景気が良くなりすぎるとインフレになるので、政府や中央銀行は景気の過熱を抑える。
これが従来の経済政策の基本的な考え方でした。
しかし近年、あえて景気を強い状態に保つことで、賃金上昇や設備投資を促し、経済そのものの成長力を高めようという考え方が注目されています。
これが高圧経済です。
長期間にわたってデフレと低成長が続いた日本では、企業が投資を控え、賃上げにも慎重になり、人々の間にも物価や賃金は上がらないという感覚が定着しました。
こうした状況を変えるには、単に景気を通常の状態へ戻すだけでは足りず、需要が強い状態を一定期間維持する必要があるという考え方があります。
一方、高圧経済にはインフレや長期金利の上昇を招くリスクもあります。
日本経済がデフレからインフレへ転換しつつある現在、高圧経済という考え方を理解することは、財政政策や日銀の金融政策を考えるうえでも重要になっています。
高圧経済とは何か
高圧経済とは、需要を比較的強い状態に保つことで、雇用や賃金、設備投資などを押し上げようとする考え方です。
英語ではハイプレッシャーエコノミーなどと呼ばれます。
通常、景気が過熱すると物価が上昇するため、政府や中央銀行は財政支出を抑えたり、金利を引き上げたりして需要を抑制します。
高圧経済では、ある程度の需要超過をすぐには抑えません。
むしろ企業が人手不足を感じるほど需要を強くすることで、企業行動そのものを変えようとします。
例えば企業の商品やサービスに対する需要が強ければ、生産能力を増やす必要があります。
設備投資を増やし、人材を採用し、賃金を上げて労働者を確保しようとします。
こうした動きが経済全体に広がれば、単なる一時的な景気拡大ではなく、経済の供給能力そのものが高まる可能性があります。
需要不足から抜け出すための考え方
高圧経済が注目される背景には、長期間の需要不足が経済の供給能力まで弱くしてしまうという考え方があります。
景気が悪い状態が続けば、企業は設備投資を減らします。
新しい工場や店舗をつくらず、研究開発も抑えます。
採用を減らし、従業員教育への投資も少なくなります。
労働者側でも、長期間仕事から離れることで技能を失ったり、希望する職業に就けなくなったりする可能性があります。
つまり需要不足が長く続くと、将来景気が回復しても十分に生産を増やせない経済になってしまう可能性があります。
逆に需要の強い状態を一定期間続ければ、企業が設備や人材への投資を増やし、経済の供給能力を回復させられるというのが高圧経済の重要な考え方です。
財政政策との関係
高圧経済をつくる方法の一つが積極的な財政政策です。
政府が公共投資を増やしたり、給付や減税を実施したりすれば、民間部門にお金が流れます。
家計の所得が増えれば消費が増える可能性があります。
企業への支援や政府による投資が増えれば、設備投資や研究開発も促されます。
例えば消費税減税によって家計の負担が軽くなれば、その一部が消費に回る可能性があります。
政府が成長分野への投資を拡大すれば、企業側でも関連する設備投資が増える可能性があります。
こうして政府が需要を下支えすることで、民間企業が安心して投資や採用を増やせる環境をつくります。
ただし財政支出を増やせば、財源の問題も生じます。
税収だけで賄えなければ国債発行が増えるため、高圧経済政策は国債市場とも密接につながっています。
人手不足が賃金を上げる
高圧経済の重要な目的の一つが賃金上昇です。
企業にとって仕事が増えても、人材を確保できなければ生産やサービスを拡大できません。
そこで企業は賃金を引き上げて人材を確保しようとします。
より高い賃金を提示する企業に労働者が移動すれば、他社も賃金を上げざるを得なくなります。
この競争が経済全体の賃金を押し上げます。
特に重要なのは、これまで十分な賃金上昇が起きにくかった人にも効果が及ぶ可能性があることです。
景気が弱いときには、企業は条件の良い人材を選んで採用できます。
しかし極端な人手不足になれば、企業は採用対象を広げなければなりません。
子育てなどで仕事を離れていた人、高齢者、経験の少ない若者などにも雇用機会が広がる可能性があります。
高圧経済には、単純に平均賃金を上げるだけではなく、労働市場への参加を広げる効果も期待されています。
中小企業まで賃上げが広がるかが重要
日本で特に重要なのは、賃上げが大企業だけで終わらないことです。
大企業では高い賃上げ率を実現できても、中小企業が同じように賃金を上げられなければ、経済全体の所得は十分には増えません。
高圧経済によって需要が強い状態が続けば、中小企業でも売上を確保しやすくなります。
売上や利益が増えれば、人材確保のために賃金を上げる余力も生まれます。
一方で、人件費だけが上昇し、販売価格へ転嫁できなければ中小企業の経営を圧迫します。
そのため高圧経済を持続させるには、単なる賃上げだけではなく、企業が価格を適切に引き上げられる環境も必要です。
賃金上昇と価格転嫁が同時に進むことが重要になります。
賃金と物価の好循環とは何か
高圧経済がうまく機能した場合には、
需要増加
企業売上増加
人手不足
賃金上昇
家計所得増加
消費増加
企業売上増加
という循環が生まれます。
これが賃金と物価の好循環につながります。
企業は人件費が増えるため、商品やサービスの価格を引き上げます。
