同じように忙しい職場で働いていても、仕事に前向きに取り組める人と、疲れ切って仕事への意欲を失ってしまう人がいます。
その違いを労働時間だけで説明することはできません。
仕事量が多くても、自分で仕事の進め方を決めることができ、困ったときには上司や同僚から支援を受けられ、努力をきちんと評価される職場であれば、働く意欲を維持できる場合があります。
反対に、それほど長時間働いていなくても、仕事の裁量がなく、周囲からの支援もなく、自分の仕事が評価されない状態が続けば、疲弊する可能性があります。
こうした仕事の負担と、それに対応するための資源との関係から働く人の心理状態を考えるのが「ジョブデマンドリソースモデル」です。
ジョブデマンドリソースモデルとは何か
ジョブデマンドリソースモデルとは、仕事を大きく「ジョブデマンド」と「ジョブリソース」という二つの側面から捉える考え方です。
ジョブデマンドとは、仕事をするうえで継続的な努力を必要とし、心身のエネルギーを消費させる仕事上の要求や負担です。
一方、ジョブリソースとは、仕事を達成することを助け、仕事の負担を軽減し、成長や意欲を支える仕事上の資源です。
仕事には必ず何らかの負担があります。
したがって、ジョブデマンドをすべてなくすことが目的ではありません。
重要なのは、仕事から求められる負担に対して、それに対応するための十分な資源があるかどうかです。
ジョブデマンドとは何か
ジョブデマンドには、さまざまなものがあります。
分かりやすいのが仕事量です。
短期間に大量の仕事を処理しなければならなければ、それだけ多くのエネルギーが必要になります。
長時間労働も負担になります。
それ以外にも、
厳しい納期
大きな責任
難しい顧客への対応
仕事上の対人関係
頻繁な割り込み
複雑な判断
役割の曖昧さ
なども仕事上の負担になり得ます。
たとえば、勤務時間はそれほど長くなくても、一日中顧客から強い感情をぶつけられる仕事であれば、心理的なエネルギーを大きく消耗する可能性があります。
労働時間だけでは仕事の負担を測れない理由です。
ジョブリソースとは何か
一方のジョブリソースとは、仕事をするうえで利用できる資源です。
代表的なものに、仕事の裁量があります。
自分で仕事の方法や順番を決められれば、状況に応じて負担を調整することができます。
上司からの支援も重要です。
難しい問題が起きたときに相談できる上司がいれば、一人で問題を抱え込まずに済みます。
同僚からの支援も同様です。
さらに、
仕事に必要な情報
適切な人員
仕事をするための設備
上司からのフィードバック
成果に対する承認
成長できる機会
などもジョブリソースになります。
給与だけではなく、仕事を円滑に進めたり、本人の成長や意欲を支えたりするものを幅広く資源として考えます。
仕事量が多くても燃え尽きない場合
仕事量が多ければ、必ずバーンアウトするわけではありません。
たとえば、大きなプロジェクトを担当している社員を考えてみます。
仕事量は多く、責任も重い。
その意味ではジョブデマンドは高い状態です。
しかし、自分で仕事の進め方を決めることができる。
必要な人員も確保されている。
困ったときには上司が支援してくれる。
成果について適切なフィードバックを受けられる。
仕事を通じて新しい能力を身につけられる。
こうしたジョブリソースが十分にあれば、高い仕事上の要求が単なる負担ではなく、やりがいや成長機会になる場合があります。
「忙しいけれど充実している」という状態です。
同じ仕事量でも疲弊する場合
反対に、同じ仕事量でもジョブリソースが不足していれば状況は変わります。
仕事量は多い。
しかし、自分で仕事の順番を変えることもできない。
人手が足りない。
困っても上司は助けてくれない。
必要な情報も十分に与えられない。
成果を出しても評価されない。
この状態では、仕事から要求されるものに対して、それを処理するための資源が不足しています。
すると社員はエネルギーを消耗し続けます。
それが長期化すれば、疲労やバーンアウトにつながる可能性があります。
企業が社員の負担を考えるときには、仕事量だけでなく「その仕事を行うための資源を十分に渡しているか」という視点が必要です。
仕事には二つの流れがある
ジョブデマンドリソースモデルでは、大きく二つの心理的な流れを考えることができます。
一つは、過度なジョブデマンドによってエネルギーが消耗していく流れです。
仕事の要求が高い状態が続けば、心身が疲弊し、バーンアウトなどにつながる可能性があります。
もう一つは、ジョブリソースによって仕事への意欲が高まる流れです。
裁量がある。
周囲から支援される。
仕事を評価される。
成長する機会がある。
こうした資源があれば、仕事への動機づけが高まり、ワークエンゲイジメントにつながりやすくなります。
つまり、同じ職場の中でも、疲弊を生む仕組みと意欲を生む仕組みの両方が存在しているのです。
負担を減らすだけでは十分ではない
