日本企業は「還元競争」から「成長投資競争」へ移るのか(資本配分再設計編)

経営

東京証券取引所によるPBR1倍割れ改善要請や、コーポレートガバナンス改革の進展によって、日本企業では近年、自社株買いや増配が急速に拡大してきました。

ROE(自己資本利益率)を高める経営は、長年「低収益・低効率」と言われてきた日本企業の体質改善を促し、株式市場の評価向上にも一定の成果をもたらしました。

しかし、その一方で、別の課題も見え始めています。

企業が利益を「還元」に回すことを優先しすぎるあまり、本来必要な設備投資、人材投資、研究開発投資が後回しになっているのではないか――という問題です。

こうした中、経済産業省は2026年、新たな「成長投資ガイダンス」を策定し、従来のROE偏重から「成長投資も含めた企業価値評価」へと軸足を移そうとしています。

これは単なる指標変更ではありません。

日本企業の「お金の使い方」そのものを問い直す転換点とも言える動きです。


ROE経営は日本企業を変えた

2014年に公表された「伊藤レポート」は、日本企業に強いインパクトを与えました。

特に象徴的だったのが、「ROE8%」という基準です。

ROEは、株主から預かった資本を使って、どれだけ効率的に利益を生み出しているかを示す指標です。

ROE=当期純利益自己資本ROE=\frac{当期純利益}{自己資本}ROE=自己資本当期純利益​

日本企業は長年、内部留保や現預金を積み上げる傾向が強く、資本効率の低さが問題視されていました。

そのため、

  • 不採算事業の売却
  • 現預金の圧縮
  • 自社株買い
  • 配当強化
  • 政策保有株式の縮減

などが急速に進みました。

結果として、日本企業のROEは改善し、海外投資家からの評価も高まりました。

日経平均株価が大きく上昇した背景にも、こうした資本効率改革があります。


しかし「引き算の経営」に偏った

一方で、今回の経産省の問題提起は非常に興味深いものです。

ROEは改善したものの、その多くが「引き算」によって達成されていたという点です。

例えば、

  • 資産売却
  • 人件費抑制
  • 投資削減
  • 自社株買い
  • 余剰資金圧縮

などです。

もちろん、非効率な資産を整理すること自体は悪いことではありません。

しかし、それだけでは企業の将来価値は高まりません。

本来、企業価値を高めるには、

  • 人材育成
  • 研究開発
  • DX投資
  • 新規事業投資
  • 海外展開
  • M&A
  • 設備更新

など、「未来の利益」を生み出す投資が必要です。

ところが、日本企業では株主還元圧力が強まりすぎた結果、「短期的にROEを上げる行動」が優先される場面も増えていきました。


経産省が示す「EP」という新しい考え方

今回、経産省が打ち出した新指針では、「EP(価値創造指標)」という考え方が重視されています。

詳細な設計は今後固まりますが、基本的な思想は明確です。

単なる「利益率」ではなく、

  • 資本効率
  • 成長投資
  • 付加価値創出

を組み合わせて企業価値を測ろうという発想です。

つまり、

「どれだけ稼いだか」

だけではなく、

「将来のためにどれだけ投資しているか」

まで評価対象にしようとしているのです。

これは極めて重要な転換です。


株主還元は本当に悪なのか

ここで注意したいのは、「株主還元=悪」という話ではないことです。

実際、日本企業は長年、株主軽視とも言われてきました。

資本効率を無視し、

  • 過剰な現預金
  • 採算性の低い事業維持
  • 放漫経営
  • 低収益事業の温存

が続いていた面もあります。

その意味で、ROE改革には大きな意味がありました。

問題は「極端化」です。

ROE改善が目的化すると、

  • 将来投資を削る
  • 自社株買いを優先する
  • 短期利益を重視する
  • 研究開発を抑える

という逆転現象が起きます。

本来、ROEは「結果」であり、「目的」ではありません。

今回の成長投資ガイダンスは、そのバランスを取り戻そうとする動きとも言えます。


米国企業は「投資優先→還元拡大」の順番

記事では米アップルの例も紹介されています。

アップルはiPhone開発期に無配を続け、大規模還元に踏み切ったのは成熟後でした。

これは米国企業に多い、

  • 成長期=投資優先
  • 成熟期=還元強化

という資本配分思想です。

一方、日本企業は成長段階に関係なく配当を維持しようとする傾向があります。

背景には、

  • 減配忌避文化
  • 安定配当信仰
  • 株主への過度な配慮
  • 失敗を嫌う企業文化

などがあります。

しかし、本当に成長を目指すなら、短期還元より投資を優先すべき局面もあります。

今回の経産省の指針は、その「投資を正当化する理論」を企業側に与えようとしている面もあります。


日立製作所はなぜ市場評価を変えられたのか

記事では日立製作所の事例も紹介されています。

日立製作所 は、かつて総合電機型の巨大コングロマリットとして低収益に苦しみました。

しかし、

  • 不採算事業整理
  • IT・デジタル集中
  • グローバル化
  • 大型M&A
  • 経営資源再配分

を進めた結果、市場から「成長企業」として再評価されました。

重要なのは、単なるコスト削減ではなく、

「どこに集中投資するか」

を明確化したことです。

つまり、

「引き算」と「足し算」

の両方を実行したのです。


これからは「資本配分力」が企業価値を決める

今後、日本企業で問われるのは「利益額」そのものではなく、

「利益をどう配分するか」

になる可能性があります。

例えば、

  • 還元に回すのか
  • 投資に回すのか
  • 人材育成に使うのか
  • M&Aに使うのか
  • DXに使うのか

によって、将来価値は大きく変わります。

つまり、経営とは「利益を稼ぐ力」だけでなく、

「資金を再配分する力」

でもあるということです。

これは経理・財務部門にとっても大きな変化です。

単なる決算管理ではなく、

  • 投資対効果分析
  • 資本コスト管理
  • 事業ポートフォリオ分析
  • ROIC経営
  • 人的資本投資分析

などが重要になっていきます。


「ROE時代」の次に来るもの

日本企業はこれまで、

  • 売上重視
  • 利益重視
  • ROE重視

へと変化してきました。

そして次は、

「持続的価値創造」

そのものが問われる時代に入りつつあります。

その中では、

  • どの事業に集中するのか
  • 何に投資するのか
  • 何をやめるのか
  • どんな未来を作るのか

という「資本配分の思想」が、企業価値そのものを左右することになります。

今回の経産省の新指針は、単なるガイドラインではありません。

日本企業が「還元競争」から「成長投資競争」へ移れるのかを問う、新しい経営思想の入口なのかもしれません。


参考

・日本経済新聞 2026年5月27日朝刊
「企業評価、成長投資も重視 経産省が新指針 還元への傾斜是正」

・日本経済新聞 2026年5月27日朝刊
「価値向上へ『足し算』の経営 経産省が新指針 成長期の投資優先促す」

・経済産業省「伊藤レポート」

・経済産業省「成長投資ガイダンス(案)」

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