高級老人ホームでは、入居時に1億円や2億円を超える前払金を支払うことがあります。
これほど大きなお金を支払えば、本人が亡くなったときの相続財産にも大きな影響を与えます。
例えば2億円の現預金を持っていた人が、その2億円を老人ホームの入居一時金として支払った場合、死亡時にも2億円の財産がそのまま残っているわけではありません。
一方で、入居一時金を支払ったから2億円がすべて消えてしまうとも限りません。
死亡時に未償却部分が残っていれば、契約に基づいて返還金が発生する場合があります。
老人ホームと相続の関係を考えるときには、現預金、利用権、前払金の償却、返還金を分けて考える必要があります。
現預金が入居一時金に変わるとはどういうことか
まず2億円の現預金を持っている人を考えてみます。
老人ホームへ入居せず、そのまま2億円を預金として保有した状態で亡くなれば、原則としてその預金は相続財産になります。
相続人は遺産分割などを経て預金を引き継ぎます。
一方、その人が生前に2億円を老人ホームの前払金として支払えば、銀行口座から2億円がなくなります。
代わりに本人は、契約に基づいて老人ホームの居室を利用し、生活することになります。
ここで重要なのは、2億円の現預金が2億円の不動産に変わったわけではないことです。
将来の居住などの対価として支払われ、入居期間に応じて消化されていく性格を持っています。
マンション購入とは相続時の姿が違う
同じ2億円を使っても、マンションを購入する場合とは大きく異なります。
2億円でマンションを購入すれば、現預金は減りますが、代わりに不動産を所有します。
本人が死亡したときには、そのマンションが相続財産になります。
相続人は一定の手続きを経て取得し、住んだり売却したりすることができます。
一方、利用権方式の老人ホームでは、2億円を支払っても一般に居室の所有権を取得するわけではありません。
本人が死亡すれば、本人を対象とした利用契約は終了するのが一般的です。
子どもがその部屋をマンションのように相続して売却できるわけではありません。
この違いは非常に重要です。
前払金は時間とともに償却される
老人ホームの前払金には、将来の家賃相当額などをあらかじめ支払う性格を持つものがあります。
そのため、入居期間の経過に伴って前払金が償却されていきます。
例えば、一定の金額について10年間で償却する契約であれば、長く暮らすほど未償却部分は少なくなっていきます。
入居して間もない時期なら多額の未償却額が残っている可能性があります。
一方、長期間入居して償却が終了していれば、その部分について返還される金額が残っていないこともあります。
したがって、死亡時の相続財産を考えるうえでは、入居時にいくら支払ったかだけではなく、死亡時点でいくら未償却額が残っているかが重要になります。
死亡時に返還金が発生する場合
入居者が償却期間の途中で死亡した場合には、契約内容に基づいて未償却部分の前払金が返還されることがあります。
例えば、前払金のうち返還対象となる部分がまだ5000万円残っている時点で本人が死亡したとします。
契約に基づき5000万円の返還請求権が発生するのであれば、その金銭債権が相続財産として問題になります。
つまり、老人ホームの居室そのものを相続するのではなく、老人ホームから返してもらうお金を相続するという形になるわけです。
この点を理解しておかないと、相続人が返還金の存在に気付かない可能性があります。
返還金は誰に支払われるのか
老人ホームの契約では、入居者が死亡した場合の返還金について、受取人などに関する取り決めが置かれていることがあります。
ただし、契約上誰に支払うことになっているかと、その金銭が相続法上どのように扱われるかは、必ずしも同じ問題ではありません。
そのため、死亡時に多額の返還金が見込まれる場合には、契約書の記載だけで判断せず、返還請求権の法的な性質を確認することが重要です。
特に1億円や2億円という前払金の場合、未償却額も非常に大きくなる可能性があります。
相続人側も、老人ホームとの契約があったことを把握しておく必要があります。
相続人は入居契約書を確認する
老人ホームに入居していた人が亡くなった場合、相続人が確認したい重要書類の一つが入居契約書です。
銀行の通帳や証券会社の残高だけを調べても、老人ホームから返還されるお金は分からないことがあります。
入居契約書には、前払金の金額、償却期間、返還金の計算方法などが記載されています。
重要事項説明書などにも料金体系に関する情報があります。
いつ入居したのか。
前払金はいくらだったのか。
死亡時点で償却期間はどこまで進んでいたのか。
返還金はいくらになるのか。
こうした情報を確認する必要があります。
