日本の診療報酬は、基本的に全国共通の仕組みで設定されています。
東京の病院でも地方の病院でも、同じ診療行為や同じ施設基準などであれば、基本となる評価の考え方は共通です。
しかし、医療を取り巻く環境は地域によって大きく異なります。
人口が増えている都市部もあれば、急速に人口が減っている地域もあります。
急性期病床が多すぎる地域もあれば、医師不足によって必要な医療機能を維持すること自体が難しい地域もあります。
そこで考えられるのが、地域の医療需要や病床の過不足に応じて診療報酬を調整する地域別診療報酬という考え方です。
全国一律の価格だけで病院の行動を誘導するのではなく、地域ごとの事情を診療報酬へ反映させようという発想です。
全国一律の診療報酬とは何か
診療報酬とは、公的医療保険の対象となる医療サービスの公定価格です。
診察や検査、手術、入院などについて、それぞれ評価が定められています。
患者が医療機関で保険診療を受けると、その診療報酬をもとに医療費が計算されます。
この仕組みの大きな特徴は、基本的に全国共通の制度として運用されていることです。
患者から見れば、住んでいる地域によって同じ保険診療の価格が大きく変わらないという分かりやすさがあります。
医療機関にとっても、全国共通のルールで診療報酬を請求できるメリットがあります。
なぜ全国一律になっているのか
日本では国民皆保険制度のもとで、全国どこに住んでいても一定の医療を受けられる体制を目指してきました。
そのため医療サービスの価格についても、全国共通のルールを基本とすることには意味があります。
もし同じ治療でも地域によって大きく価格が異なれば、患者にとって制度が分かりにくくなります。
医療機関側の事務も複雑になります。
さらに地域によって医療の評価が大きく違えば、医療提供の公平性について議論が生じる可能性もあります。
全国一律の診療報酬には、医療保険制度を全国共通の仕組みとして運営しやすいという大きな利点があります。
地域によって病床需給が違う
一方、2040年に向けた地域医療を考えると、全国一律の仕組みだけでは対応しにくい問題があります。
最大の理由は、人口構造の変化が地域によって違うことです。
若い世代の流入が続く都市部があります。
高齢者人口が当面増える地域もあります。
すでに総人口だけでなく高齢者人口まで減少し始めている地域もあります。
人口構造が違えば、必要になる医療の量や内容も違います。
当然、必要となる病床数や病床機能も地域によって異なります。
全国共通の診療報酬だけで、こうした違いに対応することには限界があります。
急性期病床が多い地域では何が起きるのか
たとえば、ある地域では将来必要となる急性期病床が500床なのに、現在700床あるとします。
200床程度の急性期機能が過剰になっていると考えられます。
しかし急性期病床として運営する方が病院経営上有利な診療報酬体系になっていれば、病院は簡単には病床を減らしません。
地域医療構想調整会議で機能転換を求められても、急性期を維持する方が収益を確保できるのであれば、経営判断としては急性期を残すことが合理的になります。
この場合、急性期病床が過剰な地域について診療報酬上の評価を調整すれば、機能転換を促せる可能性があります。
反対に急性期病床が不足している地域もある
問題は、全国すべての地域で急性期病床が余っているわけではないことです。
人口構造や患者の流れによっては、急性期医療を維持する必要性が高い地域もあります。
救急患者を受け入れる病院が少ない地域もあります。
そのような地域まで全国一律で急性期医療の診療報酬を大きく引き下げれば、必要な急性期医療まで維持できなくなる可能性があります。
急性期病床を減らしたい地域と、残さなければならない地域が同じ価格体系で動いていることが問題になるわけです。
地域別に価格を変えるとはどういうことか
そこで考えられるのが、地域の病床需給などに応じて診療報酬を調整する方法です。
たとえば急性期病床が大幅に過剰な地域では、急性期機能に対する診療報酬を相対的に低くします。
一方、急性期医療を維持する必要がある地域では、その評価を維持するという方法が考えられます。
包括期などへの転換が必要な地域では、その機能に対する評価を相対的に高めることも考えられます。
つまり全国共通の診療報酬体系を基本としながら、地域ごとの医療需要に応じて一定の調整を行う発想です。
地域ごとに病院の行動を変える
地域別診療報酬の目的は、単純に地域によって医療費を高くしたり安くしたりすることではありません。
重要なのは病院の経営行動を変えることです。
急性期病床が過剰な地域では、急性期を維持する経済的な魅力を小さくします。
包括期が不足しているのであれば、包括期へ転換する経済的な魅力を大きくします。
すると病院は、行政から命令されなくても自ら機能転換を検討するようになります。
地域全体に必要な医療機能と、病院にとって合理的な経営判断を近づけるわけです。
全国一律よりきめ細かく誘導できる
全国一律の診療報酬を変更すると、日本全国の医療機関へ影響します。
しかし地域別に調整できれば、必要な地域だけに政策効果を集中させることができます。
