中間層の手取りはなぜ減るのか 賃上げしても豊かになれない日本の家計編

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企業による賃上げが続いています。ニュースでは春季労使交渉の高い賃上げ率が報じられ、給与明細を見ても以前より額面の給与が増えたという人は少なくないでしょう。

ところが、生活が楽になったという実感はなかなか広がっていません。

その背景にあるのが、物価上昇に加えて税金や社会保険料の負担です。名目上の給与が増えても、税金や社会保険料を差し引き、さらに物価上昇を考慮すると、実際に使えるお金の価値が減ってしまうことがあります。

特に影響が目立つのが、日本の平均的な世帯に近い中間所得層です。

年収が増えても手取りが増えるとは限らない

家計の豊かさを考えるとき、年収だけを見ても実態は分かりません。

重要なのは可処分所得です。

可処分所得とは、給与などの収入から所得税、住民税、社会保険料などを差し引いた後、家計が実際に消費や貯蓄に回すことのできるお金です。

例えば給与が年間20万円増えたとしても、その20万円をすべて自由に使えるわけではありません。

所得が増えれば所得税や住民税の負担も増えます。厚生年金保険料や健康保険料などの社会保険料も給与に応じて増える場合があります。

さらに物価が上昇すれば、同じ100万円でも購入できる商品やサービスの量は少なくなります。

つまり家計の生活水準を見るには、額面の給与ではなく、税金や社会保険料を差し引き、さらに物価変動を考慮した実質的な可処分所得を見る必要があります。

中間層の実質的な手取りが減っている

総務省の家計調査をもとにした分析では、勤労者のいる二人以上世帯について、2019年から2025年にかけて物価変動を考慮した可処分所得は平均で2.0%減少しました。

特に大きく減少したのは低所得層です。

しかし、それに次いで減少が目立つのが中間所得層です。

年収500万円から550万円の世帯では14.6%減、550万円から600万円では11.9%減となっています。

2025年の国民生活基礎調査では一世帯当たりの平均所得は575万円ですから、まさに日本の平均的な所得水準に近い世帯で実質的な手取りの減少が起きていることになります。

