日本政府は100兆円を超える規模の外貨資産を保有しています。
さらに円安によって、外国為替資金特別会計には50兆円を超える為替換算上の利益が生じています。
一方、国の財政では社会保障費などが増え、減税を行う場合にも財源が問題になります。
そこで出てくるのが、
巨額の外貨準備を売って減税財源にすればよいのではないか
という考え方です。
一見すると合理的に見えます。
しかし外貨準備という資産を売却して得るお金と、税収のように毎年度入ってくるお金には大きな違いがあります。
資産は売れば減ります。
一方、減税による税収減は、減税を続ける限り毎年度発生します。
この違いを理解するために重要なのが、ストックとフローという考え方です。
ストックとは何か
ストックとは、ある時点で保有している資産や負債の残高です。
例えば銀行預金が1000万円ある家庭を考えます。
この1000万円は、その家庭がある時点で持っている資産です。
これがストックです。
外貨準備も同じです。
日本政府が保有している米国債や外貨預金、金などは、ある時点で政府が保有している資産です。
そのため外貨準備が100兆円あるという数字は、
政府が毎年100兆円の収入を得ている
という意味ではありません。
過去から積み上がった資産残高です。
フローとは何か
フローとは、一定期間に入ってくる収入や出ていく支出です。
家庭でいえば毎月の給与がフローです。
例えば預金が1000万円あり、年収が600万円の家庭を考えます。
1000万円はストックです。
600万円は1年間に得るフローです。
国の場合、毎年度入ってくる税収などがフローにあたります。
所得税や法人税、消費税などは経済活動が続く限り、毎年度発生します。
外為特会でも米国債などから受け取る利子収入はフローです。
一方、保有している米国債そのものはストックです。
この違いが減税財源を考えるときに重要になります。
外貨準備は過去から積み上がった資産である
日本の外貨準備は、過去の為替介入などによって積み上がってきました。
円高を抑えるために円売りドル買い介入を行う。
政府短期証券を発行するなどして円を調達する。
その円を売ってドルを買う。
取得したドルを米国債などで運用する。
こうした取引が積み重なった結果、現在の巨額の外貨準備があります。
したがって外貨準備は、毎年度新しく100兆円以上生まれているわけではありません。
過去から保有している資産なのです。
外貨準備を売れば資産は減る
外貨準備を売却すれば円を得ることができます。
例えば10兆円相当の米国債などを売り、ドルを円へ交換したとします。
政府側には円が入ります。
しかし同時に、保有する外貨資産は減ります。
つまり新しい富が10兆円生まれたわけではありません。
外貨という資産を円という別の形へ変えただけです。
さらに外為特会では、外貨資産の裏側に政府短期証券などの負債があります。
円買いドル売り介入で得た円は、政府短期証券の償還に充てる仕組みがあります。
外貨資産の売却額そのものを、そのまま自由な財源と考えることはできません。
家庭の預金を生活費に使う場合と似ている
ストックとフローの違いは、家庭に置き換えると分かりやすくなります。
1000万円の預金がある家庭で、毎年の生活費が収入を100万円上回っているとします。
1年目は預金から100万円を取り崩せます。
預金は900万円になります。
2年目も100万円取り崩せます。
800万円になります。
同じことを続ければ、いつか預金はなくなります。
1000万円の預金があることは、一時的な赤字に対応できるという意味では大きな安心材料です。
しかし毎年100万円の赤字が続く問題そのものを解決したわけではありません。
外貨準備を毎年度の減税財源として使う場合にも、同じ問題があります。
減税による税収減は毎年発生する
税率を引き下げれば、基本的にはその税率が続く限り税収への影響も続きます。
例えばある減税によって税収が年間5兆円減るとします。
1年間なら5兆円です。
2年間なら単純計算で10兆円です。
5年間なら25兆円です。
10年間なら50兆円です。
もちろん実際の税収は景気や物価、消費行動などによって変わります。
しかし減税を恒久化すれば、財源の問題も毎年度続きます。
一度だけ資産を売却して得たお金とは性質が違います。
一度売った資産を翌年もう一度売ることはできない
外貨準備を減税財源として使う場合の大きな問題がこれです。
今年10兆円の外貨資産を売ったとします。
その10兆円の資産は翌年にはありません。
翌年も同じ財源が必要なら、別の外貨資産をさらに売る必要があります。
その次の年も同じです。
つまり恒久的な減税を外貨準備の取り崩しで支えようとすれば、減税を続けるために外貨準備を継続的に減らしていくことになります。
外貨準備には限りがあるため、永久に続けることはできません。
期間限定の減税なら問題はないのか
期間限定の減税であれば、恒久減税よりはストック財源との相性がよいように見えます。
例えば2年間だけの減税で、必要財源が合計10兆円とします。
一時的な資産売却によって10兆円を確保できれば、期間だけを見れば対応できるように感じます。
しかし、それでも問題は残ります。
外貨準備は単なる余剰資産ではありません。
為替介入に利用する政策資産です。
その裏側には政府短期証券などの負債もあります。
さらに大量の米国債売却が米国の長期金利や為替市場へ影響する可能性があります。
