人工知能(AI)の急速な進展は、日本経済にとって大きな転機となりつつあります。生産性向上や新産業の創出を通じて、経済成長を押し上げる可能性がある一方で、その果実がすべての人に均等に行き渡るとは限りません。とりわけ物価高が続く現局面では、所得階層による負担の差が一層顕在化しています。
本稿では、AIによる成長期待と分配の課題を整理し、低所得層に対する即効性ある支援策の在り方を考察します。
AIは成長をもたらすか
AIの経済効果を考える上で参考になるのが、1990年代後半のIT革命です。米国ではパソコンやインターネットの普及により情報共有と業務自動化が進み、1996~2000年の経済成長率は平均4%台まで上昇しました。高度なスキルを要する職種が新たに生まれ、雇用全体も増加したと分析されています。
一方、日本では同時期の成長率は1%台にとどまりました。雇用面では高スキル層と低スキル層の比重が増す一方で、中間層が縮小するいわゆる雇用の二極化が進行しました。
AIはこれまで人間固有と考えられてきた非定型業務や専門業務の一部まで代替可能とする技術です。生産性の向上や成長促進が期待される反面、既存の分配構造を前提とすれば、雇用の二極化がさらに進む可能性があります。成長が加速しても、その恩恵が均等に広がらなければ、社会的なひずみは拡大しかねません。
物価高が拡大させる負担格差
問題は、こうした構造変化が物価高局面と重なっている点です。近年の春季労使交渉では5%を超える賃上げ率が続いていますが、定期昇給を含む数値であり、物価上昇率を十分に上回っているとはいえません。実質賃金はなお不安定な状況にあります。
さらに重要なのは、物価上昇の影響が所得階層によって異なることです。とりわけ食料品価格の上昇は低所得層に重くのしかかります。2021年以降、食料品価格は大きく上昇し、2025年までの年平均上昇率は6%台に達しました。
家計調査や賃金統計を基にした試算では、事業所規模5~29人で働く労働者の税込み賃金に対する食料品支出割合は約10%に達します。一方、500人以上の大企業で働く労働者は約7%弱にとどまります。単純比較でも、中小・零細企業で働く層の方が相対的に重い負担を負っていることになります。
しかも、食料品価格の上昇率を上回るペースで、低所得層の「所得比価格」は上昇しているとされます。統計上の物価指数以上に、実質的な生活負担は重い可能性があります。物価高は一律ではなく、構造的に格差を拡大させる性格を持っています。
消費税減税の限界
こうした状況を受け、食料品の消費税率を一定期間ゼロにする案が議論されています。欧州ではリーマン・ショックや新型コロナ危機時に付加価値税(VAT)を引き下げた事例がありますが、価格転嫁が十分に進まず、期待通りの値下げ効果が得られなかった国もありました。
もっとも、スペインでは基本的食料品のVATをゼロにした際、価格低下が確認されたとの調査もあります。また、スウェーデンでは食料品VATの引き下げとともに価格モニタリングを行う予定とされています。減税の実効性を担保するためには、制度設計と監視体制が不可欠です。
ただし、日本で仮に価格転嫁率が100%だったとしても、低所得層の負担軽減は月額数千円程度にとどまるとの試算もあります。累積的な物価高の影響を考えれば、減税のみで十分な対策とは言い難いのが実情です。
さらに、時限的な減税を期限通りに終了できるかという財政面の課題もあります。将来的な税率引き上げが経済に与えるショックをどう緩和するかという視点も欠かせません。
即効性ある分配策の必要性
AIによる成長促進策としては、賃上げ促進税制の拡充やAI投資を後押しする税制整備が考えられます。大企業を中心に物価上昇を上回る賃上げが実現すれば、経済全体の牽引力は高まるでしょう。
しかし、成長の果実が低所得層に波及するまでには時間を要します。現に物価高の影響を強く受けている層に対しては、即効性ある分配策が必要です。
例えば、マイナンバーカードを活用したポイント付与や給付制度は、所得情報と連動させることで対象を絞った支援が可能です。また、子育て世帯向け給付についても、所得水準を考慮した設計にすることで、財源をより効果的に活用できます。
重要なのは、成長戦略と分配政策を対立的に捉えないことです。成長を促す投資環境整備と同時に、その成果を迅速かつ的確に届ける制度設計を行うことが、AI時代の政策運営には求められています。
結論
AIは日本経済に新たな成長機会をもたらす可能性があります。しかし、その果実は自動的には広がりません。雇用の二極化や物価高が重なる現局面では、低所得層の負担は相対的に重くなっています。
消費税減税のような措置は一定の効果を持ち得ますが、影響は限定的です。成長を促す投資と並行して、即効性ある分配策を講じることが不可欠です。
AI時代においては、経済成長の質とともに、分配の精度が問われます。成長を起点としながらも、その成果を必要な人に迅速に届ける制度設計こそが、持続的なAI景気の条件といえるでしょう。
参考
日本経済新聞朝刊 2026年2月25日 経済教室
小巻泰之「AI景気の持続性(中)低所得層に即時的な支援を」
内閣府「年次経済財政報告」2018年度版
家計調査、消費者物価指数、毎月勤労統計調査 各公表資料

