現在、日本の新卒採用市場では初任給の引き上げ競争が激化しています。特にITエンジニアなど特定スキルを持つ人材に対しては、従来の横並び賃金を見直し、高い初任給を提示する企業が増えています。このような動きは一見すると新しい潮流のように見えますが、人事の歴史を振り返ると、実は過去にも同様の構造が存在していました。
本稿では、新卒一括採用の起源と初任給の変遷を整理しながら、現代の人材戦略をどのように考えるべきかを検討します。
新卒一括採用の起源とエリート競争の時代
日本における新卒定期採用の起源は、明治時代にさかのぼります。1879年に三菱が導入した採用方式が、その始まりとされています。
その後、第一次世界大戦による好況を背景に企業は急成長し、高等教育を受けた学生の獲得競争が激化しました。この過程で、現在の「4月一括入社」という制度の原型が形成されていきます。
当時の大卒者は極めて限られた存在であり、企業にとっては重要な戦略資源でした。そのため、初任給には明確な格差が設けられていました。たとえば、帝国大学や東京高等商業学校の卒業生が高い給与を得る一方で、他大学出身者との間には大きな差が存在していました。
つまり、現代で見られる「スキル別・人材別の給与差」は、むしろ原点回帰ともいえる動きなのです。
「横並び賃金」の誕生とその背景
しかし、このような学歴による初任給格差は長くは続きませんでした。大正時代に入ると、社会全体で平等志向が高まり、企業側にも優秀な人材を幅広く確保したいという意図が生まれます。
その象徴的な出来事が、1923年に三菱が大学別の初任給格差の縮小に着手したことです。さらに三井もこれに追随し、最終的には大卒の初任給が一律50円に統一されました。
ここで初めて、「大卒一律初任給」という仕組みが確立されます。私たちが長年当たり前だと考えてきた横並び賃金は、実はこの時期に形成された歴史的産物にすぎません。
不況が生んだ選抜と「就職協定」
1920年代後半になると、経済状況は一転して悪化します。いわゆる「大学は出たけれど」という言葉に象徴されるように、就職難が深刻化しました。
この状況の中で、企業は採用の選抜を強化し、試験による選考が一般化していきます。さらに、過度な人材争奪戦を防ぐため、1928年には銀行を中心に「就職協定」が結ばれました。
この時期には「内定」という概念も生まれ、現在の就職活動の基本的な枠組みが整備されていきます。
つまり、新卒一括採用は単なる慣行ではなく、景気変動と人材需給のバランスの中で形成された制度なのです。
現代における制度の揺らぎ
現在、日本企業は再び採用制度の見直しを迫られています。通年採用の導入や、職種別・スキル別の初任給設定など、従来の横並び型からの転換が進んでいます。
この背景には、事業環境の変化があります。デジタル化の進展やグローバル競争の激化により、企業が求める人材は多様化しました。すべての新卒を一律に評価する仕組みでは、必要な人材を確保できなくなってきているのです。
また、働き方の多様化により、学生側も一律のキャリアパスを前提としなくなっています。こうした変化は、従来の新卒一括採用モデルの限界を浮き彫りにしています。
人材戦略としての初任給設計
初任給は単なる給与水準ではなく、企業の人材戦略そのものを反映する重要な指標です。
歴史的に見ると、初任給は以下の3つの要因によって決定されてきました。
・人材の希少性
・企業間競争の強度
・社会的な価値観(平等か成果主義か)
現代においては、これらに加えて「スキルの市場価値」がより強く影響しています。特定分野の専門人材に対して高い初任給を提示する企業は、単に賃金を上げているのではなく、自社の競争領域を明確にしているといえます。
一方で、横並び賃金には組織の安定性や内部公平性を維持するという利点があります。したがって、企業は単純にどちらかを選ぶのではなく、自社の戦略に応じてバランスを設計する必要があります。
結論
新卒一括採用と初任給の仕組みは、歴史的に固定された制度ではなく、時代ごとの環境に応じて変化してきたものです。
かつては学歴による格差があり、その後は平等化が進み、現在は再び差異化の方向に向かっています。この循環は、人材市場と企業戦略の関係を象徴しています。
重要なのは、「横並びが正しいのか」「差をつけるべきか」という二項対立ではありません。自社にとってどのような人材が必要であり、その価値をどのように評価するかという視点が求められます。
採用制度は経営戦略そのものです。歴史を理解することは、未来の意思決定をより合理的にするための重要な手がかりとなります。
参考
企業実務 2026年5月号
岡本光敬 人事の歴史 第4回 学歴で初任給が違った?新卒一括採用の起源と初任給の歴史