たとえば急性期病床が十分に集約されている地域まで、さらに急性期病床を減らす必要はありません。
一方、人口減少が進み、急性期病床が大幅に余っている地域では強い転換誘導が必要になる場合があります。
地域ごとに調整幅を変えれば、こうした違いに対応できます。
2040年に向けて地域間の人口構造の差が大きくなるほど、この考え方には一定の合理性があります。
病床権取引との組み合わせも考えられる
地域別診療報酬と病床権取引は、まったく別の政策手段ですが、目的には共通する部分があります。
どちらも病院へ一律に病床削減を命じるのではなく、経済的な仕組みを使って病床再編を促す方法です。
診療報酬では、病床を運営したときの収益を変えます。
病床権取引では、病床を手放すこと自体に経済的な価値を持たせます。
たとえば急性期病床が過剰な地域で急性期の診療報酬を調整すると同時に、病床権を売却できるようにすれば、病床を減らす病院に二つの選択材料が生まれます。
複数の経済インセンティブを組み合わせて再編を進めるという考え方です。
地域をどの単位で分けるのか
地域別診療報酬を実際に導入する場合、難しいのが地域の単位です。
都道府県単位なのか。
構想区域単位なのか。
二次医療圏単位なのか。
さらに小さな地域なのか。
同じ都道府県でも、都市部と山間部では医療事情が違うことがあります。
都道府県単位では範囲が広すぎる可能性があります。
一方、地域を細かく分けすぎれば制度が複雑になります。
隣接する地域で診療報酬が異なれば、病院や患者の行動にも影響する可能性があります。
どの地域単位で調整するかは非常に重要な問題です。
患者が地域を越えて移動する問題
病院は、その地域の住民だけを診療しているわけではありません。
高度な医療を提供する病院には、周辺地域から患者が集まります。
特に都市部の大病院では、構想区域や都道府県を越えて患者が来る場合があります。
そのため病院が所在する地域の人口だけを見て診療報酬を変えると、実際の患者需要と合わなくなる可能性があります。
地域別診療報酬を設計する場合には、住民の人口だけではなく、患者が実際にどこからどこへ移動しているのかという受療行動も見る必要があります。
病院経営が急激に悪化する可能性
診療報酬を地域別に引き下げれば、対象となる病院の収入は減少する可能性があります。
その結果、病床転換が進む前に病院経営が悪化することも考えられます。
地域で唯一の病院が経営難になれば、住民の医療アクセスに重大な影響が出ます。
そのため診療報酬による誘導には、時間をかけた移行措置なども必要になる可能性があります。
経済インセンティブは強ければよいわけではありません。
病院が機能転換できる時間や人材、設備を確保できるように制度を設計する必要があります。
医療の公平性という課題
地域別診療報酬には、医療保険制度の公平性という問題もあります。
同じ医療行為なのに地域によって診療報酬が違うことを、どこまで認めるのかという問題です。
病院側から見れば、同じ医療を提供しているのに地域によって収入が違うことになります。
患者の自己負担に影響する設計であれば、患者側にも地域差が生じる可能性があります。
地域の実情に合わせるメリットと、全国共通制度としての公平性をどのように両立させるのかが重要になります。
地域別診療報酬は万能ではない
地域別診療報酬を導入すれば、地域医療構想が自動的に進むわけではありません。
病院が機能転換できない理由は収益だけではないからです。
包括期へ転換したくても、必要な医療従事者を確保できないことがあります。
建物の改修が必要になる場合もあります。
地域に介護施設や在宅医療の受け皿が不足している場合もあります。
また救急医療など、採算性にかかわらず維持しなければならない機能もあります。
したがって診療報酬は、病床機能報告、地域医療構想調整会議、病床規制、医療人材政策などと組み合わせて利用する必要があります。
結論
地域別診療報酬とは、全国共通を基本としている診療報酬について、地域ごとの医療需要や病床の過不足などに応じて評価を調整するという考え方です。
人口減少の速度も高齢化の状況も、必要となる病床機能も地域によって異なります。
急性期病床が大幅に余っている地域と、急性期医療を維持しなければならない地域に同じ経済条件を設定すれば、病床再編を適切に誘導できない可能性があります。
そこで急性期病床が過剰な地域では急性期の評価を相対的に下げ、包括期など不足する機能の評価を高めることで、病院自身の経営判断による機能転換を促すという発想が生まれます。
ただし地域の区分をどう設定するのか、地域を越えて移動する患者をどう扱うのか、全国共通の医療保険制度としての公平性をどう守るのかなど、多くの課題があります。
2040年に向けた地域医療では、全国一律の政策だけでは地域ごとの大きな違いに対応しにくくなります。
地域別診療報酬とは、同じ医療だから全国どこでも同じ価格という従来の発想に、地域ごとの病床需給という視点を加え、価格を通じて医療資源の配置を変えようとする考え方なのです。
参考
日本経済新聞 2026年8月27日朝刊 2040年の地域医療構想上 病床の取引市場制度 創設を