賃上げが進んでいるにもかかわらず、家計が豊かになったと感じにくい理由の一つがここにあります。

生活必需品を守るため娯楽を削る

手取りの購買力が低下すると、家計はすべての支出を同じ割合で減らすわけではありません。

まず守らなければならないのが生活必需品です。

食料、電気、ガス、水道、住居などは簡単には削れません。

年収500万円から600万円の世帯でも、実質消費支出全体はコロナ禍前と比べて1割前後減っていますが、食料への支出はほぼ横ばいです。

一方、大きく減っているのが教養や娯楽に関するサービスへの支出です。

この分野では12.6%から23.1%減少しました。年収600万円から1200万円の比較的所得の高い世帯でも、おおむね2割前後減少しています。

旅行、レジャー、外食、趣味などの支出は、生活に余裕がなくなると後回しにされやすい分野です。

物価高によって生活必需品への支出割合が高まり、その分だけ自由に使えるお金が減っている家計の姿が見えてきます。

ブラケットクリープとは何か

もう一つ重要なのがブラケットクリープという問題です。

所得税には所得に応じて税率が高くなる累進課税制度があります。

日本の所得税率は課税所得の金額によって段階的に設定されています。

問題は、物価上昇に合わせて給与が増えただけの場合です。

例えば物価が5%上昇し、それに合わせて給与も5%増えたとします。

実質的な購買力はほとんど変わっていません。

ところが名目上の所得は増えています。

その結果、より高い所得税率が適用される所得区分に近づいたり、各種所得制限の影響を受けたりする可能性があります。

物価上昇に対応するための賃上げなのに税負担が増え、手取りの伸びが抑えられてしまうのです。

こうした現象がブラケットクリープです。

なぜ隠れ増税と呼ばれるのか

ブラケットクリープが隠れ増税と呼ばれることがあります。

政府が所得税率そのものを引き上げていなくても、インフレによって名目所得が増えることで税負担が自然に増えるからです。

例えば生活費が10%上昇し、給与も10%増えたとします。

実質的には生活水準を維持するための賃上げにすぎません。

それでも税制上は所得が増えた人として扱われます。

所得税や住民税の負担が増えれば、物価上昇分を補うはずだった賃上げの一部が税負担によって失われます。

税率を変更する法律が成立したわけではないため、家計から見ると気づきにくい負担増になります。

海外では税制を物価に連動させる国もある

インフレによる実質的な増税を防ぐため、税制を物価に連動させている国があります。

代表的なのが米国です。

米国では連邦所得税の税率区分などについて、インフレを反映した調整が毎年行われています。

物価が上昇すれば、より高い税率が適用され始める所得水準も引き上げられます。

カナダにも同様の仕組みがあります。

これによって、単に物価上昇に合わせて名目所得が増えただけで税負担が大きく増えることを抑えています。

一方、日本は長期間デフレや低インフレが続いたため、税制や社会保障制度を継続的に物価へ連動させるという発想が十分に定着してきませんでした。

物価が継続的に上昇する経済へ変化したことで、これまで目立たなかった制度上の問題が表面化しています。

税金だけではなく社会保険料も重要

家計の手取りを考える場合、所得税だけに注目するのも十分ではありません。

会社員にとって大きな負担となるのが社会保険料です。

健康保険、厚生年金、介護保険、雇用保険などの保険料が給与から差し引かれます。

給与が増えることで標準報酬月額などが上がれば、社会保険料の負担が増える場合があります。

そのため額面給与が大きく伸びても、手取り給与の伸びはそれより小さくなります。

さらに物価が上昇すれば、手取り額が増えていても実質的な購買力は低下する可能性があります。

家計にとって重要なのは賃上げ率そのものではありません。

賃上げから税金と社会保険料を差し引き、さらに物価上昇を考慮した後に、どれだけ購買力が残るのかということです。

中間層の問題は消費の問題でもある

中間所得層の実質的な手取り減少は、個々の家庭だけの問題ではありません。

日本経済全体にも影響します。

国内総生産の大きな部分を個人消費が占めているからです。

中間層は人数が多いため、この層が旅行、外食、娯楽、耐久消費財などへの支出を控えると、企業の売上にも影響します。

企業が賃上げをしても、税金、社会保険料、物価上昇によって家計の購買力が十分に増えなければ、賃上げから消費拡大へという好循環は生まれにくくなります。

賃金だけではなく手取りを見る必要がある理由です。

税と社会保障を一体で考える必要がある

政府は家計支援策として減税や給付を行うことがあります。

もちろん短期的な物価高対策として一定の効果は期待できます。

しかし、本質的な問題はより長期的な制度設計にあります。

所得税、住民税、社会保険料、各種給付には、それぞれ異なる所得基準があります。

所得が少し増えただけで税負担や社会保険料が増えたり、給付が減ったりすることもあります。

その結果、賃上げによる額面所得の増加ほど手取りが増えないことがあります。

今後重要になるのは、税制だけを単独で改革することではなく、社会保障制度と合わせて家計の負担と給付を考えることです。

給付付き税額控除などが議論されている背景にも、こうした問題があります。

結論

日本では賃上げが進んでいますが、額面給与の増加だけで家計が豊かになったとは判断できません。

税金や社会保険料を差し引き、さらに物価上昇を考慮すると、中間所得層の実質的な手取りはコロナ禍前より大きく減少しています。

その結果、家計は食料や光熱費などの生活必需品への支出を維持する一方、旅行や娯楽などの支出を削っています。

さらに物価上昇に伴う名目的な賃上げによって税負担が増えるブラケットクリープという問題もあります。

これからの日本で問われるのは、単に賃金を上げることではありません。

賃上げによって増えた所得が税金や社会保険料によって過度に吸収されず、物価上昇を上回る形で家計の購買力につながる制度をつくれるかどうかです。

賃上げ率ではなく実質的な手取りが増えて初めて、家計は景気回復を実感できます。

参考

日本経済新聞 2026年8月19日朝刊 中間層の手取り実質1割減 昨年、コロナ前比

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