遺言は、個人の意思を実現するための重要な法的手段です。
しかし実務の現場では、「遺言どおりに実行した結果、想定外の税負担が生じる」という問題が少なからず発生しています。
いわゆる“税務事故”と呼ばれる現象です。
これは単なるミスではなく、制度の構造に起因する問題です。
遺言の作成と税務の処理が分断されているため、意図と結果が乖離するのです。
本稿では、遺言が税務事故を生む背景にある「制度の断絶構造」を整理します。
遺言は「法務」、税務は「別世界」という構造
遺言は民法に基づく制度であり、その主眼は「意思の実現」にあります。
一方、税務は税法に基づき、「課税の公平性」を目的としています。
この二つの制度は、目的も設計思想も異なります。
しかし実務では、同じ一つの行為(財産の承継)に同時に作用します。
ここに問題があります。
遺言が法的に有効であっても、税務上は全く別の評価がなされることがあります。
このズレこそが税務事故の出発点です。
意思どおりに分けたのに税負担が偏る理由
典型的なトラブルの一つが、「公平に分けたはずなのに税負担が偏る」というケースです。
例えば、不動産と現金を複数の相続人に分ける場合、遺言では価値を均等にしたとしても、税務上の評価や課税方法は異なります。
・不動産には含み益が存在する
・換価の有無で課税タイミングが変わる
・取得費の引継ぎによって将来の税負担が変動する
この結果、形式上は平等でも、実質的な負担は不均衡となります。
遺言は「分け方」を決めますが、「税負担までは調整しない」という構造的限界があります。
みなし譲渡課税という“見えない地雷”
税務事故の中心にあるのが、みなし譲渡課税です。
遺言の作成時には意識されにくいにもかかわらず、実行段階で大きな影響を及ぼします。
特に次のようなケースで問題となります。
・不動産をそのまま遺贈する
・株式を特定の受遺者に集中させる
・公益法人への寄付を含む遺言
これらはいずれも、所得税の発生要因となり得ます。
遺言は「売却していない前提」で設計されることが多いですが、税務は「売却したもの」として扱う場合があります。
この認識のズレが、典型的な税務事故を生みます。
専門家の分断が事故を拡大させる
制度の断絶は、専門家の分断としても現れます。
・遺言作成は弁護士、司法書士、行政書士が中心
・税務は税理士が担当
それぞれの専門領域が明確である一方で、横断的な設計が行われにくい構造があります。
結果として、
・法的には完璧な遺言
・税務的には問題を含む設計
という状態が生まれます。
これは個々の専門家の能力の問題ではなく、制度設計そのものが分断されていることに起因します。
「実行時」にしか問題が表面化しない
税務事故の厄介な点は、遺言作成時には問題が見えにくいことです。
多くの場合、次のタイミングで初めて顕在化します。
・相続発生後の申告段階
・遺言執行時の資産移転
・税務調査
この時点ではすでに遺言の内容を変更することはできません。
つまり、「設計ミスが修正不能な状態で発覚する」という構造になっています。
制度の断絶をどう埋めるか
この問題を回避するためには、法務と税務を一体として設計する視点が必要です。
具体的には次の対応が考えられます。
・遺言作成段階で税務シミュレーションを行う
・資産の種類ごとに課税関係を整理する
・換価を前提とした設計を検討する
・専門家間の連携体制を構築する
特に重要なのは、「遺言=法務文書」ではなく、「資産承継設計」として捉えることです。
結論
遺言が税務事故を生む原因は、制度の分断にあります。
民法と税法はそれぞれ独立して設計されており、その接続部分は利用者や専門家に委ねられています。
その結果、意思どおりの承継が税務上の不利益を伴うことがあります。
遺言を真に機能させるためには、法務と税務を横断した設計が不可欠です。
制度の断絶を理解し、それを前提に設計することが、税務事故を防ぐ唯一の方法といえます。
参考
日本経済新聞 2026年3月26日 朝刊
私見卓見「遺贈寄付、運用の透明性を高めよ」今藤里子
国税庁 相続税法基本通達
国税庁 所得税法関係通達