したがって期間限定の減税だから外貨準備を自由に使えるということにはなりません。
含み益なら使っても資産は減らないのか
ここで、
元本ではなく50兆円を超える含み益だけを使えばよい
という考え方も出てきます。
しかし含み益は現金ではありません。
円安によってドル建て資産の円換算額が増えた結果です。
含み益を実際のお金として取り出すためには、基本的には外貨資産を売却する必要があります。
資産を売却すれば外貨準備は減ります。
さらに為替相場が円高方向へ動けば、含み益そのものも縮小します。
50兆円という金額が将来も固定されているわけではありません。
剰余金はストックとは少し違う
外為特会の財源を考えるときには、外貨準備そのものと毎年度の剰余金を区別する必要があります。
外貨準備はストックです。
一方、米国債などから得られる利子収入などによって毎年度生じる剰余金は、フローに近い性質を持っています。
そのため外貨準備そのものを売却するより、毎年度の剰余金の一部を一般会計へ繰り入れる方が通常の財源に近い仕組みです。
実際、外為特会の剰余金の一部は一般会計へ繰り入れられています。
ただし剰余金も毎年同じ金額になるとは限りません。
海外金利や国内金利、為替相場などによって収益環境は変わります。
剰余金も恒久財源とは限らない
外為特会から毎年数兆円の一般会計繰入があるのであれば、それを減税財源にすればよいように見えます。
しかし剰余金は税収ほど安定した収入ではありません。
米国金利が低下すれば外貨資産から得られる利子収入が減る可能性があります。
日本の金利が上昇すれば政府短期証券の調達コストが増える可能性があります。
さらに外為特会の健全性を維持するため、剰余金のすべてを一般会計へ移すわけではありません。
したがって毎年一定額が永久に利用できる財源として扱うことには慎重さが必要です。
恒久減税には恒久財源が求められる理由
恒久的な減税では、税収減が毎年度続きます。
そのため財政を安定させるのであれば、それに対応する継続的な財源が必要になります。
例えば、
別の歳出を恒久的に削減する
別の税収を確保する
経済成長によって税収基盤を拡大する
といった方法です。
もちろん政策として、財源を完全に確保せず国債発行によって対応するという選択もあり得ます。
しかし、その場合には政府債務が増えます。
重要なのは、恒久的な支出や減税には長期的な財政への影響があるということです。
一時的な資産売却だけでは、その構造を解決できません。
外貨準備には本来の役割がある
さらに外貨準備には、為替政策を支えるという本来の役割があります。
急激な円安が起きた場合、政府は外貨準備のドルを売って円を買うことができます。
外貨準備が大きければ、それだけ円買い介入を行う余力があります。
減税財源として外貨準備を取り崩せば、その分だけ将来の為替介入に利用できる資産は減ります。
つまり外貨準備を財源にすることには、
資産を減らす
だけでなく、
政策対応力を減らす
という側面もあります。
財政政策と為替政策を混ぜる問題
外貨準備を減税財源にする議論には、もう一つ重要な問題があります。
本来、外貨準備は外国為替政策のために管理されています。
一方、減税は財政政策です。
財政事情が厳しくなるたびに外貨準備を売却するようになれば、外国為替政策のための資産が財政政策によって左右されることになります。
例えば円安が進んでいるときに減税財源を確保するため米国債を売れば、結果としてドル売り円買いが発生します。
財政目的の資産売却が為替市場への介入と同じような影響を与える可能性があります。
財政政策と為替政策の境界が曖昧になるのです。
外貨準備が多すぎる議論とは分ける
日本の外貨準備が経済規模に比べて大きすぎるのではないかという議論には検討の余地があります。
必要以上の外貨準備を持っているのであれば、長期的に規模を見直すという考え方はあり得ます。
しかし、
外貨準備が多すぎるかもしれない
という問題と、
外貨準備を減税財源として使う
という問題は同じではありません。
外貨準備の適正規模を見直すのであれば、為替政策や市場への影響、資産と負債の関係などを考えて進める必要があります。
財政赤字を埋めるために売却することとは目的が違います。
結論
外貨準備を減税財源として利用する最大の問題は、ストックとフローの性質が違うことです。
外貨準備は過去から積み上がった資産です。
一度売却すれば、その資産は減ります。
一方、恒久的な減税を行えば税収減は毎年度続きます。
今年外貨準備を売って財源を確保できても、翌年には別の資産をさらに売らなければなりません。
これを続ければ、いつか外貨準備は減少していきます。
さらに外貨準備には為替介入という本来の役割があり、その裏側には政府短期証券などの負債もあります。
50兆円を超える含み益も、円安によって生じた評価上の利益であり、固定された現金ではありません。
外貨準備が多すぎるのかを検討することと、それを減税財源として使うことも別問題です。
資産を取り崩せば一時的な財源を作ることはできます。
しかし、それによって毎年度発生する税収減を支える恒久財源が生まれるわけではありません。
減税財源を考えるときには、政府がいくら資産を持っているかだけでなく、その財源が一度限りなのか、毎年度継続して得られるものなのかを区別することが重要なのです。
参考
日本経済新聞 2026年8月29日 朝刊 「外為特会で減税」は悪手