「これから物価が上がる」と聞けば、値上がりする前に買っておこうと考える人がいます。
ところが、まったく逆の行動をする人もいます。
「食料品や電気代がもっと高くなるなら、今のうちから節約しよう」と考える家計です。
インフレ期待が高まると、将来の値上がりを見越した購入の前倒しによって現在の消費が増えることがあります。
一方、将来の生活費増加への不安が強くなれば、現在の消費を減らして貯蓄を増やすこともあります。
なぜ同じインフレ期待の上昇から、正反対の行動が生まれるのでしょうか。
実質所得の低下とは何か
インフレが家計に与える影響を考えるときに重要なのが実質所得です。
例えば毎月の手取りが30万円の家計を考えてみます。
物価が変わらなければ、30万円で購入できる商品やサービスの量も大きく変わりません。
ところが物価が5パーセント上昇し、給料がまったく増えなかったらどうでしょうか。
手取りは30万円のままでも、これまで30万円で買えたものを同じようには買えなくなります。
名目上の所得は変わっていませんが、お金の実質的な購買力は低下しています。
これが実質所得の低下です。
将来の実質所得が減ると予想すれば現在から節約する
実際に物価が上昇してから家計が節約を始めるとは限りません。
「これから物価は5パーセント上がるが、給料はほとんど増えない」と予想したとします。
まだ現在の価格も給料も変わっていません。
それでも家計は、将来の購買力が低下すると考えることができます。
そこで将来の生活費増加に備えて、現在から外食や旅行などを減らし、預貯金を増やすことがあります。
つまりインフレ期待の上昇そのものが、現在の節約につながる可能性があるのです。
生活必需品の値上がりは家計に大きく影響する
インフレといっても、何が値上がりするのかによって家計への影響は異なります。
特に影響が大きいのが生活必需品です。
食料品、電気、ガス、水道、ガソリンなどは、価格が上がったからといって簡単に購入をやめることができません。
例えば毎月の手取りが30万円で、食費や光熱費などの生活必需品に15万円使っている家計を考えます。
これらの支出が値上がりによって17万円になれば、自由に使えるお金は2万円減ります。
家計全体の収入が変わっていなくても、外食、旅行、衣料品、娯楽などに使える金額が減るのです。
必需品を減らせなければ他の消費を減らす
食料品が値上がりしたからといって、食事の回数を大幅に減らすことは難しいでしょう。
電気料金が上がったからといって、電気をまったく使わない生活も現実的ではありません。
生活に必要な支出には、削減できる範囲に限界があります。
そのため必需品の価格が上昇すると、家計は他の支出を減らすことがあります。
例えば外食を月4回から2回にする。
旅行を延期する。
洋服の購入を控える。
家電の買い替えを先延ばしする。
こうして物価上昇による負担を調整します。
インフレによって消費総額が必ず増えるわけではなく、支出の中身が変わることも重要です。
将来への不安が予備的貯蓄を増やす
インフレ期待の上昇は、前回までに説明した予備的貯蓄とも関係します。
「来年は食料品がもっと高くなるかもしれない」
「電気料金も上がるかもしれない」
「住宅ローンの金利も上がるかもしれない」
こうした不安が重なると、家計は何が起きても対応できるように手元のお金を増やそうとします。
現在の所得が減っていなくても、将来への不確実性が大きくなれば消費を控えて貯蓄する可能性があります。
物価高への不安が、予備的貯蓄を増やすわけです。
賃金が物価についていくかが重要になる
家計にとって重要なのは物価だけではありません。
賃金がどうなるかも重要です。
例えば物価が3パーセント上昇しても、賃金が5パーセント上昇すれば、家計の購買力が必ず低下するとは限りません。
一方、物価が3パーセント上昇するのに賃金が1パーセントしか増えなければ、実質的な購買力は低下します。
そのため同じ3パーセントのインフレ期待でも、「給料も十分上がる」と考える家計と、「給料はほとんど上がらない」と考える家計では反応が違います。
インフレ期待だけでなく、賃金への期待も消費行動を左右します。
所得が低い家計ほど影響を受けやすい場合がある
物価上昇の影響は、すべての家計で同じではありません。
所得が比較的低い家計では、収入に占める食費や光熱費などの生活必需品の割合が高くなりやすい傾向があります。
例えば月20万円の手取りから15万円を生活必需品に使う家計と、月50万円の手取りから20万円を生活必需品に使う家計を比べます。
生活必需品が2万円値上がりした場合、前者にとって2万円の負担増は非常に大きなものになります。
自由に使える5万円のうち2万円が失われるからです。
一方、後者は残りの余裕資金が比較的大きいため、同じ値上がりでも対応しやすい可能性があります。
このためインフレ期待への反応は、所得や資産の状況によって異なります。
預貯金の多さによっても反応が違う
家計がどの程度の金融資産を持っているかも重要です。
十分な預貯金があれば、多少の物価上昇が予想されても、すぐに消費を減らす必要はないかもしれません。
一方、預貯金がほとんどなく、毎月の給与をほぼすべて生活費に使っている家計では、将来の値上がりが大きな不安になります。
同じインフレ期待を持っていても、家計の経済状況によって行動が変わるわけです。
値上がり前に買う人と節約する人が同時に存在する
ここまで考えると、インフレ期待と消費の関係が単純ではないことが分かります。
例えば自動車を購入する予定があり、十分な預貯金を持っている家計なら、値上がり前に購入を前倒しするかもしれません。
現在の消費は増えます。
一方、預貯金が少なく、食品や光熱費の上昇を心配している家計なら、外食や旅行を減らすかもしれません。
現在の消費は減ります。
どちらも「将来物価が上がる」と予想しています。
しかし、その期待に対する行動は正反対です。
家計によって反応が違うことが重要
経済全体の消費を考える場合には、平均的な家計だけを見るのでは十分ではありません。
年齢、所得、預貯金、住宅ローン、家族構成などによって家計の状況は異なります。
購入を予定している商品も違います。
そのためインフレ期待が1パーセント上昇したとしても、すべての家計が同じように消費を増減させるわけではありません。
ある家計は消費を前倒しし、別の家計は節約します。
インフレ期待が消費に与える影響を研究するときに、単純な関係だけでは判断できない理由の一つです。
結論
インフレ期待が高まると消費が減ることがあるのは、家計が将来の実質所得低下や生活費の増加を心配するからです。
特に食料品や光熱費などの生活必需品が値上がりすると予想すれば、家計は将来の負担増加に備えて現在から外食や旅行などを減らすことがあります。
さらに物価高への不安が予備的貯蓄を増やし、現在の消費を弱くすることもあります。
ただし、すべての家計が同じように行動するわけではありません。
十分な資産を持ち、近いうちに自動車や家電を購入する予定の家計なら、値上がり前に購入を前倒しする可能性があります。
一方、生活費に余裕のない家計では節約が優先されるかもしれません。
インフレ期待が高まったときに消費が増えるのか減るのか。
その答えを考えるには、物価だけではなく、賃金、所得、資産、そして家計が置かれている状況まで見る必要があるのです。
参考
日本経済新聞 2026年8月31日 朝刊 家計の「期待」と経済(1) 将来の視点が左右する消費