日本企業のM&Aが大きく変わり始めています。
かつて敵対的買収と呼ばれていた、買収される企業の経営陣が賛成していない状態での買収提案が増えてきました。現在は敵対的買収という言葉よりも、同意なき買収という表現が使われるようになっています。
ところが日本では、買収を提案しても相手企業が反対すると、最終的には買収を断念するケースが少なくありません。
株式会社の所有者は株主です。それなのに、なぜ買収される企業の経営陣の同意がこれほど重視されるのでしょうか。
日本企業のM&Aを理解するうえで重要な同意なき買収の仕組みを整理します。
同意なき買収とは何か
同意なき買収とは、買収される企業の取締役会から事前に賛同を得ないまま行われる買収です。
上場企業の場合、代表的な方法がTOBです。
TOBとは株式公開買い付けのことで、買収する企業が買い付け価格や期間、株式数などを公表し、市場外で株主から株式を買い集める仕組みです。
重要なのは、株式を売るかどうかを決めるのは株主だということです。
たとえば現在の株価が1000円の会社に対して、買収者が1500円でTOBをするとします。
会社の経営陣が買収に反対していたとしても、株主が1500円なら売りたいと考えて応募すれば、買収が成立する可能性があります。
つまり株式会社では、経営陣が会社の最終的な所有者ではありません。
ここが通常の企業間取引とM&Aの大きな違いです。
敵対的買収という言葉が使われなくなってきた理由
以前は経営陣が反対する買収を敵対的買収と呼ぶことが一般的でした。
しかし、この表現には問題があります。
誰に対して敵対的なのかが曖昧だからです。
買収される企業の経営陣にとっては敵対的でも、株主にとって有利な買収である可能性があります。
高い価格で株式を売却できるのであれば、株主にとって魅力的な提案になることもあります。
このため、経済産業省が2023年に公表した企業買収に関する行動指針などでは、同意なき買収という表現が使われています。
経営陣が賛成しているかどうかと、買収そのものが企業価値を高めるかどうかを分けて考える必要があるからです。
日本企業が同意を重視する理由
法律上は経営陣の同意がなくても買収できる場合があります。
それでも日本では、買収提案をした後に対象企業と協議し、最終的に賛同を得てからTOBを始めるケースが多くみられます。
背景にあるのが企業間の人間関係や取引関係です。
日本企業は取引先、金融機関、従業員、地域社会など、多くのステークホルダーとの長期的な関係を重視してきました。
そのため、強引に会社を買収したという印象が広がれば、買収企業自身の評判に影響する可能性があります。
これがレピュテーションリスクです。
さらに買収後には、対象企業の従業員と一緒に事業を運営しなければなりません。
買収に対する強い反発が残れば、その後の経営が難しくなる可能性があります。
そのため買収できるかどうかだけでなく、買収した後に経営できるかどうかまで考えて慎重になるのです。
同意がなくても買収に成功した企業がある
一方、日本でも経営陣の同意を得ないままTOBを実施した事例があります。
代表例として、伊藤忠商事によるデサントへのTOBや、コロワイドによる大戸屋ホールディングスへのTOBなどがあります。
大戸屋ホールディングスの場合、コロワイドによるTOBは2020年に成立しました。
当時は買収を巡る対立が大きく報道されました。
しかし、M&Aの評価で重要なのは買収時の騒動だけではありません。
本当に見るべきなのは、その後に企業価値がどうなったかです。
買収によって経営改革が進み、利益が増え、従業員の待遇が改善し、株主価値が高まるのであれば、買収には経済的な意味があったことになります。
同意なき買収だから悪い、友好的買収だから良い、と単純に判断することはできません。
PMIが買収の成否を決める
M&Aでは会社を買った時点で終わりではありません。
むしろ買収後から本当の仕事が始まります。
重要になるのがPMIです。
PMIとは買収後の経営統合を意味します。
経営戦略、組織、人事制度、ITシステム、店舗、調達、物流、財務などを統合し、M&Aによる効果を実際の利益につなげていきます。
同意なき買収には一つの特徴があります。
従来の経営陣とのしがらみが少ないため、大胆な改革を実行しやすい場合があることです。
不採算事業の整理、仕入れ改革、店舗改革、人事制度の変更など、従来の経営体制では難しかった改革に踏み込める可能性があります。
もちろん反発が強くなれば、逆に統合が失敗する危険もあります。
したがって同意なき買収では、通常のM&A以上にPMIの力量が問われます。
買収されるかどうかを最後に決めるのは誰なのか
M&Aは結婚に例えられることがあります。
異なる文化を持つ二つの組織が一緒になるからです。
しかし株式会社のM&Aには、結婚とは決定的に違うところがあります。
会社の経営陣だけで買収されるかどうかを決められるわけではないことです。
上場企業には多数の株主が存在します。
経営陣は会社を経営していますが、会社そのものを所有しているわけではありません。
最終的には株主が株式を売るかどうかを判断します。
だからこそ、経営陣が反対していても買収が成立する余地があります。
同時に対象企業の取締役会には、自分たちの地位を守ることではなく、企業価値や株主共同の利益を踏まえて買収提案を検討することが求められます。
日本のM&Aは変わる可能性がある
日本企業では長い間、企業同士の合意を前提とする友好的なM&Aが中心でした。
しかし上場企業に資本効率の改善や企業価値向上が強く求められるようになり、この前提は少しずつ変化しています。
買収される側の経営陣が反対しているという理由だけで、有利な買収提案を排除することが適切なのか。
逆に買収価格が高ければ、どのような買収でも認めるべきなのか。
今後はこうした議論がさらに重要になるでしょう。
同意なき買収が増えることは、単に日本企業のM&Aが欧米型になるという話ではありません。
経営者が会社を支配するという発想から、株主を含めた企業価値を基準に会社の将来を判断する方向へ変化していると考えることもできます。
結論
同意なき買収とは、買収される企業の経営陣の事前の賛同を得ずに進めるM&Aです。
日本ではレピュテーションリスクや買収後の従業員との関係を重視するため、買収提案をしても最終的には相手企業の同意を求めるケースが少なくありません。
しかし株式会社では、経営陣と会社の所有者は同じではありません。
買収価格や企業価値向上策を見て、最終的に株式を売るかどうかを判断するのは株主です。
そしてM&Aの本当の評価は、友好的だったか敵対的だったかではなく、買収後に企業価値を高められたかによって決まります。
同意なき買収が日本で定着するかどうかは、買収そのものの成否以上に、その後のPMIによって企業、従業員、株主にどのような成果をもたらせるかにかかっているのではないでしょうか。
参考
日本経済新聞 2026年8月24日朝刊 農耕民族のM&A 及び腰の同意なき買収