経理部には、「誰も全体を理解していないExcel」が存在することがあります。
- 数万セルに及ぶ数式
- 複雑なマクロ
- 長年継ぎ足されたシート
- なぜその計算になっているのか不明
- しかし毎月の決算はそのExcelで動いている
いわゆる「神Excel」です。
近年は生成AIの進化によって、
- Excel分析
- 数式解読
- マクロ生成
- 業務自動化
などが急速に進み始めています。
そのため、「AIが神Excelを理解してくれる時代が来るのではないか」と期待する声もあります。
しかし実際には、「神Excel」をAIが完全に理解することは、想像以上に難しい問題を含んでいます。
なぜなら、神Excelの本質は単なる“ファイル”ではなく、「組織の暗黙知そのもの」だからです。
今回は、「AIと神Excel」の関係について考えていきます。
なぜ「神Excel」はブラックボックス化するのか
神Excelは、最初から巨大だったわけではありません。
多くの場合、
- 小さな集計表
- 一時的な試算
- 部門別分析
- 特殊対応
として作られます。
しかし現場では、
- 「とりあえず今月だけ」
- 「急ぎだからExcelで」
- 「システム改修を待てない」
という対応が繰り返されます。
その結果、
- シート追加
- 数式追加
- マクロ追加
- コピペ運用
- 例外処理追加
が積み重なり、いつの間にか「基幹業務システム化」していきます。
しかも厄介なのは、そこに現場独自の判断ロジックが埋め込まれていることです。
例えば、
- 特定取引先だけ処理を変える
- 社長向け数字だけ調整する
- 業界慣行を加味する
- 過去トラブルを回避する
- 担当者経験則を反映する
といった“暗黙ルール”が、数式や運用フローに埋め込まれていきます。
つまり神Excelは、「計算ファイル」であると同時に、「組織の歴史」でもあるのです。
AIは「数式」は理解できる
現在の生成AIは、Excelそのものを解析する能力を急速に高めています。
例えば、
- 数式の説明
- マクロの解析
- エラー検出
- 重複処理の発見
- 集計構造の整理
などは、かなり高精度で可能になり始めています。
将来的には、
- 「このシートは何をしているか」
- 「どのセルが重要か」
- 「どこにミスリスクがあるか」
をAIが可視化する時代も来るでしょう。
つまり、「構文解析」レベルでは、AIは極めて強力です。
しかし問題は、その先にあります。
AIは「なぜそうしているか」を理解できない
本当に難しいのは、「なぜその処理をしているのか」です。
例えば、
- なぜこの取引だけ除外しているのか
- なぜこの数字だけ手修正しているのか
- なぜこの承認フローなのか
- なぜ毎月この順番で処理するのか
には、多くの場合、
- 過去の失敗
- 社内力学
- 顧客事情
- 税務対応
- 監査対応
- 社長判断
などが背景にあります。
つまり神Excelには、「組織の文脈」が埋め込まれているのです。
AIは数式そのものは読めても、
- 現場の空気
- 人間関係
- 歴史的経緯
- 暗黙の優先順位
までは理解できません。
ここが、「AIが神Excelを完全理解できない理由」です。
真のブラックボックスは「Excel」ではなく「組織」である
多くの企業では、「神Excelが問題だ」と言われます。
しかし本当の問題は、Excelそのものではありません。
本質的には、
- 業務設計が属人化している
- 判断理由が記録されていない
- 例外処理が整理されていない
- 部門間ルールが曖昧
- 経営判断が暗黙化している
という、「組織側のブラックボックス化」が問題なのです。
つまり、AIが理解できないのはExcelではなく、「人間組織」なのです。
これは非常に重要な論点です。
なぜなら、AI導入が失敗する企業の多くは、「AIを入れれば整理される」と考えているからです。
しかし実際には逆で、
- 業務を整理し
- 判断基準を言語化し
- データ構造を統一し
- 例外ルールを可視化し
なければ、AIは正しく機能しません。
AI時代ほど「業務言語化能力」が重要になる
今後の経理DXでは、「AIを使える人」よりも、「業務を説明できる人」の価値が高まる可能性があります。
例えば、
- なぜこの処理が必要なのか
- どこが重要判断なのか
- 何が例外なのか
- どこにリスクがあるのか
を整理できる人材です。
つまり重要なのは、「Excel操作能力」ではなく、「業務構造化能力」なのです。
これは経理部の役割を大きく変える可能性があります。
従来の経理部は、
- 入力
- 集計
- 転記
- チェック
が中心でした。
しかしAI時代には、
- データ設計
- 判断基準整理
- 業務ルール言語化
- リスク設計
- AIへの業務翻訳
が重要になっていくでしょう。
「神Excel」をAI時代の資産に変えるには
では、企業はどう対応すべきなのでしょうか。
重要なのは、「神Excelを否定すること」ではありません。
むしろ必要なのは、
- なぜそのExcelが生まれたのか
- 何を補完しているのか
- どんな現場知が埋め込まれているのか
を整理することです。
その上で、
- 業務フローを可視化する
- 数式ロジックを説明する
- 例外処理を整理する
- AIで解析する
- ノーコード化する
ことで、「個人依存の暗黙知」を「組織資産」へ変えていく必要があります。
つまり、AI時代に重要なのは「Excel廃止」ではなく、「ブラックボックス解除」なのです。
結論
AIは、神Excelの「数式」は理解できるようになっていくでしょう。
しかし、本当に難しいのは、
- なぜその処理が必要なのか
- なぜ例外が存在するのか
- なぜその運用になったのか
という、「組織の文脈」を理解することです。
つまり、真のブラックボックスはExcelではなく、「人間組織そのもの」なのです。
これからの経理DXで重要になるのは、
- AI導入
- 自動化
- システム化
だけではありません。
むしろ、
- 業務を言語化する力
- 判断理由を整理する力
- 暗黙知を構造化する力
が、最も重要な競争力になっていく可能性があります。
AI時代とは、「人間が不要になる時代」ではなく、「人間の暗黙知をどう扱うか」が問われる時代なのかもしれません。
参考
・企業実務 2026年6月号
「制約された環境での工夫が、キャリアの糧になる」 松岡俊
・経理DX、生成AI、Excel運用に関する実務論点
・中小企業における業務標準化・ブラックボックス化に関する実務動向