財務省と金融庁が、2027年度の税制改正要望に個人向け国債への税制優遇を盛り込む方向で検討しています。
背景にあるのは、個人の資産形成を後押しするという目的だけではありません。日本銀行が大量に保有してきた国債を減らしていくなかで、国債を誰が買うのかという国の資金調達にもかかわる大きな問題があります。
日本の家計は1100兆円を超える現預金を保有しています。その一部が個人向け国債へ移るだけでも、国債市場には大きな買い手が生まれます。
一方で、銀行から見れば預金が流出することになります。個人向け国債への税制優遇は、家計の資産運用だけでなく、銀行経営や地域金融、さらには国の財政運営にも影響する可能性があります。
個人向け国債とは何か
個人向け国債とは、国が個人投資家向けに発行する国債です。
現在は、変動10年、固定5年、固定3年の三つの商品があります。1万円から購入でき、発行から1年が経過すれば原則として中途換金することもできます。
個人向け国債の大きな特徴は、安全性の高さです。
国が元本と利息の支払いを行うため、一般的な企業の社債などと比べると信用リスクが極めて低い金融商品です。
特に変動10年は、市場金利の動きを反映して半年ごとに適用金利が変わります。そのため、金利上昇局面では受け取れる利息も増えやすい仕組みになっています。
長く続いた超低金利時代には、個人向け国債の金利も非常に低く、預金との違いがほとんどありませんでした。
ところが金利のある世界が戻ったことで状況が変わりました。
預金より個人向け国債の金利が高くなっている
個人向け国債が注目されている最大の理由は、預金との金利差です。
2026年9月発行分の固定5年の個人向け国債は年2.06%となり、過去最高の水準となりました。
これに対して、メガバンクの5年物定期預金は年1%程度です。
単純に比較すると、個人向け国債には定期預金のおよそ2倍の金利が付くことになります。
10年前には、個人向け国債と預金の金利差はほとんどありませんでした。
ところが市場金利が上昇するなか、国債金利の上昇が個人向け国債には比較的早く反映される一方、銀行の預金金利の引き上げはそれより緩やかです。
このため、安全資産を求める個人にとって、預金から国債へ資金を移す合理性が高まっています。
実際、2025年度の個人向け国債の発行額は6兆1526億円となり、19年ぶりの高水準となりました。
2026年4月から8月も前年同期より66%以上増えています。
税制優遇がなくても、すでに家計のお金は国債へ動き始めていると考えることができます。
個人向け国債の税優遇とは何か
現在検討されている税制優遇については、具体的な制度が決まったわけではありません。
財務省と金融庁は税制改正要望で、詳細を決めずに今後の検討を求める事項要望とする方向です。
議論されている代表的な案の一つが、相続税の負担を軽減する仕組みです。
例えば高齢者が保有する預金を個人向け国債へ移し、その国債について一定の相続税優遇を認めれば、高齢者の金融資産を国債へ誘導する効果が期待できます。
もう一つ議論されているのが、個人向け国債をNISAの対象にする案です。
現在、国債はNISAの対象ではありません。
仮に対象になれば、個人向け国債から受け取る利子について一定の非課税効果を持たせるような制度設計が議論される可能性があります。
ただし、どのような税制になるのかは今後の議論次第です。
なぜ政府は個人に国債を買ってほしいのか
税制優遇を検討する背景には、国債の買い手を増やしたいという事情があります。
これまで日本国債の巨大な買い手だったのが日本銀行です。
日銀は大規模な金融緩和政策のもとで大量の国債を購入してきました。
しかし金融政策の正常化に伴い、日銀は国債買い入れを縮小しています。
日銀が国債を買わなくなれば、その分を誰かが購入しなければなりません。
そこで注目されているのが家計です。
2026年3月末時点で、日本の家計が保有する現預金は1126兆円あります。
これに対して家計が保有する国債は約20兆円です。
金融資産全体に占める国債の割合は1%にも届きません。
つまり、巨大な現預金のほんの一部が国債へ移動するだけでも、国債市場にとって大きな資金になります。
10年間で100兆円が動く可能性もある
興味深いのが、家計から国債への資金移動の規模です。