社員が疲れているのであれば、仕事量を減らせばよいと考えるかもしれません。
もちろん、過剰な仕事量を減らすことは重要です。
しかし、それだけでは働く意欲まで高まるとは限りません。
仕事量が少なくなっても、
自分で何も決められない
上司から評価されない
成長する機会がない
周囲との関係が悪い
という状態が続けば、仕事への熱意は高まりにくいでしょう。
ジョブデマンドを減らすことは疲弊を防ぐ対策です。
一方、ジョブリソースを増やすことは、仕事への意欲やエンゲイジメントを支える対策になります。
両方を見る必要があります。
裁量は重要なリソースになる
特に重要なジョブリソースの一つが、仕事の裁量です。
仕事量が多くても、自分で優先順位を決められれば負担を調整できます。
反対に、細かな作業方法まで上司から指示され、自分で判断できなければ、同じ仕事量でも負担感が大きくなることがあります。
ただし、裁量を与えることと仕事を丸投げすることは違います。
必要な情報も権限も与えず、「あとは自分で考えて」と任せるだけでは、むしろ負担を増やす可能性があります。
目標や役割を明確にしたうえで、その達成方法について本人が判断できる環境をつくることが重要です。
上司の支援もリソースになる
管理職の役割も重要です。
上司は仕事を指示するだけの存在ではありません。
部下にとって重要なジョブリソースにもなります。
困ったときに相談できる。
優先順位について助言してくれる。
他部署との調整を行ってくれる。
必要な権限を与えてくれる。
成果を具体的に認めてくれる。
こうした上司がいれば、高い仕事上の要求にも対応しやすくなります。
反対に、仕事だけを与え、問題が起きたときには部下の責任にする上司では、部下のジョブデマンドを増やす存在になってしまう可能性があります。
静かな退職との関係
ジョブデマンドが高く、ジョブリソースが不足した状態が続けば、社員は仕事によってエネルギーを消耗します。
最初は頑張って対応するかもしれません。
しかし、十分な支援や回復の機会がなければ、やがて仕事との距離を取るようになる可能性があります。
余計な仕事を引き受けない。
新しい提案をしない。
周囲の仕事に関わらない。
必要最低限の役割だけを果たす。
こうした静かな退職のような行動が、自分のエネルギーを守るための方法になる場合があります。
特に、仕事の要求を自分では変えられない場合には、自分が仕事に投入するエネルギーを減らすことで対応しようとする可能性があります。
人員不足は二重の問題を生む
人手不足が続く日本企業では、このモデルから考えるべき問題が増えています。
人員が減れば、一人当たりの仕事量が増えます。
つまりジョブデマンドが高まります。
同時に、周囲から支援してくれる人も減る可能性があります。
これはジョブリソースの減少です。
仕事の要求が増える一方で、それを支える資源が減るという二重の問題が起こります。
さらに管理職自身も多くの仕事を抱えていれば、部下を支援する余裕を失います。
すると部下のジョブリソースがさらに減少する可能性があります。
単純な人員数の問題ではなく、職場全体の負担と支援の構造を見る必要があります。
人的資本経営では仕事の設計も重要になる
人的資本経営では、社員の能力を高めるための教育や研修が注目されます。
しかし、社員の能力を高めても、過大な仕事を与え、十分な支援をしなければ、その能力を持続的に発揮することはできません。
人的資本を生かすためには、
どの程度の仕事を求めるのか
どの程度の裁量を与えるのか
どのような支援を提供するのか
どのように成果を評価するのか
といった仕事そのものの設計が重要です。
社員の能力だけを高めるのではなく、能力を発揮できる環境も同時につくる必要があります。
結論
ジョブデマンドリソースモデルとは、仕事をジョブデマンドとジョブリソースという二つの側面から捉える考え方です。
ジョブデマンドとは、仕事量、責任、納期、対人関係など、心身のエネルギーを必要とする仕事上の要求です。
ジョブリソースとは、仕事の裁量、上司や同僚からの支援、フィードバック、承認、成長機会など、仕事を進めたり意欲を維持したりするための資源です。
仕事量が多いから必ず燃え尽きるわけではありません。
高い仕事上の要求があっても、それに対応できる十分な資源があれば、仕事を挑戦や成長の機会として捉えられる場合があります。
反対に、仕事の要求が高いのに支援や裁量が不足すれば、社員は疲弊し、仕事との心理的な距離を広げる可能性があります。
それが静かな退職として現れることもあります。
企業が社員に高い成果を求めるのであれば、それに見合う仕事上の資源も提供する必要があります。
人に仕事を与えるだけではなく、その仕事を続けられるだけの支援も一緒に渡すことが、働く人のエネルギーと組織の力を長期的に維持するために重要になるでしょう。
参考
日本経済新聞 2026年8月19日朝刊 「静かな退職」どう防ぐか(下) 心理的な背景 見極め対応を