病床権取引と排出量取引は何が似ているのか 総量を規制して権利を市場で売買する仕組み編

人生100年時代
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病床権取引市場という考え方は、一見すると医療とは縁のない排出量取引とよく似ています。

排出量取引では、二酸化炭素などを排出できる総量に上限を設けたうえで、その枠を企業同士で取引します。

病床権取引でも、地域全体で保有できる病床数に上限を設け、その限られた病床枠を病院同士で取引するという考え方を取ります。

共通するポイントは、市場にすべてを任せるわけではないことです。

行政が総量を決めます。

しかし、その総量を個々の企業や病院にどのように配分するかについては市場原理を利用します。

規制と市場を組み合わせることで、一律の規制よりも少ない負担で政策目標を達成しようとする仕組みです。

排出量取引とは何か

排出量取引とは、企業などが排出できる温室効果ガスの量に一定の枠を設け、その排出枠を取引できるようにする仕組みです。

温室効果ガスを減らす方法として、すべての企業に同じ割合で排出量を減らすよう求める方法があります。

たとえば各企業に二酸化炭素排出量を一律10パーセント削減するよう義務付ける方法です。

一見すると公平です。

しかし企業によって削減の難しさは違います。

少ない費用で排出量を20パーセント減らせる企業もあれば、10パーセント減らすだけでも非常に大きな費用がかかる企業もあります。

そこで削減しやすい企業にはより多く減らしてもらい、削減しにくい企業は排出枠を購入できるようにします。

総量規制とは何か

排出量取引を理解するうえで重要なのが総量規制です。

市場取引を認めるからといって、企業が好きなだけ二酸化炭素を排出できるわけではありません。

まず社会全体や対象地域で排出できる総量を決めます。

たとえば対象企業全体の排出量を100万トンから90万トンへ減らすとします。

すると全企業が利用できる排出枠の合計も90万トンに抑えられます。

企業同士が排出枠を売買しても、この90万トンという総量そのものが増えないようにします。

誰が排出するかは市場で変わっても、全体の上限は行政が管理するわけです。

なぜ排出枠を売買するのか

企業ごとに排出削減に必要な費用が違うからです。

たとえばA社は設備を少し改良するだけで二酸化炭素を大幅に減らせるとします。

一方、B社は最新設備を導入しており、これ以上排出量を減らすには巨額の投資が必要だとします。

両社へ一律10パーセントの削減を求めるより、A社が20パーセント削減し、余った排出枠をB社へ売却した方が、社会全体として同じ削減量をより少ない費用で達成できる場合があります。

