定年後の再雇用において、賃金が大きく下がることは珍しくありません。しかし、その引き下げはどこまで許されるのか。これは実務上も理論上も極めて難しい問題です。
今回の名古屋自動車学校を巡る訴訟は、この問題の核心に迫るものとなりました。とりわけ、基本給という賃金の中核部分について、同一労働同一賃金の考え方をどのように適用するのかという論点が改めて浮き彫りになっています。
再雇用で半減した基本給という現実
本件では、定年後に嘱託社員として再雇用された元教習指導員の基本給が、退職前の水準から大幅に引き下げられていました。
具体的には、月額18万円台から約7万円台へ、16万円台から約7万円台へと、いずれも半額以下となっています。
企業側は、再雇用後の賃金について「生活補助的な性格」を持つと主張しました。一方、原告側は、職務内容が変わらない以上、こうした大幅な引き下げは不合理であり、同一労働同一賃金に反すると主張しています。
この対立構造は、再雇用制度の本質的な矛盾を象徴しています。
基本給はなぜ比較が難しいのか
問題を複雑にしている最大の要因は、日本企業における基本給の性質です。
多くの企業では、基本給は単一の基準で決まっているわけではありません。以下のような複数の要素が混在しています。
- 職務給(仕事内容に対する対価)
- 職能給(能力やスキルに対する評価)
- 勤続給(在籍年数に基づく要素)
- 年齢給(年齢に応じた調整)
このような構造では、「どの部分が職務に対応する賃金なのか」を明確に切り分けることが困難です。
同一労働同一賃金の原則は、本来「同じ仕事には同じ賃金を」という考え方ですが、その前提となる“仕事に対応する賃金部分”が曖昧であるため、比較自体が難しくなります。
最高裁が示した「性質と目的」アプローチ
この問題に対して、最高裁は重要な方向性を示しています。
それが「賃金の性質と目的」に着目するという考え方です。
つまり、
- その賃金は何のために支払われているのか
- どのような性格を持つのか
を個別に分析し、その上で不合理な格差かどうかを判断するという枠組みです。
本件でも、差し戻し後の高裁は、正社員と嘱託社員の基本給について「職務給としての性質が強い」と認定しました。
この点は、同一労働同一賃金の適用において重要な前進といえます。
それでも残る「金額が決まらない問題」
しかし、今回の判決で最も注目すべき点は、むしろその先にあります。
高裁は、あるべき基本給を10万円、9万5千円と認定しましたが、その算出方法は明示されませんでした。
つまり、
- なぜその金額なのか
- どのような計算過程を経たのか
が説明されていないのです。
一審では「退職時の60%」という一つの目安が示されていましたが、最高裁はその根拠の不十分さを理由に差し戻しました。結果として、高裁は割合ではなく「個別事情による総合判断」という形で金額を決めています。
これは、法的安定性の観点から大きな課題を残します。
実務への影響――企業も労働者も判断基準を持てない
算出方法が不明確であるということは、企業側にとっても大きな問題です。
- どの程度の減額なら許されるのか
- どのように制度設計すればよいのか
といった判断基準が得られないためです。
一方、労働者側にとっても、
- 自分の賃金が不合理かどうか
- どの程度の請求が可能なのか
を事前に見通すことが困難になります。
結果として、紛争は個別判断に委ねられ、長期化しやすくなります。
再雇用制度の本質的な課題
今回の問題の背景には、日本型雇用の構造的な特徴があります。
すなわち、
- 正社員は長期雇用を前提とした総合的な賃金体系
- 再雇用者は短期的・限定的な役割
という制度設計です。
この違いを前提に賃金差を設けること自体は一定の合理性がありますが、職務内容が同一である場合、その差をどこまで認めるかは極めて難しい問題となります。
結論――「割合」ではなく「説明可能性」の時代へ
今回の判決は、「60%」といった単純な基準では解決できない現実を示しました。
今後求められるのは、一律の割合ではなく、
- 賃金の構成要素を説明できること
- その差の理由を合理的に説明できること
です。
言い換えれば、「いくら払うか」以上に、「なぜその金額なのかを説明できるか」が問われる時代に入っています。
再雇用制度は今後も拡大していきます。その中で、基本給という賃金の核心部分をどう設計するのか。今回の訴訟は、その難しさと課題を明確に示したものといえます。
参考
・日本経済新聞「再雇用に見合う基本給は 自動車学校訴訟、名古屋高裁は算出方法示さず」2026年3月23日
・最高裁判例(同一労働同一賃金関連判決)
・パートタイム・有期雇用労働法第8条関連資料