日本では、病気やけがをしたとき、多くの人が健康保険証などを使って医療機関を受診します。
窓口で支払うのは医療費の全額ではなく、原則として一定割合です。
私たちにとって当たり前に見えるこの仕組みを支えているのが国民皆保険です。
国民皆保険とは、国民が何らかの公的医療保険に加入し、必要なときに保険診療を受けられる仕組みです。
その大きな特徴は、健康な人だけを選んで加入させたり、大きな病気になった人を制度から排除したりするのではなく、社会全体で病気やけがのリスクを分担するところにあります。
国民皆保険とは何か
国民皆保険とは、原則としてすべての国民が何らかの公的医療保険制度によってカバーされる仕組みです。
会社員などは勤務先を通じて健康保険に加入します。
公務員などには共済制度があります。
自営業者や退職者など、勤務先の健康保険などに加入していない人は国民健康保険に加入することになります。
75歳以上の人などは後期高齢者医療制度の対象になります。
加入する制度は立場や年齢などによって異なりますが、国民全体を公的医療保険でカバーするという考え方は共通しています。
これによって、病気になったときに医療費の全額を患者本人が負担しなくても医療を受けられる仕組みが成り立っています。
国民皆保険は1961年に実現した
現在では公的医療保険に加入していることが当たり前になっていますが、日本で国民皆保険が実現したのは1961年です。
それ以前にも、会社員などを対象とした健康保険や、一部の地域における国民健康保険などは存在していました。
しかし、すべての国民が公的医療保険によってカバーされていたわけではありません。
公的医療保険に加入していない人にとって、病気になったときの医療費は非常に大きな負担になりました。
そこで制度の対象が広げられ、1961年に全国で国民健康保険事業が実施されたことなどによって国民皆保険が実現しました。
現在の日本の医療制度につながる大きな転換点です。
なぜ全員が保険に加入する必要があるのか
保険制度は、多くの人が参加してリスクを分担することで成り立ちます。
健康な人は、その年にはほとんど医療費を使わないかもしれません。
一方、大きな病気になった人には数百万円、場合によってはそれ以上の医療費がかかることがあります。
誰が病気になるのかは事前には分かりません。
そこで多くの人が保険料を出し合い、病気やけがをした人の医療費を支えます。
現在健康な人も、将来病気になる可能性があります。
そのときには、別の人たちが負担している保険料などによって自分の医療が支えられます。
国民皆保険は、このリスク分担を社会全体の規模で行う仕組みと考えることができます。
大きな病気でも医療を受けやすい
国民皆保険の大きな意味は、病気になったときの経済的な不安を軽減することにあります。
例えば、治療に100万円の医療費がかかったとします。
公的医療保険がなければ、原則として100万円を患者自身が負担しなければなりません。
公的医療保険の対象となる診療であれば、患者が窓口で負担するのは原則として医療費の一定割合です。
残りは公的医療保険から医療機関に支払われます。
そのため、手元に医療費の全額を用意できない人でも必要な治療を受けやすくなります。
所得や資産によって医療へのアクセスが大きく左右されることを防ぐ役割があるのです。
高額療養費制度がさらに家計を守る
ただし、医療費が非常に高額になれば、一定割合の自己負担だけでも大きな金額になります。
例えば、高額な手術や抗がん剤治療などでは医療費そのものが非常に高くなることがあります。
そこで重要になるのが高額療養費制度です。
高額療養費制度では、1カ月の医療費の自己負担が一定の上限を超えた場合、その超過部分について負担が軽減されます。
自己負担の上限は年齢や所得などによって異なります。
つまり、日本の公的医療保険には二段階の家計防衛機能があります。
まず、医療費全額ではなく一定割合を患者が負担する仕組みがあります。
さらに、その自己負担が高額になりすぎた場合には、高額療養費制度によって負担を抑えます。
長期治療では高額療養費制度の意味が大きい
高額療養費制度が特に重要になるのが、長期間にわたって高額な治療を続ける場合です。
がんなどでは、手術を一度受ければ治療が終了するとは限りません。
薬物療法などを何カ月、何年と続ける場合があります。
医療費の自己負担が毎月続けば、家計への影響は非常に大きくなります。
公的医療保険と高額療養費制度が組み合わされることで、病気によって家計が急激に悪化するリスクを一定程度抑えることができます。
