物価が上昇して家計が苦しくなったとき、すべての支出が同じように減るわけではありません。
食料品を買わないわけにはいきません。電気やガスも必要です。家賃や住宅ローンも支払わなければなりません。
そのため家計が最初に削りやすいのは、旅行、レジャー、外食、趣味など、生活するうえで直ちに必要ではない支出です。
2025年には、年収500万円から600万円の中間所得層で実質的な可処分所得がコロナ禍前より1割以上減少しました。
この層では実質消費支出も1割前後減少していますが、食料への支出はほぼ維持されています。
一方、教養や娯楽に関するサービスへの支出は大きく減っています。
中間層の手取り減少は、家計の中で支出の優先順位を変え始めているのです。
生活必需品とは何か
家計の支出は、大きく考えると生活必需品への支出と、それ以外の選択的な支出に分けることができます。
生活必需品とは、日常生活を維持するために欠かすことが難しい商品やサービスです。
食料、住居、電気、ガス、水道、一定の衣服や医療などが代表的です。
もちろん何を必需品と考えるかは家庭によって違います。
しかし、所得が減ったからといって食事をゼロにしたり、電気を使わなくしたりすることはできません。
そのため生活必需品への支出には、所得が減少しても大幅には減らしにくいという特徴があります。
家計に余裕がなくなったときにも一定額を支出し続けなければならないのです。
選択的支出とは何か
これに対して、家計の判断によって比較的調整しやすい支出があります。
旅行、レジャー、映画、コンサート、外食、趣味、習い事などです。
こうした支出は生活の豊かさや満足度を高めますが、家計が苦しくなった場合には延期したり、回数を減らしたりすることができます。
例えば年に二回行っていた旅行を一回にすることができます。
毎月行っていた外食を二カ月に一回にすることもできます。
趣味の商品を買い替える時期を延ばすこともできます。
こうした選択的支出は、家計の可処分所得が減少したときの調整弁になりやすいのです。
食料品価格が上がると家計の自由度が下がる
物価高で特に家計への影響が大きいのが食料品です。
食料は価格が上昇しても購入を完全にやめることができません。
もちろん安い商品へ切り替えたり、購入量を多少減らしたりすることはできます。
それでも人が生活する以上、一定の食費は必要です。
そのため食料品価格が上昇すると、家計の支出総額に占める食費の割合が高くなりやすくなります。
例えば毎月30万円を消費している家庭があり、食費が8万円だったとします。
食料品価格の上昇によって同じような食生活を維持するために9万円必要になれば、ほかの支出に回せるお金は1万円減ります。
所得が同じなら、どこか別の支出を削らなければなりません。
そこで旅行や娯楽などが削減対象になりやすくなります。
中間層では食料への支出が維持されている
今回の記事で紹介された分析では、年収500万円から550万円と550万円から600万円の世帯について、実質的な消費支出は2019年と比べ1割前後減少しました。
ところが食料への実質支出を見ると、0.3%減から0.7%増程度で、大きく減少していません。
光熱や水道への支出も1.5%から4.3%減にとどまっています。
つまり家計全体では支出を減らしているのに、生活に欠かせない分野への支出は大きく削れていないということです。
そのしわ寄せが別の支出に向かいます。
典型的なのが教養や娯楽に関するサービスです。
旅行や娯楽は大きく削られる
同じ中間所得層では、教養や娯楽に関するサービスへの実質支出が2019年と比べ12.6%から23.1%減少しました。
さらに年収600万円から1200万円の世帯でも、軒並み2割前後減っています。
所得が比較的高い世帯でも選択的な消費を抑えていることになります。
家計にとって旅行やレジャーは重要な楽しみですが、食費や光熱費とは性格が違います。
旅行は来年に延期できます。
映画やコンサートへ行く回数も減らせます。
外食を自炊に変えることもできます。
物価高によって家計の余裕がなくなるほど、こうした支出が先に削られるのです。
エンゲル係数とは何か
こうした家計の変化を見る指標の一つがエンゲル係数です。
エンゲル係数とは、家計の消費支出に占める食料費の割合です。
