な個人情報です。
制度の運営にあたっては、利用目的を明確にし、適切な情報管理を行う必要があります。
また、前年所得を基準とする場合には、現在の所得状況との間に時間差が生じることがあります。
例えば、前年は年収500万円だった人が、今年失業して収入がなくなった場合を考えます。
前年所得だけを基準に返還額を決めると、現在の返還能力を適切に反映できない可能性があります。
そのため、所得が急減した場合の特例や、迅速な返還額変更の仕組みも必要になります。
所得連動型制度を導入する際には、所得情報の正確性だけでなく、家計の変化に柔軟に対応できる制度設計が重要です。
日本の奨学金制度はどのように改革すべきか
英国とオーストラリアの制度から、日本が学べることは少なくありません。
第一に、奨学金返還を卒業後の所得と結びつけることです。
現在の日本では、第1種奨学金について所得連動返還方式が設けられていますが、第2種奨学金には適用されていません。
有利子奨学金についても、所得に応じた返還方法を検討する余地があります。
第二に、所得が低い期間の負担を軽減することです。
返還額を減らすだけでなく、一定の所得水準以下では返還を一時停止できる仕組みなども検討課題になります。
第三に、返還期間と残債の取扱いを明確にすることです。
所得が低い人ほど返還期間が長期化し、老後まで奨学金債務を抱えることになれば、新たな問題が生じます。
一定の条件を満たす場合に残債を免除する仕組みを設けるかどうかも、重要な政策課題です。
第四に、制度の簡素化が必要です。
現在の日本には、給付型奨学金、第1種奨学金、第2種奨学金、減額返還制度、返還期限猶予制度、所得連動返還方式、授業料後払い制度など、さまざまな仕組みがあります。
制度が複雑になれば、利用者が自分に適した支援を選ぶことが難しくなります。
学生や保護者が理解しやすい制度にすることも、教育機会の公平性を確保するうえで重要です。
結論
日本の奨学金制度は、大学進学時に必要な資金を貸し付け、卒業後に返還する仕組みを中心として発展してきました。
しかし、金利のある世界への移行によって、有利子奨学金の返還負担は増加しています。
また、卒業後の所得には大きな個人差があり、同じ返還額でも家計への影響は異なります。
こうした問題に対応する仕組みとして、所得連動型の奨学金返還制度が注目されています。
英国やオーストラリアでは、所得に応じて返還額が変わる仕組みが導入されており、所得が低い時期の負担を軽減する役割を果たしています。
日本でも所得連動返還方式や大学院の授業料後払い制度が導入されていますが、対象や仕組みには制約があります。
今後は、有利子奨学金を含めた所得連動型制度の拡充や、所得が急減した場合の柔軟な対応などが重要な課題になるでしょう。
ただし、所得連動型制度は、借金をなくす制度ではありません。
返還期間が長期化する可能性があり、残債免除を導入する場合には政府の財政負担も発生します。
そのため、制度改革では、学生の負担軽減と財政の持続可能性を両立させる必要があります。
教育は個人の将来所得を高めるだけでなく、社会全体の生産性や経済成長にも貢献します。
その利益が社会全体に及ぶのであれば、教育費の負担についても、学生本人だけでなく社会全体で支える仕組みを考える必要があります。
これからの奨学金制度に求められるのは、単に進学時の資金を貸し付けることではありません。
卒業後の所得や生活状況に応じて、無理なく返還できる仕組みを整えることです。
奨学金を借りたことによって人生の選択肢が狭まるのではなく、教育を受けたことによって将来の可能性が広がる社会を実現することが重要です。
日本の奨学金制度は、従来の借金を返す仕組みから、所得に応じて教育費を負担する仕組みへと、さらに進化する時期を迎えているのではないでしょうか。
参考
日本経済新聞 2026年10月12日 朝刊 「日本の奨学金、『金利ある世界』どう生きるか 識者『利率上限下げも』」
日本学生支援機構 所得連動返還方式に関する公表資料
日本学生支援機構 大学院修士段階における授業料後払い制度に関する公表資料
文部科学省 高等教育の修学支援制度に関する公表資料
英国政府 学生ローンの返還制度に関する公表資料
オーストラリア政府 高等教育ローン制度に関する公表資料