企業の取締役に求められる専門性として、ファイナンスの重要性が高まっています。
日本総合研究所の調査によると、日本の主要100社でファイナンスのスキルを持つ取締役と監査役の割合は2026年に43%となりました。
ところで、ファイナンスに詳しいとは具体的に何を意味するのでしょうか。
会社のお金に関する知識というと、決算書を読めることや会計に詳しいことを思い浮かべるかもしれません。
もちろん会計の知識は重要です。
しかし、会計とファイナンスは同じものではありません。
会計が会社の経済活動を数字として記録し、その結果を明らかにする役割を持つのに対して、ファイナンスでは、その資金をどのように調達し、どこへ投資し、どのように企業価値を高めるかを考えます。
取締役に求められるファイナンススキルを理解するには、この違いを知ることが重要です。
会計とファイナンスは何が違うのか
会計では、会社が行った経済活動を一定のルールに従って記録し、決算書などにまとめます。
売上はいくらだったのか。
利益はいくら出たのか。
会社がどのような資産を持っているのか。
借入金はいくらあるのか。
こうした会社の経営成績や財政状態を数字によって明らかにします。
これに対してファイナンスでは、会社のお金をどのように使えば企業価値を高められるのかを考えます。
新しい工場へ100億円を投資するべきか。
別の会社を500億円で買収するべきか。
銀行から借りるのか、株式を発行して資金を集めるのか。
稼いだ利益を成長投資に回すのか、株主へ配当するのか。
こうした将来に向けた意思決定が中心になります。
会計が会社で起きた経済活動を数字で捉えることを中心とするのに対して、ファイナンスはその数字を使いながら将来の経営判断を考えるものと整理すると分かりやすくなります。
利益が出る投資なら何でもよいわけではない
ファイナンスの考え方を理解するうえで重要なのが、利益が出るだけでは投資として十分とは限らないという点です。
たとえば会社が100億円を新しい事業へ投資したとします。
その事業から毎年利益が出れば、一見すると成功しているように見えます。
しかし、会社が使っている100億円にもコストがあると考えるのがファイナンスです。
銀行から借りた資金なら金利がかかります。
株主から提供された資金についても、株主は一定の収益を期待しています。
これが資本コストという考え方です。
事業が利益を出していても、その収益性が資本コストを下回っていれば、資本を効率的に使っているとはいえません。
取締役には単に黒字か赤字かを見るだけではなく、投じた資本に対して十分な収益を生み出しているのかという視点が求められます。
ここに会計だけではなくファイナンスの知識が必要になる理由があります。
資本市場の知識とは何か
上場企業の取締役にとって重要になるのが、資本市場についての知識です。
会社は銀行だけから資金を調達しているわけではありません。
株式や社債などを通じて資本市場から資金を調達することもあります。
さらに上場企業には株価があります。
投資家は会社の将来性や収益性、財務状況などを評価しながら株式を売買しています。
そのため経営者は、会社内部の利益だけを見ていればよいわけではありません。
投資家が会社をどのように評価しているのか。
なぜ自社の株価が低いのか。
資本コストはどの程度なのか。
どのような株主が自社株を保有しているのか。
市場は自社の経営戦略をどのように見ているのか。
こうしたことも考える必要があります。
特に東京証券取引所が2023年に資本コストや株価を意識した経営を要請して以降、日本企業でも資本市場を意識した経営の重要性が一段と高まっています。
取締役会にも、株式市場や投資家の考え方を理解できる人材が必要になっているのです。
企業価値評価とは何か
ファイナンススキルの重要な分野の一つが企業価値評価です。
会社や事業には、どれくらいの価値があるのか。
この問いは、さまざまな経営判断に関係します。
代表的なのがM&Aです。
たとえば、ある会社を500億円で買収する機会があったとします。
買収対象の会社が毎年利益を出しているからといって、500億円という価格が適切とは限りません。
将来どれくらいのキャッシュフローを生み出すのか。
事業にはどの程度のリスクがあるのか。
買収によってどの程度の相乗効果が期待できるのか。
こうしたことを考えながら企業価値を評価します。
企業価値が300億円程度しかない会社を500億円で買えば、買収後に業績が伸びても高値づかみになる可能性があります。
そのため取締役会がM&Aを監督するには、企業価値評価についての知識が重要になります。
将来のキャッシュフローを見る
企業価値を考えるうえでは、現在の利益だけではなく将来生み出されるキャッシュフローが重要になります。
