かつて日本人にとって定年は「引退」を意味していました。
60歳で仕事を終え、退職金と年金を受け取りながら余生を過ごす――。これが長く理想的なライフコースと考えられてきました。
しかし現在、その前提は大きく変わりつつあります。
高年齢者雇用安定法の改正により、企業には70歳までの就業機会確保が求められています。実際に65歳を超えて働く人も年々増加しています。
一方で、「70歳まで働かなければ生活できない社会は不幸ではないか」という声もあります。
果たして70歳まで働く社会は幸せなのでしょうか。
今回は、高齢者雇用の拡大が意味するものを考えてみます。
なぜ70歳まで働く社会になったのか
最大の理由は人口構造の変化です。
日本は世界でも例を見ないスピードで高齢化が進んでいます。
平均寿命は、
- 男性:約81歳
- 女性:約87歳
となり、多くの人が90歳近くまで生きる時代になりました。
一方で出生数は減少し、現役世代は縮小しています。
もし60歳で完全引退する人が増え続ければ、
- 労働力不足
- 年金財政の悪化
- 医療・介護費の増加
といった問題がさらに深刻化します。
そのため政府は「高齢者にも働き続けてもらう社会」を目指しているのです。
本当に働かされているのか
高齢者雇用の議論では、
「年金だけでは暮らせないから働かされている」
という見方があります。
確かにその側面は否定できません。
老後資金への不安は大きく、多くの高齢者が生活費を補うために働いています。
しかし実態はそれだけではありません。
内閣府などの調査では、
- 健康維持のため
- 社会とのつながりを保つため
- 生きがいを得るため
といった理由で働く高齢者も少なくありません。
働く理由は「お金」だけではないのです。
引退が幸せだった時代
高度経済成長期には、
- 終身雇用
- 年功序列
- 厚い退職金
- 手厚い企業年金
が存在しました。
定年後は趣味や地域活動を楽しみながら暮らすことができました。
当時は平均寿命も現在ほど長くありませんでした。
60歳で引退しても老後期間は20年前後だったのです。
しかし人生100年時代では事情が異なります。
65歳で引退すると、その後30年以上の人生が残ります。
これまでの「引退モデル」を維持すること自体が難しくなっています。
長寿化が生み出した新しいリスク
長寿化は喜ばしいことですが、新しいリスクも生み出しました。
それが長寿リスクです。
長生きするほど、
- 生活費
- 医療費
- 介護費
が必要になります。
老後資金2000万円問題が話題になった背景にも、この長寿リスクがあります。
年金だけで十分な生活ができる人は限られています。
そのため働く期間を延ばし、
- 収入を得る
- 年金額を増やす
- 資産寿命を延ばす
という選択が現実的になっています。
働く高齢者が増えるメリット
高齢者雇用には多くの利点があります。
まず本人にとって、
- 所得の確保
- 健康維持
- 社会参加
につながります。
また企業側にとっても、
- 人手不足の解消
- 技術や経験の継承
- 若手育成
というメリットがあります。
社会全体で見ても、
- 年金財政の安定
- 税収増加
- 社会保障費の抑制
につながります。
単純に「高齢者が働く=悪いこと」とは言えません。
しかし課題も多い
一方で課題もあります。
最も大きいのは健康格差です。
70歳になっても元気に働ける人もいれば、病気や介護のため働けない人もいます。
また職種による違いもあります。
デスクワーク中心の仕事と、
- 建設業
- 製造業
- 運輸業
- 介護職
では身体的負担が大きく異なります。
「70歳まで働く社会」が成立するためには、多様な働き方が必要になります。
高齢者雇用の本当の課題
実は最大の課題は年齢ではありません。
仕事の質です。
高齢者雇用が進んでも、
- 単純作業だけ
- 低賃金だけ
- やりがいがない
という状況では幸せとは言えません。
重要なのは、
「何歳まで働くか」
ではなく、
「どのように働くか」
です。
知識や経験を活かせる仕事が増えれば、高齢者雇用は前向きな選択肢になります。
反対に生活のためだけに働き続けるのであれば、負担感は大きくなります。
人生は三段階から多段階へ
これまでの人生モデルは、
- 学ぶ
- 働く
- 引退する
という三段階構造でした。
しかし人生100年時代には、
- 学び直す
- 転職する
- 起業する
- 副業する
- 地域活動に参加する
といった多様な選択肢が生まれます。
60歳以降も新しい挑戦をする人は増えています。
高齢者雇用の本質は、「引退を遅らせること」ではなく、「人生の選択肢を増やすこと」にあるのかもしれません。
定年の意味は変わるのか
今後、定年という概念そのものが変わる可能性があります。
かつて定年は仕事人生の終着点でした。
しかしこれからは、
- 第一の仕事人生
- 第二の仕事人生
- 地域活動や社会貢献
へ移行する節目になるかもしれません。
実際にシニア起業や複業を選ぶ人も増えています。
働くことと引退することの境界線は、今後ますます曖昧になっていくでしょう。
結論
70歳まで働く社会は、一概に不幸とも幸福とも言えません。
長寿化と人口減少が進む日本において、高齢者雇用の拡大は避けられない流れです。
重要なのは、「70歳まで働くこと」そのものではなく、「働き続けることを選べる社会」をつくることです。
健康な人が能力や経験を活かして活躍できる環境が整えば、高齢者雇用は人生の可能性を広げる制度になります。
人生100年時代とは、単に働く期間が長くなる時代ではありません。
学び、働き、生きる形を何度でも選び直せる時代でもあるのです。
参考
・厚生労働省「高年齢者雇用安定法の概要」
・内閣府「高齢社会白書」
・厚生労働省「高年齢者雇用状況等報告」
・リンダ・グラットン、アンドリュー・スコット『LIFE SHIFT(ライフ・シフト)』
・日本経済新聞 高齢者雇用・年金制度関連記事