総務省統計局も、家計調査におけるエンゲル係数を消費支出に占める食料費の割合として公表しています。
2025年の二人以上の世帯では、一世帯当たり一カ月の消費支出は31万4001円でした。
このうち食料は8万9754円で、消費支出に占める割合は28.6%でした。
家計支出のおよそ3割が食料に向かっている計算になります。
食料品価格が上昇して食費の割合が高くなれば、その分だけほかの商品やサービスへ回せるお金が圧迫されやすくなります。
エンゲル係数が上がると何が起こるのか
仮に毎月30万円を使える家庭を考えてみます。
食費が7万5000円なら、残り22万5000円を住居、光熱費、通信費、衣服、教育、旅行、娯楽などに使うことができます。
ところが食費が9万円になれば、残りは21万円になります。
食べる量を簡単に減らせないのであれば、差額の1万5000円をほかの支出から削らなければなりません。
住宅費や光熱費も簡単には減らせません。
結果として削減しやすい旅行、外食、娯楽などに負担が集中します。
エンゲル係数の上昇は単に食費が高くなったことを示すだけではありません。
家計が自由に選択できる消費の余地が小さくなっている可能性を示す指標でもあるのです。
中間層の消費縮小が企業にも影響する
この問題は個々の家庭だけでは終わりません。
中間層は日本の消費市場の大きな部分を占めています。
一世帯が旅行を一回減らした程度なら、日本経済への影響はほとんどありません。
しかし多くの世帯が一斉に旅行、外食、レジャー、衣服、家電などへの支出を減らせば状況は変わります。
旅行会社、ホテル、飲食店、娯楽施設、小売業などの売上に影響します。
企業の売上が伸びなければ、設備投資や賃上げにも慎重になります。
それがさらに家計所得の伸びを弱くする可能性があります。
中間層の消費縮小が続けば、家計だけではなく企業活動にも影響が広がっていくのです。
賃上げだけでは個人消費が回復しない場合がある
そこで重要になるのが実質的な手取りです。
企業が給与を5%引き上げても、物価が同じ程度上昇すれば購買力はほとんど増えません。
さらに所得税、住民税、社会保険料の負担が増えれば、手取りの伸びは額面給与の伸びより小さくなります。
家計が将来の社会保障や老後にも不安を感じていれば、増えた手取りをすべて消費するとも限りません。
賃上げがそのまま個人消費の増加につながるわけではないのです。
重要なのは名目賃金が増えることではなく、物価上昇を上回る形で家計の実質的な購買力が増えることです。
中間層の消費は景気を左右する
日本経済を持続的に成長させるためには、企業収益だけでなく個人消費も重要です。
特に人数の多い中間層がどれだけ自由にお金を使えるかが大きな意味を持ちます。
食料品や光熱費だけに支出が集中しても、消費市場全体が活性化するわけではありません。
旅行へ行く。
外食を楽しむ。
趣味の商品を買う。
家電を買い替える。
こうした選択的な消費まで広がって初めて、多くの産業にお金が循環します。
中間層の消費縮小は、家計の節約という小さな話に見えて、実際には日本経済の内需に関わる大きな問題なのです。
結論
物価高によって家計の購買力が低下しても、食料や光熱費などの生活必需品への支出を大幅に減らすことはできません。
そのため家計は、旅行、外食、レジャー、趣味などの選択的な支出を優先的に削ります。
実際、年収500万円から600万円の中間所得層では、コロナ禍前と比べ実質消費支出が1割前後減る一方、食料への支出はほぼ維持され、教養や娯楽に関するサービスへの支出が大きく減っています。
これは単なる節約ではありません。
生活必需品の値上がりによって、家計が自由に使えるお金が圧迫されていることを意味します。
そして人数の多い中間層が同時に選択的消費を減らせば、旅行、外食、小売、娯楽など幅広い産業に影響します。
賃上げによって日本経済を成長させるためには、額面給与を増やすだけでは十分ではありません。
中間層が生活必需品を支払った後にも自由に消費できる実質的な手取りを増やせるかどうかが、個人消費回復の重要な鍵になります。
参考
日本経済新聞 2026年8月19日朝刊 中間層の手取り実質1割減 昨年、コロナ前比
総務省統計局 2026年2月6日 家計調査報告 2025年平均