夫婦入居ではさらに複雑になる
夫婦で老人ホームへ入居している場合には、一方が死亡したときの取り扱いがさらに重要になります。
例えば夫婦二人で広い居室を利用していて、夫だけが亡くなったとします。
妻がそのまま同じ居室で暮らし続ける場合、契約がどのように継続するのかを確認する必要があります。
一人分について返還金が発生するのか。
前払金の償却方法は変わるのか。
月額利用料は一人分になるのか。
居室を変更する必要があるのか。
こうした取り扱いは契約によって異なります。
夫婦で高額な前払金を支払う場合には、一人が先に死亡するケースを契約時から想定しておくことが大切です。
入居一時金を払えば相続税対策になるとは限らない
ここで注意したいのが、老人ホームへ多額の前払金を支払えば、その分だけ相続財産が減って相続税対策になると単純に考えないことです。
確かに、本人が自分の老後生活のために通常の対価を支払い、そのサービスを受ければ、現預金は減っていきます。
しかし、死亡時に未償却部分について返還請求権が残っていれば、その権利が相続財産として問題になります。
また、契約内容や誰のために費用を負担したのかなどによって税務上の検討事項が生じる可能性があります。
老人ホームへの入居は、本来、自分の老後の生活や安心を確保するためのものです。
相続税だけを目的に判断するものではありません。
資産を残すことと使うことのバランス
高級老人ホームへの入居は、相続について家族で考えるきっかけにもなります。
例えば3億円の金融資産を持つ人が、2億円を終のすみかのために使えば、子どもへ残る財産は当然変わります。
親としては、できるだけ多くの財産を子どもへ残したいと考えるかもしれません。
一方で、子どもに介護の負担を掛けず、自分の資産で安心できる生活を確保するという考え方もあります。
資産を残すことと、自分自身のために使うことのどちらを重視するかは家庭によって異なります。
人生100年時代には、資産形成だけではなく、資産をどのような順番で使っていくのかという出口の設計も重要になります。
子どもがいない場合には別の問題がある
子どもがいない夫婦の場合には、相続の問題はさらに重要になります。
夫婦の一方が亡くなれば、配偶者が相続人になりますが、その後もう一方も亡くなれば、兄弟姉妹や甥、姪などが相続人になる場合があります。
誰が相続人になるのかによって、老人ホームからの返還金を誰が請求するのかという問題も生じます。
さらに、相続とは別に、死亡後の居室の片付けや施設との精算、葬儀、行政手続きなどを誰が行うのかという問題があります。
子どもがいない人にとっては、老人ホーム選びと相続、死後事務を一体として考える必要があります。
元気なうちに契約内容を家族へ伝える
老人ホームへ高額な前払金を支払った場合には、その契約内容を家族や将来手続きを担う人へ伝えておくことも大切です。
本人しか契約内容を知らない状態で認知症になったり死亡したりすると、残された人が前払金の存在を把握できない可能性があります。
入居契約書や重要事項説明書をどこに保管しているのか。
前払金はいくら支払ったのか。
返還金はどのように計算されるのか。
施設の担当窓口はどこか。
こうした情報を整理しておけば、死亡後の手続きを円滑に進めやすくなります。
高級老人ホームへの入居も、終活の一部として考える必要があります。
結論
老人ホームと相続の関係を考えるときに重要なのは、高額な入居一時金を支払っても、その金額と同額の財産がそのまま残るわけではないということです。
利用権方式の老人ホームでは、マンションのように居室そのものを所有するわけではなく、前払金は居住期間などに応じて償却されていきます。
一方、入居者が死亡した時点で未償却部分が残っていれば、契約に基づく返還金が発生し、その返還請求権が相続財産として問題になる場合があります。
そのため相続人は、預金や株式、不動産だけではなく、老人ホームの入居契約書や重要事項説明書も確認する必要があります。
2億円の前払金を支払うということは、単に財産を減らすことではありません。
金融資産の一部を、自分の老後の住まいと安心へ変えていくことでもあります。
人生100年時代の相続では、いくら残すかだけでなく、生前に自分のためにいくら使うのかという視点も重要になっていくでしょう。
そして子どもがいない夫婦の場合には、財産を誰が相続するかだけでなく、入院時の支援や身元保証、死亡後の手続きを誰に任せるのかまで準備しておく必要があります。
そこで次に重要になるのが、子どものいない夫婦の老人ホーム選びと身元保証、死後事務の問題です。
参考
日本経済新聞 2026年8月20日朝刊 「終のすみか」の現実(中)入居一時金2億円超ホーム 老後楽しむ富裕層に需要