日本政府は過去の円売りドル買い介入などによって、100兆円を超える規模の外貨資産を保有しています。
ここで一つ疑問が生まれます。
政府は、そのドルを買うための巨額の円をどこから用意したのでしょうか。
一般会計の税金を使ってドルを買ったわけではありません。
重要な役割を果たしているのが政府短期証券です。
政府は政府短期証券を発行して円資金を調達し、その円を外国為替市場で売ってドルなどの外貨を買うことができます。
つまり外為特会にある巨額の外貨資産の裏側には、政府短期証券という巨額の負債があります。
外為特会を理解するときに資産だけを見てはいけない理由が、ここにあります。
政府短期証券とは何か
政府短期証券とは、政府が短期間の資金を調達するために発行する証券です。
政府が市場からお金を借りる手段の一つと考えると分かりやすいでしょう。
国が資金を調達する方法として一般によく知られているのは国債です。
しかし政府が必要とする資金には、長期間にわたって利用するものだけでなく、一時的な資金もあります。
こうした短期的な資金調達に利用されるのが政府短期証券です。
外為特会では、外国為替市場への介入に必要となる円資金の調達に政府短期証券が重要な役割を果たします。
政府短期証券を発行すると、政府は投資家などから円資金を調達できます。
その円を使って外国為替市場でドルなどを購入することができます。
国債とは何が違うのか
政府短期証券も国債も、政府がお金を借りるために発行するという点では似ています。
大きな違いは資金調達の目的や期間です。
一般に国債には、公共事業などの財源を調達する建設国債や、一般会計の歳入不足を補うための特例国債などがあります。
こうした国債は国の歳出を賄う財源として利用されます。
一方、政府短期証券は短期的な資金繰りや特別会計の資金調達などに利用されます。
外為特会では、円売りドル買い介入を行うための円資金を調達する手段になります。
つまり、
政府短期証券を発行する
円資金を調達する
円を売ってドルを買う
という流れになります。
一般会計の歳出を賄う国債とは、資金を調達する目的が違うのです。
なぜ税金でドルを買わないのか
例えば政府が10兆円規模の円売りドル買い介入を行うとします。
一般会計から10兆円を用意しようとすれば、社会保障や公共事業など通常の歳出との調整が必要になります。
しかし為替相場は短期間で大きく変動します。
政府が必要と判断したときに迅速に介入できなければ、為替介入の効果が小さくなってしまう可能性があります。
そこで外国為替政策のための資金を一般会計とは別に管理しているのが外為特会です。
政府短期証券を利用して円資金を調達することで、一般会計の税収を直接使わずに為替介入を行える仕組みになっています。
この仕組みがあるからこそ、政府は必要に応じて数兆円、場合によっては10兆円を超える規模の介入を実施できます。
円売りドル買い介入では何が起きるのか
政府短期証券と為替介入の関係を具体的に見てみます。
急激な円高が進み、政府が円売りドル買い介入を決めたとします。
まず政府は政府短期証券を発行します。
投資家などが政府短期証券を購入すると、政府は円資金を受け取ります。
次に、その円を外国為替市場で売ります。
代わりにドルを買います。
すると政府のバランスシートには、
資産としてドルなどの外貨資産
負債として政府短期証券
が生まれます。
例えば10兆円分の政府短期証券を発行して円を調達し、その円でドルを買ったとします。
単純化すれば、
外貨資産が10兆円増える
政府短期証券という負債も10兆円増える
という関係になります。
資産だけが突然増えたわけではありません。
買ったドルは外貨準備として残る
円売りドル買い介入によって取得したドルは、介入が終わったからといって消えるわけではありません。
政府の外貨資産として残ります。
そして、そのドルを米国債などで運用します。
これが日本の外貨準備が積み上がってきた大きな理由です。
過去に大規模な円売りドル買い介入を行えば行うほど、政府の外貨資産は増えていきます。
しかし同時に、その円資金を調達するために発行した政府短期証券も存在します。
そのため外為特会には、
100兆円を超える規模の有価証券などの資産
と
巨額の政府短期証券という負債
が並んで存在することになります。
なぜ政府短期証券の残高が巨額になるのか
政府短期証券は短期証券です。
それなら過去に発行したものは、すでに償還されているのではないかと思うかもしれません。
確かに一つ一つの政府短期証券は短期間で償還期限を迎えます。
しかし外貨資産を保有し続ける場合、その資金調達も続ける必要があります。
そこで満期を迎えた政府短期証券を償還する一方、新たな政府短期証券を発行して資金を調達することがあります。
