「来年値上がりするなら、今のうちに買った方が得だ」
そう分かっていても、実際には買えないことがあります。
例えば現在100万円の商品があり、来年110万円になると予想しているとします。
十分な預貯金がある人なら、購入を前倒しできるかもしれません。
しかし手元に20万円しかなく、必要なお金を借りることもできなければ、今すぐ100万円の商品を購入することはできません。
将来値上がりすると予想しているかどうかと、その予想に基づいて実際に行動できるかどうかは別の問題なのです。
こうした家計の消費行動を理解するうえで重要なのが流動性制約です。
流動性制約とは何か
流動性制約とは、家計が現在使えるお金に制約があり、将来の所得を見込んでいても、希望するだけの消費を現在行えない状態をいいます。
例えば現在の手取りが月25万円で、預貯金もほとんどない家計を考えます。
来年には昇給して手取りが30万円になることが分かっていたとしても、現在使えるお金が突然増えるわけではありません。
将来の所得を自由に現在へ持ってくることができなければ、現在の25万円を中心に生活する必要があります。
将来は所得が増えると分かっていても、現在の消費を十分に増やせないわけです。
将来の所得と現在使えるお金は違う
恒常所得仮説やライフサイクル仮説では、家計は現在だけでなく将来の所得も考えながら消費すると説明されます。
しかし現実には、将来受け取る給料をそのまま今日の買い物に使うことはできません。
例えば1年後に100万円のボーナスを受け取る予定でも、その100万円は現在の銀行口座にはありません。
現在100万円の商品を購入したければ、預貯金を取り崩すか、誰かからお金を借りる必要があります。
どちらもできなければ、将来所得が増えると分かっていても購入できません。
理論上の将来所得と、現在自由に使える資金には違いがあるのです。
預貯金があれば購入を前倒ししやすい
流動性制約を考えるときに重要なのが預貯金です。
例えば2つの家計があり、どちらも来年100万円の自動車を購入する予定だったとします。
さらに来年には自動車価格が110万円になると予想しています。
一方の家計には500万円の預貯金があります。
もう一方の家計には20万円しかありません。
500万円の預貯金がある家計なら、値上がり前に100万円を支払って購入を前倒しすることができます。
しかし預貯金が20万円しかない家計は、買った方が得だと分かっていても簡単には購入できません。
同じインフレ期待を持っていても、金融資産の違いによって行動が変わるのです。
借り入れができれば将来所得を現在に移せる
預貯金がなくても、お金を借りられれば購入を前倒しできる場合があります。
例えば現在100万円の自動車を購入し、ローンを利用して将来の給料から返済するとします。
これは将来の所得を使って、現在消費する仕組みと考えることができます。
住宅ローンも同じです。
多くの人は住宅価格と同じだけの現金を最初から持っているわけではありません。
将来何十年にもわたって得る所得から返済することを前提として、現在住宅を購入します。
信用市場があることで、家計は将来所得の一部を現在の消費へ移すことができるのです。
誰でも自由に借りられるわけではない
ただし、必要なお金を誰でも自由に借りられるわけではありません。
金融機関は、借り手が返済できるかどうかを審査します。
所得、勤務状況、既存の借入金、返済期間などさまざまな条件が確認されます。
借りたい金額の全額を借りられるとは限りません。
場合によっては融資を受けられないこともあります。
また、借り入れが可能でも金利が高ければ利用をためらうでしょう。
そのため預貯金が少なく借り入れも難しい家計ほど、流動性制約が強くなる可能性があります。
値上がりすると分かっていても買えない
ここでインフレ期待との関係を考えてみます。
現在30万円の冷蔵庫が、来年33万円になると予想しているとします。
十分な預貯金がある家計なら、
「どうせ来年買うなら、3万円安い今のうちに買おう」
と考えることができます。
一方、現在の生活費を支払うだけで精いっぱいの家計ならどうでしょうか。
