高齢化社会の議論では、これまで「年金不足」「医療費」「介護費用」が中心テーマでした。しかし、これからはもう一つ、極めて重要な問題が浮上します。
それは、「自分のお金を自分で管理できなくなる人が急増する」という問題です。
慶応義塾大学の調査によれば、要支援1〜2、要介護1の高齢者のうち、約3割が「1人で預貯金の出し入れができない」と回答しました。特に要介護1では6割を超えています。
これは単なる「ATM操作が苦手」という話ではありません。
日本社会がこれから直面するのは、「認知機能低下による金融弱者化」という、極めて大きな社会問題です。
「金融機能の喪失」は突然始まる
多くの人は、認知症を「重度化してからの問題」と考えています。
しかし実際には、最初に表面化するのは日常の金融行動です。
例えば、
- 暗証番号を忘れる
- 通帳や印鑑の置き場所が分からない
- ATM画面の意味が理解できない
- 金融商品の説明が理解できない
- 判断に自信が持てず第三者に依存する
といった現象です。
今回の調査でも、「説明が難しく理解できない」「家族や第三者の意見を聞きたくなる」といった回答が多く見られました。
これは単なる老化ではありません。
「金融判断能力」が低下し始めている状態です。
しかも本人は、自分の能力低下を十分認識できない場合があります。
ここに特殊詐欺や悪質商法が入り込む余地が生まれます。
日本には「260兆円問題」が存在する
慶応大の駒村康平教授は、認知機能が低下した人の保有金融資産が260兆円規模に達すると推計しています。
これは単なる個人問題ではありません。
日本経済全体に関わる巨大テーマです。
なぜなら、
- 消費が止まる
- 資産運用が止まる
- 相続準備が進まない
- 資産凍結リスクが増える
- 詐欺被害が増える
といった問題が同時に起きるからです。
特に深刻なのは、「使われない資産」が増えることです。
認知機能が低下すると、人はお金を使うこと自体に不安を感じ始めます。
結果として、
- 現金保有が増える
- 投資回避が進む
- 消費が萎縮する
という現象が起きます。
これは超高齢社会の日本において、経済停滞要因にもなり得ます。
「家族がいれば安心」は成立しない時代
かつては家族が金融管理を支える前提がありました。
しかし現在は、
- 単身高齢者の増加
- 子どもの遠距離居住
- 未婚化
- 高齢者世帯のみの増加
によって、「家族管理モデル」が機能しにくくなっています。
さらに、家族がいても問題はあります。
実際には、
- 家族による財産管理トラブル
- 高齢者資産の使い込み
- 相続前の不適切引き出し
なども増えています。
つまり、「家族に任せれば解決」という単純な時代ではありません。
金融機関は「預金管理業」へ変わるのか
これから金融機関の役割は大きく変化する可能性があります。
従来の銀行は、
- 預金を集める
- 融資をする
- 決済を行う
ことが中心でした。
しかし今後は、
- 認知機能低下の兆候把握
- 不審取引の監視
- 家族との情報共有
- 成年後見制度との連携
- 福祉機関との接続
など、「生活支援インフラ」としての役割が強まる可能性があります。
実際、金融機関窓口は既に「高齢者対応」の最前線になっています。
ATM操作支援や特殊詐欺防止だけでなく、本人確認強化や家族相談対応など、従来とは異なる業務負担が増えています。
つまり銀行は今後、「金融業」と「福祉インフラ」の中間的存在へ変わっていく可能性があります。
成年後見制度だけでは限界がある
高齢者の財産管理制度としては成年後見制度があります。
しかし現状では、
- 手続が難しい
- 利用コストが高い
- 柔軟性が低い
- 一度利用すると解除が難しい
などの課題があります。
そのため、「使いたくても使えない」というケースが多いのが実態です。
近年は家族信託への関心も高まっています。
ただし家族信託も、
- 設計ミス
- 税務問題
- 受託者リスク
- 家族間対立
などがあり、万能ではありません。
つまり、日本はまだ「認知機能低下時代の資産管理制度」を十分構築できていないとも言えます。
「老後準備」の意味が変わり始めている
これまで老後準備といえば、
- 老後資金をいくら貯めるか
- 年金をどう補うか
- 医療・介護費をどうするか
が中心でした。
しかしこれからは、
「判断能力が低下した時に、誰が資産を管理するのか」
まで含めて考える必要があります。
つまり、
- 資産形成
- 資産運用
- 資産承継
- 資産管理委任
まで含めた「人生後半設計」が必要になる時代です。
結論
高齢化社会の本当の問題は、「寿命が延びること」だけではありません。
「判断能力が低下した状態で長期間生きる人が増えること」です。
そして、その時に最初に機能低下が表れるのが「金融行動」です。
日本には今後、膨大な高齢者資産が存在し続けます。
しかし、その資産を「安全に管理し、適切に使い、円滑に承継する仕組み」は、まだ十分整備されていません。
これから必要になるのは、
「いくら貯めるか」
だけではなく、
「誰が管理するのか」
「どう守るのか」
「どう支援するのか」
を含めた新しい老後設計です。
超高齢社会とは、単なる人口問題ではありません。
「金融自己管理能力の低下社会」でもあるのです。
参考
・日本経済新聞 2026年5月24日朝刊「要支援1~2・要介護1の高齢者『1人で貯金出せず』29%」
・慶應義塾大学 駒村康平研究室 高齢者の金融行動に関する調査資料
・厚生労働省「成年後見制度利用促進基本計画」
・金融庁 高齢社会における金融サービスのあり方に関する資料