A社には、排出量を多く減らせば排出枠を売って収入を得られるという動機が生まれます。

B社は、高額な設備投資を行うより排出枠を購入する方が安ければ、枠を購入します。

市場価格を通じて、削減余力のある企業がより多く削減する仕組みです。

病床数に当てはめるとどうなるのか

この考え方を病床へ当てはめたものが病床権取引市場です。

たとえば、ある構想区域に1000床の急性期病床があるとします。

将来の医療需要を考えると、900床まで減らす必要があるとします。

行政は地域全体の急性期病床を100床減らすという総量目標を設定します。

単純な方法であれば、すべての病院に一律10パーセントの削減を求めることが考えられます。

しかし病院によって病床の利用状況は違います。

ほぼ満床の病院もあれば、多くの空床を抱えている病院もあります。

そこで病床権の取引を認めます。

病床を減らしやすい病院と減らしにくい病院

A病院は100床の急性期病床を持ち、ほぼ常に満床だとします。

この病院へ10床削減を求めれば、患者を受け入れられなくなる可能性があります。

一方、B病院も100床ありますが、実際に利用されているのは70床程度だとします。

B病院であれば、20床削減しても患者への影響が小さいかもしれません。

そこでB病院が20床削減し、A病院は病床権を購入することで100床を維持できるようにします。

両病院を合わせれば200床から180床になり、10パーセントの削減目標は達成されます。

削減の配分を市場取引によって変えるわけです。

一律削減より効率的になる理由

すべての病院に同じ割合で病床削減を求める方法には、分かりやすいというメリットがあります。

しかし効率的とは限りません。

患者が多い病院も少ない病院も同じ割合で減らすことになるからです。

病床権を取引できれば、病床を減らしても影響の小さい病院がより多く削減するようになります。

一方、病床需要の高い病院は対価を支払って病床を維持できます。

その結果、地域全体では同じ病床削減目標を達成しながら、実際に患者が利用している病床をより多く残せる可能性があります。

これが排出量取引と同じ発想です。

病床を減らすことに価格が付く

病床権取引の重要な特徴は、病床削減そのものに経済的な価値が生まれることです。

現在の病院にとって、病床を減らすことは基本的には不利益になりやすい行動です。

病院の規模が小さくなります。

将来受け入れられる患者数も減ります。

一度手放した病床を再び確保できる保証もありません。

そのため自主的に病床を削減する動機が弱くなります。

しかし病床権を売却できれば状況が変わります。

病床を減らす代わりに売却収入を得られるからです。

排出量を多く削減した企業が余った排出枠を販売できるのと似ています。

行政は個別病院の削減数まで決めなくてよい

病床権取引には行政側にも特徴があります。

行政がすべての病院について、A病院は10床、B病院は30床というように細かく削減数を決めようとすると、膨大な情報が必要になります。

病床稼働率だけでは判断できません。

救急医療の実績。

手術件数。

地域での役割。

医師や看護師の配置。

将来の経営計画。

さまざまな事情を考慮する必要があります。

市場取引を利用すれば、行政は地域全体の総量を決め、病床をどこに残すかについては病院自身の判断と取引を利用することができます。

価格が病床需要の情報になる

病床権に市場価格が付けば、その価格自体が情報になります。

病床を増やしたい病院が多い地域では、病床権の需要が強くなります。

病床権の価格も高くなる可能性があります。

反対に人口減少が激しく、病床を手放したい病院ばかりの地域では価格が低くなる可能性があります。

つまり病床権の価格を通じて、どの地域やどの医療機能で病床需要が強いのかが見えるようになる可能性があります。

行政だけですべての病床の価値を決めるのではなく、市場価格から情報を得るという考え方です。

排出量取引と病床権取引には大きな違いもある

ただし、両者が完全に同じというわけではありません。

二酸化炭素の排出量と医療サービスには大きな違いがあります。

病床には場所があります。

東京に余っている病床があるからといって、その病床を北海道の患者が利用できるわけではありません。

さらに病床には機能があります。

高度急性期病床と慢性期病床では役割が違います。

医療従事者の配置も必要です。

単純に病床枠だけを移せば医療サービスが移転できるわけではありません。

病床権取引を実際に制度化するのであれば、取引できる地域や病床機能などを細かく設計する必要があります。

地域医療には市場だけでは守れない機能がある

もう一つ重要なのが、採算性と必要性が一致しない場合です。

患者数が少ない地域でも救急医療は必要です。

離島や山間地域では、病床稼働率だけを見れば病院を縮小した方が効率的に見える場合があります。

しかしその病院がなくなれば、住民が救急医療を受けるために長時間移動しなければならなくなる可能性があります。

市場取引だけで病床配置を決めると、採算性の低い地域から必要な医療まで失われる危険があります。

したがって行政が確保すべき医療機能を明確にしたうえで、市場を利用する必要があります。

規制か市場かではなく両方を使う

病床権取引と排出量取引に共通する最も重要な点は、規制と市場を組み合わせることです。

市場だけに任せるわけではありません。

行政が達成すべき総量目標を設定します。

一方、すべてを行政が細かく決めるわけでもありません。

誰がどの程度削減するのかについては、価格と取引を利用します。

行政による総量規制と市場による配分。

この二つを組み合わせることによって、政策目標を守りながら効率的な資源配分を目指します。

結論

病床権取引と排出量取引が似ている最大の理由は、まず行政が総量を規制し、その限られた枠を市場で取引するという仕組みにあります。

排出量取引では、社会全体で許される温室効果ガスの排出量を決め、その排出枠を企業同士で売買します。

病床権取引では、構想区域などで保有できる機能別病床数を決め、その病床枠を病院同士で取引するという考え方になります。

これによって、すべての病院へ一律に病床削減を求める必要がなくなります。

患者が少なく病床を減らしやすい病院がより多く削減し、患者が多い病院は病床権を購入して必要な病床を維持できます。

地域全体では同じ削減目標を達成しながら、病床をより必要とする病院へ集められる可能性があります。

ただし医療には、地域住民のアクセスや救急医療など、市場価格だけでは判断できない役割があります。

そのため病床権取引とは、医療を完全に市場へ委ねる仕組みではありません。

行政が必要な医療と病床総量を決め、その枠内で市場原理を利用する仕組みです。

人口減少時代の地域医療では、一律に病床を減らすのではなく、誰が減らすのが地域全体にとって最も負担が小さいのかまで考える必要があります。

病床権取引と排出量取引の共通点は、限られた資源の総量を守りながら、その配分方法に市場の力を利用するところにあるのです。

参考

日本経済新聞 2026年8月27日朝刊 2040年の地域医療構想上 病床の取引市場制度 創設を

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