しかし労働者の賃金も上昇していれば、ある程度の値上げを受け入れることができます。
企業は値上げによって利益を確保し、その利益をさらに設備投資や賃上げへ回します。
日本が長く目指してきたのは、この循環です。
デフレ時代には、企業が値上げすると商品が売れなくなるという恐怖がありました。
そのためコストが上昇しても価格転嫁できず、賃金も上げられない状態が続きました。
高圧経済には、この企業行動を変える狙いがあります。
潜在成長率を高められる可能性
高圧経済が一時的な景気刺激策と違う重要な点は、潜在成長率を引き上げる可能性があることです。
潜在成長率とは、その国が物価を過度に上昇させずに中長期的に実現できる経済成長率の目安です。
需要が強ければ企業は生産能力を増やそうとします。
工場や物流施設を建設し、デジタル化や人工知能への投資を増やし、人材教育にも資金を使います。
その結果、一人当たりの生産性が高まれば、経済全体が以前より多くの商品やサービスを生産できるようになります。
需要を増やすことで供給能力まで高める。
これが高圧経済の理想的な姿です。
最大のリスクはインフレ
しかし高圧経済には大きなリスクがあります。
供給能力が増える前に需要だけが急速に増えれば、インフレが加速します。
企業が商品を増産できないのに消費者の需要が増えれば、価格を上げることで需給を調整することになります。
人手不足が深刻になれば、賃金も急速に上昇します。
賃金上昇分を企業が価格へ転嫁すれば、さらに物価が上昇します。
適度な賃金と物価の上昇であれば好循環ですが、物価上昇が賃金上昇を大きく上回れば、家計の実質的な購買力は低下します。
高圧経済が成功するかどうかは、需要を増やしながら供給能力も同時に引き上げられるかにかかっています。
日銀には難しい判断が求められる
高圧経済政策が進められると、日銀の金融政策は難しくなります。
政府が財政政策によって需要を増やしているとき、日銀が低金利政策を続ければ、財政と金融の両方から景気を刺激することになります。
インフレが十分低い段階では有効かもしれません。
しかし物価上昇率が高くなれば、日銀は政策金利を引き上げて需要を抑える必要が出てきます。
つまり、
政府は景気を刺激する
日銀はインフレを抑える
という逆方向の政策が同時に行われる可能性があります。
財政政策と金融政策の役割分担が非常に重要になります。
高圧経済で長期金利が上がる理由
高圧経済は長期金利にも影響します。
まず景気が強くなれば企業の資金需要が増え、経済全体として金利が上昇しやすくなります。
次に賃金や物価が上昇すれば、市場の期待インフレ率が高まります。
債券投資家は将来のインフレによって元本や利息の実質価値が低下することを警戒するため、より高い利回りを要求します。
さらに積極財政によって国債発行が増えれば、国債需給の面からも金利上昇圧力が生じます。
したがって、
経済成長率の上昇
期待インフレ率の上昇
国債発行増加
日銀の利上げ
という複数の経路から長期金利が上昇する可能性があります。
金利上昇そのものが失敗とは限らない
重要なのは、高圧経済によって金利が上昇したからといって、それだけで政策が失敗したとはいえないことです。
経済成長率が高まり、企業投資が増え、賃金が上昇した結果として金利が上がるのであれば、経済正常化の一部と考えることができます。
問題なのは、成長率が高まらないまま財政赤字とインフレだけが拡大する場合です。
国債発行が増え、投資家が財政リスクを警戒して高い利回りを要求するようになれば、政府の利払い負担も増えます。
高圧経済を見る際には、単に長期金利が何パーセントになったかではなく、その金利上昇が成長によるものなのか、インフレによるものなのか、財政不安によるものなのかを区別する必要があります。
結論
高圧経済とは、景気をあえて強い状態に保つことで、人手不足や需要増加を生み出し、企業の賃上げや設備投資を促そうとする考え方です。
長期間のデフレを経験した日本では、需要不足によって定着した企業の慎重な投資姿勢や賃金を上げない行動を変える効果が期待できます。
需要が強くなり、企業が設備や人材に投資すれば、潜在成長率そのものが高まる可能性もあります。
一方、高圧経済にはインフレ加速というリスクがあります。
需要だけが増えて供給能力が追いつかなければ、賃金上昇以上に物価が上昇し、家計の実質所得が低下する可能性があります。
積極財政によって国債発行が増えれば、国債市場にも金利上昇圧力がかかります。
日本が長く直面してきた問題は、需要が弱すぎることでした。
しかしデフレからインフレへ経済環境が変われば、今度は需要をどこまで強くしてよいのかという別の問題が生まれます。
高圧経済が日本の成長力を高める政策になるのか、それともインフレと金利上昇を加速させる政策になるのか。
その分岐点になるのは、財政支出の大きさだけではなく、それによって企業の設備投資、生産性、賃金、供給能力をどこまで高められるかです。
参考
日本経済新聞 2026年8月14日 朝刊 円・国債「なお下落余地」 海外大手運用3社に聞く
日本経済新聞 2026年8月14日 朝刊 世界景気後退時に買い 英フィデリティ・インターナショナル ポートフォリオ・マネージャー ジョージ・エフスタソポウロス氏