「好きなことを仕事にしよう」
近年、この言葉を耳にする機会が増えました。
SNSやYouTubeでは、
- 好きを仕事にした人
- 趣味で独立した人
- 好きな場所で働く人
などが成功例として語られることも少なくありません。
一方で、
- 好きだったことが嫌いになった
- 収入が不安定になった
- 趣味を純粋に楽しめなくなった
という声もあります。
そもそも、「好きなことを仕事にすること」は、本当に幸福なのでしょうか。
今回は、“仕事”と“自己実現”の関係について考えてみたいと思います。
昔は“好きな仕事”より“安定した仕事”だった
実は、「好きなことを仕事にする」という価値観は、それほど古いものではありません。
高度成長期の日本では、多くの人にとって仕事選びの優先順位は、
- 安定
- 給与
- 福利厚生
- 大企業
- 公務員
などでした。
背景には、
- 終身雇用
- 年功序列
- 家族扶養
- 住宅ローン
などがあります。
つまり仕事は、
“自己実現”
というより、
“生活を安定させるための基盤”
として位置づけられていたのです。
もちろん、仕事にやりがいを求める人はいました。
しかし現在ほど、
「仕事は好きであるべき」
という価値観は強くありませんでした。
なぜ“好きな仕事”が重視されるようになったのか
では、なぜ現代では「好きなことを仕事に」という考え方が広がったのでしょうか。
背景には、社会の変化があります。
まず大きいのは、物質的豊かさの成熟です。
戦後日本では、「食べるために働く」ことが最優先でした。しかし経済成長によって生活水準が向上すると、人々は次第に、
- やりがい
- 自由
- 自分らしさ
- 生きがい
を重視するようになります。
さらに、
- インターネット
- SNS
- フリーランス化
- 副業解禁
などによって、個人が仕事を選びやすくなりました。
かつては会社組織の中でしか成立しなかった仕事も、今では個人で発信・収益化できる時代です。
その結果、
「人生は自分らしくあるべき」
という自己実現型の価値観が強まっていったのです。
“好き”は本当に仕事に向いているのか
しかしここで難しい問題があります。
「好きなこと」と「仕事に向いていること」は、必ずしも一致しないのです。
例えば、
- 絵を描くのが好き
- ゲームが好き
- 音楽が好き
でも、それで安定収入を得られる人は一部です。
さらに、仕事になると、
- 納期
- 顧客対応
- 収益管理
- SNS運営
- 競争
など、“好き”以外の要素が大量に発生します。
その結果、
「好きだったことが義務になる」
ケースも少なくありません。
つまり、
“好きだから続けられる”
と
“仕事として成立する”
は別問題なのです。
“好き”が苦しみに変わる瞬間
「好きなことを仕事にしたのに苦しい」
という現象は、現代では珍しくありません。
なぜでしょうか。
理由の一つは、“好き”に自己 identity が強く結びつくからです。
単なる仕事なら、
「うまくいかなくても仕事だから」
と割り切れます。
しかし「好きなこと」を仕事にすると、
- 評価
- 収入
- 人気
- 再生数
- フォロワー数
などが、そのまま“自分自身の価値”のように感じられやすくなります。
すると失敗した時のダメージも大きくなります。
さらに現代はSNS時代です。
他人の成功が常に可視化されるため、
- 好きなのに稼げない
- 好きなのに伸びない
ことが、強い自己否定につながることもあります。
“好き”を守るために仕事にしない選択
一方で、
「あえて仕事にしない」
という考え方もあります。
例えば、
- 趣味として楽しむ
- 収益化しない
- 評価競争から距離を置く
ことで、“好き”を純粋な楽しみとして守る人もいます。
実際、仕事になると、
- 成果
- 効率
- 市場性
が求められます。
つまり仕事とは、本質的に“他者の期待”に応える行為でもあるのです。
そのため、
“自分だけの喜び”
として残したいものは、仕事化しないほうが幸福な場合もあります。
“好き”より“意味”が幸福を生むのか
近年の研究では、幸福感には、
- 快楽
- やりがい
- 社会的つながり
- 意味
など複数の要素があるとされています。
つまり人は、
「好きだから幸せ」
だけではなく、
- 誰かの役に立つ
- 感謝される
- 必要とされる
ことでも強い満足感を得ます。
そのため実際には、
“好きな仕事”
より、
“意味を感じられる仕事”
のほうが長期的幸福につながるケースも少なくありません。
AI時代に“好き”の価値は変わるのか
今後AIが普及すると、単純作業や知識労働の一部は自動化される可能性があります。
すると人間には、
- 創造性
- 共感
- 個性
- ストーリー性
などがより求められるかもしれません。
その意味では、「好き」という情熱は今後ますます重要になる可能性があります。
しかし同時に、AIによって競争も激化します。
誰でも発信できる時代では、
“好きなだけでは差別化できない”
からです。
つまりAI時代には、
- 好き
- 技術
- 継続
- 社会的価値
をどう結びつけるかが重要になるのでしょう。
“仕事=自己実現”は幸福なのか
現代社会では、
「仕事を通じて自己実現する」
ことが理想として語られやすくなっています。
しかし一方で、それは、
“仕事に人生の意味を背負わせすぎる社会”
でもあります。
仕事がうまくいかなければ、
- 自己否定
- 孤独
- 燃え尽き
につながりやすくなるからです。
本来、人間の幸福は、
- 家族
- 友人
- 趣味
- 地域
- 学び
など、多様な要素で成り立っています。
仕事だけに幸福を集中させることは、実はかなり不安定なのかもしれません。
結論
「好きなことを仕事にする」という価値観は、物質的豊かさと個人化が進んだ現代社会の中で広がってきました。
それは、
“自分らしく生きたい”
という願いの表れでもあります。
しかし現実には、
- 好きなことが仕事に向くとは限らない
- 好きだからこそ苦しくなる
- 評価が自己否定につながる
という難しさもあります。
一方で、人の幸福は単なる“好き”だけではなく、
- 意味
- 役割
- つながり
- 感謝
などからも生まれます。
そのため重要なのは、
「好きなことを仕事にするべきか」
ではなく、
“自分にとって仕事とは何か”
を考えることなのかもしれません。
人生100年時代では、“働く意味”そのものが、これまで以上に問われていくのでしょう。
参考
・リチャード・セネット『それでも新資本主義についていくか』
・エーリッヒ・フロム『生きるということ』
・リンダ・グラットン/アンドリュー・スコット『LIFE SHIFT』
・日本経済新聞 朝刊 各種関連記事
・内閣府「国民生活に関する世論調査」