中国経済はこの数十年で急速な成長を遂げ、膨大な個人資産が形成されてきました。しかし今、その次の段階として「資産がどのように世代間で引き継がれるのか」という問題が顕在化しています。
本来であれば、この局面で重要となるのが相続税をはじめとした資産課税です。しかし中国では、長年にわたり導入が検討されながらも、いまだに実現していません。
本稿では、中国が相続税を導入できない理由を整理するとともに、それがもたらす経済・社会への影響を構造的に考察します。
急速に進む「富の世代間移転」という新局面
中国では1978年の改革開放以降、資産形成が一気に進みました。現在では都市部を中心に、多額の不動産や金融資産が蓄積されています。
重要なのは、これらの資産を保有している世代が急速に高齢化している点です。つまり、今後10年から20年にかけて、中国では大規模な相続が発生することになります。
さらに特徴的なのは、一人っ子政策の影響です。親2人の資産が1人の子に集中する構造となっており、相続による資産集中は他国以上に強く表れます。
この結果、次のような構造が生まれます。
- 労働ではなく「生まれ」で資産が決まる
- 富裕層の再生産が加速する
- 格差が固定化する
これは、中国がこれまで掲げてきた「努力すれば報われる社会」とは大きく異なる状態です。
なぜ相続税を導入できないのか
中国政府は「共同富裕」を掲げていますが、現実には資産課税の導入には極めて慎重です。その理由は経済的なものではなく、主に政治的・制度的な制約にあります。
① 資産把握ができない問題
相続税を導入するには、個人資産の正確な把握が前提となります。しかし中国では、
- 不動産の実態把握が不十分
- 名義分散や非公式資産が多い
といった問題があり、課税インフラが整っていません。
② 政治エリートへの影響
より本質的な問題はここにあります。資産課税は必然的に「誰がどれだけ資産を持っているか」を明らかにします。
その結果、
- 官僚・政治関係者の資産が可視化される
- 汚職や不正蓄財が露呈する可能性がある
というリスクが生じます。これは体制にとって極めて大きな政治的コストとなります。
③ 不動産市場への影響
中国では不動産が最大の資産です。ここに課税を強化すると、
- 富裕層の売却が加速する
- 不動産価格の下落圧力が強まる
という副作用が想定されます。すでに不動産市場が弱含む中で、政策判断として踏み込みにくい状況です。
「低資産課税国家」がもたらす歪み
現在の中国は、結果として次のような税制構造になっています。
- 相続税:なし
- 不動産税:限定的
- キャピタルゲイン課税:不十分
- 所得税:複雑で機能不全
この状態は、見方を変えれば「資産に対して極めて軽い課税国家」です。
その結果、以下の歪みが生じます。
① 格差の固定化
資産を持つ者は持ち続け、持たない者は持てない構造が強まります。これは社会の流動性を低下させます。
② 消費の停滞
富裕層は消費性向が低いため、資産集中が進むほど消費は伸びにくくなります。これは中国経済の内需拡大を阻害します。
③ 若年層の意欲低下
努力よりも「生まれ」が重要になる社会では、
- 競争からの離脱
- 労働意欲の低下
といった行動変化が生じやすくなります。
本質的な問題は「制度の遅れ」ではない
中国が相続税を導入できない理由は、単なる制度設計の問題ではありません。
むしろ本質は、
- 資産の透明化を避けたい政治構造
- 成長優先から分配への転換の遅れ
にあります。
これまでの中国は、高成長によって格差問題を吸収してきました。しかし成長が鈍化する局面では、分配の問題は避けて通れません。
それにもかかわらず、資産課税に踏み込めない状況は、制度と現実の乖離を拡大させています。
結論
中国は今、初めて「本格的な資産社会」に直面しています。
にもかかわらず、相続税をはじめとする資産課税の導入が進まないことで、
- 格差の固定化
- 社会の分断
- 成長力の低下
といったリスクが蓄積しています。
強大な権力を持つ政権であっても、資産課税という分野では政治的制約から自由ではありません。この構造は、中国の今後を考える上で極めて重要な示唆を持ちます。
今後の焦点は、成長と分配のバランスをどのように再設計するかにあります。その中で、相続税を含む資産課税の位置づけが問われ続けることになるでしょう。
参考
・The Economist 2026年3月24日号
・世界不平等データベース(World Inequality Database)
・各種中国税制・不動産政策関連資料