来年33万円になると分かっていても、現在30万円を支払う余裕がありません。
インフレ期待は同じでも、消費を前倒しできる家計とできない家計が生まれます。
異時点間の代替にも制約がある
以前説明した異時点間の代替では、家計は現在と将来の消費を入れ替えると考えました。
来年の消費を今年へ前倒ししたり、今年の消費を来年へ延期したりします。
しかし、将来消費を現在へ移すには資金が必要です。
十分な預貯金があるか、借り入れが利用できなければなりません。
つまり異時点間の代替は、すべての家計が自由にできるわけではありません。
流動性制約が強い家計では、将来の価格や所得について予想が変わっても、現在の消費を大きく変えられないことがあります。
所得が入った瞬間に消費が増えることがある
流動性制約が強い家計では、将来所得より現在手元にある現金が消費に大きく影響します。
例えば来月10万円の給付金を受け取ることが確実に分かっていたとします。
理論上は将来所得が10万円増えるため、今月から少し消費を増やしてもよさそうです。
しかし借り入れができず預貯金も少なければ、実際に給付金が振り込まれるまで消費を増やせません。
そして10万円が口座に入った直後に、必要だった家電や衣料品を購入するかもしれません。
所得を受け取る時期そのものが消費の時期を左右するわけです。
所得が低い家計ほど影響を受ける場合がある
一般に、所得や金融資産に余裕がない家計ほど流動性制約の影響を受けやすいと考えられます。
生活費に対して十分な預貯金があれば、収入が一時的に減っても貯蓄を取り崩して消費を維持できます。
一方、預貯金がほとんどなければ、その月の所得が減ったときに消費もすぐ減らさなければならない場合があります。
反対に臨時収入が入ったときには、それまで先送りしていた消費を行うことがあります。
そのため現在所得の変化に対する消費の反応も、家計の資産状況によって異なります。
インフレ期待への反応が家計によって違う理由
インフレ期待が高まったときの家計行動を考える場合にも、流動性制約は重要です。
十分な預貯金を持つ家計なら、値上がり前に自動車や家電を購入することができます。
将来消費を現在へ前倒しするわけです。
一方、流動性制約の強い家計は、同じ値上がりを予想していても購入を前倒しできません。
むしろ食料品や光熱費の上昇を心配して、現在の支出をさらに減らす可能性もあります。
同じインフレ期待の上昇でも、一方では消費が増え、もう一方では消費が増えない、あるいは減ることさえあるのです。
経済政策の効果も家計によって違う
流動性制約は、給付金や減税などの政策を考える場合にも重要です。
例えばすべての家計に10万円の給付が行われたとします。
十分な資産を持つ家計は、10万円を受け取ってもすぐには使わず、そのまま貯蓄するかもしれません。
一方、預貯金が少なく購入を先送りしていた家計は、給付を受け取ると生活用品などの購入に使う可能性があります。
同じ10万円でも消費への影響は家計によって違います。
政策の効果を考えるときにも、平均的な家計だけではなく、誰が流動性制約に直面しているのかを見ることが重要なのです。
結論
流動性制約とは、現在使えるお金に限界があるため、将来の所得を見込んでいても希望するだけの消費を現在行えない状態です。
将来値上がりすると分かっていれば、理屈の上では今のうちに購入した方が得になることがあります。
しかし十分な預貯金がなく、借り入れもできなければ、購入を前倒しすることはできません。
そのため同じインフレ期待を持つ家計でも、資産や借り入れ能力によって消費行動が異なります。
十分な資金を持つ家計は将来消費を現在へ移せても、流動性制約の強い家計は現在の所得の範囲内で生活せざるを得ないことがあります。
家計の消費を考えるときには、「将来をどう予想しているか」だけを見るのでは十分ではありません。
その予想に基づいて実際に行動できるだけのお金を現在持っているのか。
将来所得を担保にお金を借りられるのか。
家計の期待と実際の消費をつなぐうえで、現在使える資金という制約を考えることが重要なのです。
参考
日本経済新聞 2026年8月31日 朝刊 家計の「期待」と経済(1) 将来の視点が左右する消費