会社経営において就業規則は「会社の憲法」とも呼ばれます。しかし、実際には作成したまま書棚にしまわれ、社員が一度も目にすることなく何年も経過している企業も少なくありません。
日本経済新聞では、退職金の不支給を巡る裁判で、「就業規則が従業員に周知されていたか」が大きな争点となった事例が紹介されました。会社は就業規則に基づいて退職金を支払わないと主張しましたが、裁判所は十分な周知が認められないとして退職金の支払いを命じています。
この判決は、中小企業に対して「就業規則は作成するだけでは効力を持たない」という重要な教訓を示しています。
就業規則の効力は周知されて初めて生まれる
労働基準法では、常時10人以上の労働者を使用する事業場では就業規則の作成・届出が義務付けられています。しかし、それだけでは十分ではありません。
法律では、就業規則を従業員に周知することまで義務とされています。
つまり、
・社員が自由に閲覧できること
・内容をいつでも確認できること
・変更があれば速やかに知らせること
これらが満たされて初めて、就業規則は会社と従業員双方を拘束するルールになります。
書棚の鍵がかかった場所に保管されていたり、一部の管理職しか閲覧できなかったりする状態では、周知義務を果たしたとは認められない可能性があります。
退職金制度も就業規則次第で結果が変わる
今回の裁判では退職金が争点となりました。
退職金は法律で必ず支払わなければならない制度ではありません。そのため、多くの会社では就業規則や退職金規程によって支給条件を定めています。
しかし、そのルール自体が適法に周知されていなければ、会社側はその規定を根拠として退職金を支給しないとは主張できなくなります。
今回も会社側は競業避止義務違反などを理由に退職金不支給を主張しましたが、その前提となる就業規則の効力が認められませんでした。
制度を作ることと、その制度を運用できることは全く別の問題なのです。
中小企業ほど就業規則の見直しが必要
中小企業では、就業規則を社会保険労務士に作成してもらった後、一度も更新されていないケースが少なくありません。
例えば、
・テレワーク制度
・副業制度
・SNS利用
・生成AIの利用
・情報持ち出し
・個人情報管理
・ハラスメント防止
など、近年だけでも職場環境は大きく変化しています。
それにもかかわらず、10年前、20年前の就業規則を使い続けている会社も珍しくありません。
古い規則では現在のトラブルに対応できず、裁判になった際には会社側が不利になる可能性があります。
変更手続にも十分な注意が必要
就業規則は自由に変更できるわけではありません。
変更する際には、労働組合や従業員代表の意見を聴かなければならず、その代表者も適正な方法で選出されている必要があります。
中小企業では、
「社長が勝手に代表者を決めた」
「管理職に署名だけしてもらった」
「昔の代表者の名前をそのまま使っていた」
といったケースも見受けられます。
形式的な手続だけで済ませた結果、変更そのものの有効性が争われることもあります。
労務管理は書類を作ることではなく、適切な手続きを積み重ねることが重要なのです。
税理士にも求められる労務リスクへの気付き
就業規則の作成自体は社会保険労務士の専門分野です。
しかし税理士も顧問先企業を毎月訪問し、経営者と話をする中で労務リスクに気付く機会は少なくありません。
例えば、
「退職金制度はありますか」
「就業規則はいつ改定しましたか」
「社員は自由に閲覧できますか」
「副業規定はありますか」
「情報管理規程は整っていますか」
こうした質問だけでも、会社の管理体制の課題は見えてきます。
必要に応じて社会保険労務士と連携することは、顧問先にとって大きな付加価値になります。
税理士は税務だけではなく、経営リスクを早期に発見する相談相手としての役割も期待される時代になっています。
就業規則は会社と社員を守る共通ルール
就業規則は会社を縛るためのものではありません。
社員を守ると同時に、会社自身を守るためのルールでもあります。
ルールが明確であれば、社員は安心して働くことができます。
会社も一貫した対応が可能となり、不公平感や不要なトラブルを防ぐことができます。
逆に、周知されていない就業規則や、実態に合わない古い規則は、いざという時に会社を守ってくれません。
だからこそ、定期的な見直しと適切な周知が重要になります。
結論
今回の裁判は、「就業規則は存在していること」と「効力を持っていること」は別問題であることを改めて示しました。
会社が当然だと思っていたルールでも、従業員に適切に周知されていなければ裁判では認められない可能性があります。
働き方が急速に変化する現在、中小企業には就業規則を経営資料として積極的に活用する姿勢が求められています。
税理士や社会保険労務士などの専門家も連携しながら、就業規則を「しまい込む書類」ではなく、「会社と社員を守る生きたルール」として育てていくことが、これからの安定した企業経営につながるのではないでしょうか。
参考
日本経済新聞 2026年6月25日 朝刊
中小企業リーガル処方箋〉しまい込んだ就業規則の効力は? 退職金不支給、周知めぐり争い