ニッセイ基礎研究所は、NISAなどの税制優遇が導入されることなどを前提として、10年間で100兆円程度が国債へ流入する可能性があると試算しています。
100兆円という金額は非常に大きく見えます。
しかし、家計の現預金が約1100兆円あることを考えると、その1割弱です。
日本の家計金融資産の特徴は、現金と預金への偏りです。
その一部を株式や投資信託へ移す政策が、これまでの貯蓄から投資へでした。
今後はそこに、預金から国債へという新しい資金移動が加わる可能性があります。
NISAに国債を入れることには慎重論もある
もっとも、個人向け国債への税制優遇には反対意見もあります。
特に議論になりそうなのがNISAです。
NISAは、家計の長期的な資産形成を後押しし、貯蓄から投資への流れを促す制度として拡充されてきました。
一方、個人向け国債は元本割れのリスクが極めて小さく、預金に近い安全資産です。
そのため、
預金から国債へ移すことまで貯蓄から投資と呼べるのか
という問題があります。
さらに、国債だけに特別な税制優遇を設ければ、預金や他の金融商品との公平性も問題になります。
税制によって特定の商品へ資金を誘導することが適切なのかという議論も避けられません。
銀行にとっては預金流出という問題になる
個人向け国債が急速に増えると、銀行には別の問題が発生します。
銀行預金から個人向け国債へ資金が移る可能性があるからです。
銀行にとって預金は単なる顧客の金融資産ではありません。
企業や個人に融資するための重要な資金源です。
特に地方銀行では、個人預金が預金全体の7割近くを占める場合があります。
そのため個人向け国債へ大規模な資金移動が起これば、地方銀行ほど影響を受けやすくなります。
預金を維持するためには、銀行も預金金利を引き上げなければならなくなるかもしれません。
そうなれば銀行の資金調達コストは上昇します。
つまり個人向け国債の税制優遇は、国債市場だけでなく、銀行の預金金利にも影響する可能性があります。
家計にとっては安全資産の選び方が変わる
これまで日本では、安全に保有したいお金は銀行預金に置くという考え方が一般的でした。
しかし金利上昇によって、その常識が変わり始めています。
例えば同じ5年間お金を運用する場合でも、定期預金と個人向け国債で1%程度の金利差があれば、長期間では受取利息にかなりの差が生まれます。
さらに国債に税制優遇が加われば、その差は一段と広がる可能性があります。
そうなると家計の安全資産は、
預金だけで保有する
という考え方から、
預金と個人向け国債を使い分ける
という考え方へ変わっていく可能性があります。
預金には決済や生活資金としての利便性があります。
一方、すぐに使う予定のない資金については、より金利の高い個人向け国債を利用するという選択肢があります。
両者は競争関係にありますが、役割そのものは同じではありません。
結論
個人向け国債への税制優遇は、単なる個人投資家向けの優遇策ではありません。
その背景には、日銀が国債買い入れを縮小するなかで、家計を新しい国債の買い手に育てたいという政策上の事情があります。
日本の家計には1100兆円を超える現預金があります。その一部が国債へ移動するだけでも、国債市場には巨大な資金が流れ込みます。
一方で、そのお金は銀行から見れば預金の流出です。
個人向け国債への税制優遇が本格的に導入されれば、家計の資産運用だけでなく、銀行の預金獲得競争、地方銀行の経営、国債市場、さらには国の財政運営まで変える可能性があります。
これまで日本では、家計金融資産を巡る政策の中心は貯蓄から投資へでした。
これからはそれに加えて、預金から国債へという新しい資金移動が重要になるかもしれません。
2027年度税制改正で注目すべきなのは、税金がどれだけ安くなるかだけではありません。
1100兆円を超える家計の現預金を、国債市場へどこまで動かそうとしているのか。
そこまで見ると、個人向け国債の税制優遇が日本の金融市場全体にかかわる政策であることが見えてきます。
参考
日本経済新聞 2026年8月21日 朝刊 個人向け国債に税優遇 財務省など要望へ、与党には慎重論
日本経済新聞 2026年8月21日 朝刊 個人向け国債 預金より運用有利に
日本経済新聞 2026年8月21日 朝刊 家計資産、国債シフトの芽