現在大きな利益を出していても、市場が縮小して将来の利益が減少する事業であれば、価値は低下する可能性があります。
逆に現在は利益が小さくても、将来大きく成長する事業には高い価値が付くことがあります。
ファイナンスでは、将来生み出されるキャッシュフローと、その実現に伴うリスクなどを考えながら現在の価値を考えます。
この考え方はM&Aだけでなく、設備投資や新規事業への投資判断にも利用されます。
今期の利益がいくら増えるのかだけではなく、長期間にわたってどれだけの価値を生み出す投資なのかを考えるのです。
資本政策とは何か
ファイナンススキルには、資本政策についての知識も含まれます。
会社が事業を行うには資金が必要です。
その資金を銀行借入で調達するのか。
社債を発行するのか。
新しい株式を発行するのか。
会社が保有している現金を使うのか。
さまざまな選択肢があります。
それぞれコストやリスクが異なります。
借入金を増やせば一定の利息負担が生じ、返済も必要になります。
一方、株式による資金調達では返済義務はありませんが、新株発行によって既存株主の持分が希薄化することがあります。
会社の財務状況や事業リスクなどを考えながら、どのような資金調達方法が適切なのかを判断する必要があります。
これが資本政策の重要な部分です。
配当や自社株買いもファイナンスの問題になる
会社が稼いだ利益をどう使うかも重要なファイナンスの問題です。
利益を成長投資へ回す方法があります。
M&Aに使うこともできます。
借入金を返済することもできます。
配当として株主へ還元することもできます。
自社株買いを行うこともできます。
どれか一つが常に正しいわけではありません。
高い収益を期待できる投資先がある会社なら、利益を成長投資に使うことが企業価値向上につながる可能性があります。
一方、十分な投資先がないのに多額の現金をため続ければ、資本効率が低下する可能性があります。
その場合には配当や自社株買いによって株主へ資金を返すという選択肢もあります。
限られた資金をどこへ振り向けるのかというキャピタルアロケーションは、取締役会が監督すべき重要な経営課題です。
会計に詳しいだけでは足りない理由
もちろん、ファイナンスを理解するためにも会計の知識は重要です。
決算書を読めなければ、会社の財務状況を正確に把握することは難しくなります。
しかし、決算書を正確に読めることと、会社の資本をどのように使えば企業価値を高められるか判断できることは同じではありません。
会計では、現在までの経営活動が数字としてどのように表れているかを理解します。
ファイナンスでは、その数字を出発点として、これからどこへ資金を投じるのかを考えます。
過去と現在を正確に把握する会計。
将来の投資や資金調達、企業価値を考えるファイナンス。
両方の知識が組み合わされることで、取締役会はより質の高い経営判断を行えるようになります。
ファイナンス人材を置くだけでは意味がない
取締役会にファイナンスの専門家を入れる企業が増えています。
しかし、専門家を一人入れれば資本効率が自動的に改善するわけではありません。
重要なのは、その知識を実際の経営判断に生かすことです。
大型M&Aの価格は妥当なのか。
低収益事業を持ち続ける合理性はあるのか。
成長投資へどれだけ資金を配分するのか。
多額の現預金を保有し続ける必要があるのか。
配当や自社株買いはどの程度が適切なのか。
こうした問題についてファイナンスの視点から議論することで、初めて専門性が取締役会の実効性につながります。
スキルマトリックスにファイナンスという項目があることより、その能力が経営判断に使われていることの方が重要なのです。
結論
ファイナンススキルとは、単に決算書を読んだり会計処理を理解したりする能力ではありません。
会社が持つ資本をどのように調達し、どこへ投資し、どのように企業価値を高めるのかを考えるための知識です。
そこには資本市場、資本コスト、企業価値評価、M&A、資本政策、株主還元など幅広い分野が含まれます。
会計が会社の経済活動を数字によって把握する重要な仕組みであるのに対して、ファイナンスではその数字を使いながら将来の資金配分を考えます。
日本企業でも資本コストや株価を意識した経営が求められるようになり、取締役会におけるファイナンス人材の重要性が高まっています。
ただし、本当に重要なのはファイナンスの専門家を取締役にすること自体ではありません。
限られた資本をどの事業へ配分すれば企業価値を高められるのかを取締役会で議論し、実際の経営判断につなげることです。
財務に強い取締役会とは、会計の数字を理解できる取締役会というだけではありません。
その数字から会社の将来に向けた資本の使い方を考えられる取締役会なのです。
参考
日本経済新聞 2026年8月30日 朝刊 財務精通の役員4割超 主要企業、7年で倍