借り換えです。
例えば100兆円の政府短期証券が満期を迎えたからといって、政府が100兆円の現金を一般会計から用意して一気に返済するわけではありません。
新しい政府短期証券を発行して借り換えることで資金調達を継続できます。
このため過去の為替介入によって取得した外貨資産を保有し続ける一方で、政府短期証券の残高も巨額になります。
円買いドル売り介入では逆の動きになる
今度は急激な円安が進み、政府が円買いドル売り介入を行う場合を考えてみます。
この場合、政府は外貨準備として持っているドルなどを売ります。
そして円を買います。
すると、
外貨資産が減る
円資金を受け取る
ということになります。
この円資金はどうなるのでしょうか。
財務省が示している仕組みでは、円買い外貨売り介入によって得た円貨は、政府短期証券の償還に充てられます。
つまり、
過去の円売り介入で政府短期証券を発行する
円を調達してドルを買う
外貨資産が増える
その後の円買い介入でドルを売る
円を受け取る
その円で政府短期証券を償還する
という対応関係があります。
円売り介入と円買い介入は、外為特会のバランスシートを反対方向に動かす取引でもあるのです。
ドルを売って得た円を減税に使えない理由
ここを理解すると、外為特会を減税財源にする議論の重要なポイントが見えてきます。
例えば政府が円買いドル売り介入を行って10兆円の円を受け取ったとします。
政府の手元に10兆円の円が入るのだから、
その10兆円を減税の財源にすればよい
と思うかもしれません。
しかし、その円は単純な利益ではありません。
もともと円売りドル買い介入を行った際に、政府短期証券を発行して円資金を調達しています。
そのためドルを売って回収した円は、政府短期証券の償還に充てる仕組みになっています。
これは、借金をして1000万円の金融資産を購入した人が、その金融資産を1000万円で売却した場合に似ています。
手元に1000万円の現金が入ったからといって、その全額が自由に使える利益になったわけではありません。
その裏側には返済すべき借金があります。
外為特会でも資産と負債をセットで考える必要があります。
外為特会の100兆円は政府の純資産ではない
外為特会について、
100兆円を超える外貨資産がある
という数字だけを見ると、政府が巨額の余裕資金を持っているように見えます。
しかし資産が100兆円あることと、純資産が100兆円あることは違います。
外貨資産を取得するために政府短期証券を発行していれば、その分だけ負債があります。
家計で考えても同じです。
1億円の住宅を所有していても、住宅ローンが9000万円残っていれば、1億円すべてを自由に使える財産とはいえません。
外為特会についても、
外貨資産はいくらあるのか
政府短期証券はいくらあるのか
外貨資産からどれだけ収益が出ているのか
資金調達にどれだけコストがかかっているのか
を合わせて見る必要があります。
政府短期証券は外為特会を理解する鍵になる
外為特会の議論では、米国債や為替差益などの資産側が注目されやすくなります。
しかし同じくらい重要なのが負債側です。
円売りドル買い介入によって取得した外貨資産の裏側には、政府短期証券による円資金の調達があります。
そして円買いドル売り介入を行えば、売却した外貨資産から得た円を政府短期証券の償還に充てます。
この仕組みを理解すると、
外貨準備を売れば巨額の財源が生まれる
という単純な話ではないことが分かります。
政府が持つ資産を見るときには、その資産をどのようなお金で取得したのかまで確認することが重要なのです。
結論
政府短期証券とは、政府が短期的な資金を調達するために発行する証券です。
外為特会では、円売りドル買い介入に必要となる円資金を調達する重要な役割を持っています。
政府が円売りドル買い介入を行う場合、政府短期証券を発行して円を調達し、その円を外国為替市場で売ってドルなどの外貨を購入します。
その結果、外為特会には資産として外貨が増える一方、負債として政府短期証券が増えます。
反対に円買いドル売り介入では、保有している外貨を売って円を取得し、その円を政府短期証券の償還に充てます。
つまり外為特会にある巨額の外貨資産は、何もないところから生まれた政府の貯金ではありません。
その裏側には、外貨を取得するために調達した巨額の円資金があります。
外為特会を見るときに重要なのは、100兆円を超える外貨資産という数字だけを見ることではありません。
資産の反対側に政府短期証券という負債があることまで理解することです。
政府の資産が大きいことと、政府が自由に使えるお金が多いことは同じではないのです。
参考
日本経済新聞 2026年8月29日 朝刊 「外為特会で減税」は悪手