「ゆるいM&A」という経営戦略 ― 学研HDに学ぶサービス業の多角化モデル

経営

日本企業のM&Aは、効率化や短期的な利益改善を目的とするケースが多いと言われています。買収後に組織を統合し、ブランドや経営体制を親会社に合わせる「統合型M&A」が典型例です。

しかし近年、異なるアプローチで成長を続けている企業があります。教育出版で知られる学研ホールディングスです。

同社は、買収企業の独立性を尊重する「ゆるいM&A」と呼ばれる戦略を採用し、教育企業から医療・福祉企業へと事業領域を広げてきました。結果としてグループ企業は約120社に拡大し、売上高は16期連続で増収を続けています。

この戦略は、単なる企業買収ではなく、少子高齢社会に適応する企業モデルとして注目されています。本稿では、学研HDの「ゆるいM&A」の仕組みと、その経営的意味を整理します。


経営危機が生んだ事業転換

学研HDの現在の戦略は、約20年前の経営危機が出発点です。

かつて同社は教育・出版事業に依存する企業でした。売上の約8割を教育出版が占めており、典型的な「一本足経営」だったと言えます。

しかし2000年代に入り、

・少子化の進行
・出版市場の縮小
・教育事業の競争激化

といった環境変化に直面しました。売上高はピーク時から半減し、事業モデルの転換が迫られました。

2010年に宮原博昭氏が社長に就任すると、同社は大きく戦略を転換します。教育事業の周辺領域に目を向け、特に高齢者向け住宅などの医療・福祉分野へ投資を進めました。

社内ベンチャーとして始まっていたサービス付き高齢者向け住宅(サ高住)事業に注目し、3年間で約70棟を建設するという大胆な投資を行います。

この投資が後に、同社の事業構造を大きく変えることになります。


「ゆるいM&A」という独自モデル

学研HDの成長を支えてきたのが「ゆるいM&A」と呼ばれる手法です。

一般的なM&Aでは、買収後に経営体制やブランドを統合し、シナジー効果を短期間で生み出すことが求められます。しかし学研HDは、これとは異なる方針を採っています。

特徴は次の通りです。

① 買収企業の経営を尊重する

買収後も経営体制を大きく変更せず、社名も変更しない場合が多いとされています。親会社の方針を押し付けるのではなく、現場をよく知る経営陣の判断を尊重します。

② 短期的な成果を求めない

のれんの取得額は営業利益の5年分以下に抑え、償却期間も比較的長く設定しています。そのため、買収後すぐに利益改善を求める必要がありません。

③ 従業員を重視する経営

サービス業では人材が価値の源泉になります。学研HDは、買収企業の従業員の働き方や勤務地を尊重する姿勢を重視しています。

このような方針は、一見すると非効率に見えるかもしれません。しかし現場の人材のモチベーションを維持する効果があり、結果として企業価値の向上につながっています。


医療・福祉事業への拡大

こうしたM&Aを通じて、学研HDの事業構造は大きく変化しました。

2025年9月期の売上高は約2000億円に達し、その半分を医療・福祉事業が占めています。

代表的な事業の一つが、サービス付き高齢者向け住宅を中心とした「ココファン」シリーズです。これらの施設では、高齢者住宅だけでなく、

・認知症グループホーム
・学習教室
・発達障害児向け療育施設

などを同じ施設内に配置する取り組みも進められています。

高齢者と子どもが同じ施設で生活することで、地域コミュニティの形成や世代間交流が生まれるとされています。

同社はこの構想を「学研版・地域包括ケアシステム」と呼び、子どもから高齢者までの生活を支える企業モデルを構築しようとしています。


顧客生涯価値(LTV)の発想

学研HDの事業戦略の背景には、「顧客生涯価値(LTV)」という考え方があります。

LTVとは、一人の顧客が生涯にわたり企業にもたらす価値を意味します。

同社は、

幼児教育

学習塾

社会人教育

介護・高齢者住宅

というように、人生の各段階にサービスを提供することで、長期的な関係を築くことを目指しています。

この発想は、少子高齢社会において重要な意味を持ちます。子どもの数が減少するなかで、教育企業が成長するためには、対象となる年齢層を広げる必要があるからです。


「ゆるいM&A」の課題

もっとも、この戦略には課題もあります。

最大の課題は、グループ内の連携です。

子会社の独立性を尊重する結果、ブランドが統一されず、顧客が同じグループのサービスであると認識しないケースもあります。

この問題に対応するため、学研HDは「GakkenID」という共通IDを導入しました。複数のサービスを同じIDで利用できる仕組みで、グループ内の連携強化を目指しています。

ただし現時点では約30サービスにとどまり、まだ十分な相互送客が実現しているとは言えません。


結論

学研ホールディングスの「ゆるいM&A」は、日本企業の一般的な買収戦略とは異なる特徴を持っています。

買収企業の独立性を尊重し、短期的な成果を求めない経営は、一見すると非効率に見えるかもしれません。しかしサービス業では、人材や企業文化の維持が長期的な競争力につながる可能性があります。

教育企業として出発した学研HDは、医療・福祉事業を成長の柱に据えることで、少子高齢社会に適応した企業モデルを構築しつつあります。

一方で、グループ企業間の連携強化という課題も残されています。

子どもから高齢者までを対象とする企業集団として成長できるのか。「ゆるいM&A」は、日本企業の多角化戦略の一つの実験として、今後も注目されるテーマと言えるでしょう。


参考

日本経済新聞
THE STRATEGY 学研HDの研究(上)ゆるいM&Aで子会社育つ
2026年3月13日 朝刊

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