国民皆保険の価値は、風邪などの日常的な診療だけを見ていては分かりません。
人生を左右するような大きな病気になったときに、その意味がより明確になります。
誰でも同じ医療費になるわけではない
国民皆保険という言葉から、誰でも医療費の負担が同じになると考えるかもしれません。
しかし、そうではありません。
年齢や所得などによって患者の自己負担割合や高額療養費の上限は異なります。
また、公的医療保険の対象外となる自由診療などについては、原則として患者が全額を負担します。
国民皆保険とは、すべての医療を無料で受けられる制度ではありません。
必要な保険診療を社会全体で支え、患者本人にも一定の負担を求める仕組みです。
国民皆保険には大きなお金が必要になる
国民皆保険を維持するには巨額の財源が必要です。
医療機関に支払われる医療費は、患者が窓口で支払う自己負担だけで賄われているわけではありません。
現役世代などが支払う保険料や税金なども重要な財源です。
つまり、医療機関で3割などを支払ったとき、残りの部分が消えているわけではありません。
その費用を社会全体で負担しています。
公的医療保険によって患者個人の負担を抑えるということは、その分を別の誰かが負担することでもあります。
ここを理解することが国民皆保険を考えるうえで重要です。
高齢化によって制度維持が難しくなる
日本では高齢化が進んでいます。
一般的に高齢になるほど医療を必要とする機会は増えます。
一方、少子化によって現役世代の人数は減少しています。
医療を必要とする人が増える一方で、保険料を負担する現役世代が減少すれば、一人ひとりの負担は重くなりやすくなります。
さらに医療費を増やす要因は高齢化だけではありません。
新しい医薬品や高度な医療技術が登場すれば、これまで治療できなかった病気を治療できる可能性が高まります。
これは患者にとって大きなメリットです。
しかし、高額な医薬品や医療技術が広く利用されるようになれば、医療保険財政への負担も増えます。
保険料を払う意味
健康なときには、毎月支払う健康保険料を負担に感じることがあります。
医療機関をほとんど利用しない人であれば、「自分は保険料を払うばかりだ」と感じるかもしれません。
しかし、公的医療保険は自分が支払った保険料を自分専用に積み立てる制度ではありません。
現在病気になっている人の医療を健康な人が支えます。
そして現在健康な人が将来病気になれば、その時点で健康な人たちに支えられます。
国民皆保険は、この支え合いを全国規模で行う仕組みです。
保険料は現在の医療費を支えるだけでなく、自分が将来病気になったときにも医療を受けられる社会そのものを維持するための負担と考えることができます。
制度を維持するには負担と給付の両方を考える必要がある
国民皆保険を将来も維持するためには、給付だけを考えることはできません。
患者の自己負担を低くすれば、保険料や税金による負担が増える可能性があります。
反対に、保険料負担を抑えれば、患者負担や給付範囲などを見直さなければならない可能性があります。
医療費そのものを効率化することも必要です。
重要なのは、誰か一つの世代や立場だけに負担を押しつけるのではなく、どの程度の医療を社会全体で保障し、そのためにどの程度の負担を分かち合うのかを考えることです。
国民皆保険は、負担なしで維持できる仕組みではありません。
結論
国民皆保険とは、原則としてすべての国民が何らかの公的医療保険によってカバーされ、病気やけがをしたときに必要な保険診療を受けられる仕組みです。
日本では1961年に国民皆保険が実現し、現在の医療制度の基盤となっています。
普段は医療機関をほとんど利用しない人にとって、その価値は実感しにくいかもしれません。
しかし、大きな病気になり、数百万円規模の医療費が必要になったとき、公的医療保険の意味は大きくなります。
さらに高額療養費制度があることで、自己負担が家計に与える影響も一定程度抑えられています。
一方、この仕組みを維持するためには保険料や税金などの負担が必要です。
高齢化や医療の高度化が進む日本では、医療を受けられる安心と、その制度を支える負担を切り離して考えることはできません。
自分が健康なときには誰かの医療を支え、自分が病気になったときには社会から支えられる。
国民皆保険とは、誰もが大きな病気になる可能性を持っているからこそ、そのリスクを社会全体で分担する仕組みなのです。
参考
日本経済新聞 2026年8月31日朝刊 多様性 私の視点 多世代の暮らし、実感できる社会を