相続税評価をめぐる最高裁令和4年4月19日判決以降、「評価通達どおりに申告しても否認される可能性がある」という不安が急速に広がりました。
その背景にあるのは、単なる不動産評価の問題ではありません。
本質的には、
「通達とは何か」
「税務行政はどこまで裁量を持てるのか」
「納税者は何を信頼して申告すればよいのか」
という、日本の租税法律主義そのものに関わる問題です。
日本の税務実務は、法律だけで動いているわけではありません。実際には、
- 基本通達
- 個別通達
- 事務運営指針
- Q&A
- 情報
- 文書回答
など、膨大な行政解釈によって運営されています。
むしろ実務の現場では、「法律」より「通達」の方が重要である場面すら少なくありません。
しかし、通達は本来、法律ではありません。
では、法律ではない通達に依存している税務実務に、どこまで法的安定性は存在するのでしょうか。
租税法律主義とは何か
租税法律主義とは、
「税金は法律によってのみ課される」
という憲法上の大原則です。
日本国憲法84条は、
「新たに租税を課し、又は現行の租税を変更するには、法律又は法律の定める条件によることを必要とする」
と定めています。
つまり、
- 誰に
- どの税金を
- どれだけ課税するのか
は、本来すべて国会制定法によって決まるべきものです。
これは、国家権力による恣意的課税を防ぐための原則です。
もし行政機関が自由に税金を決められるなら、納税者の財産権は極めて不安定になります。
そのため、租税法律主義は、民主主義国家における極めて重要な原則とされています。
しかし現実の税務は「通達」で動いている
ところが、現実の税務実務は法律だけでは運営できません。
税法は極めて複雑であり、条文だけでは細部まで処理できないからです。
たとえば相続税評価では、
- 土地評価
- 借地権
- 広大地
- 無道路地
- 同族株式
- 非上場株式
- 貸家建付地
など、多数の評価論点があります。
これらをすべて法律条文だけで規定することは不可能です。
そこで国税庁は、「財産評価基本通達」を定め、全国統一的な評価基準を示しています。
同様に法人税でも、
- 役員給与
- 寄附金
- 行為計算否認
- 組織再編
- グループ法人税制
など、実務の多くが通達解釈によって支えられています。
つまり、日本の税務行政は、「法律+通達」で成立しているのです。
通達は「法律」ではない
ここで問題になるのが、通達の法的性格です。
通達は、国税庁長官などが下級行政機関に対して出す「行政内部ルール」です。
最高裁も一貫して、
「通達は国民に直接法的効力を持たない」
としています。
つまり、理論上は、
- 納税者は通達に拘束されない
- 裁判所も通達に拘束されない
ということになります。
しかし現実には、税務調査も申告実務も、ほぼ通達ベースで運営されています。
ここに、日本税制の大きな特徴があります。
納税者は「通達を信頼している」
実務上、納税者は法律条文だけで申告しているわけではありません。
むしろ、
- 通達
- 国税庁Q&A
- タックスアンサー
- 文書回答事例
などを信頼して申告しています。
税理士も同様です。
なぜなら、法律だけでは実務判断ができないからです。
つまり、通達は形式上は「内部ルール」にすぎなくても、現実には社会的ルールとして機能しています。
このため、通達どおりに申告したにもかかわらず否認されると、納税者は強い不公平感を抱きます。
「国税庁が示したルールを守ったのに、なぜ否認されるのか」
という感覚です。
評価通達6項問題が突きつけたもの
この問題を象徴したのが、最高裁令和4年判決でした。
判決は、
- 評価通達は法規ではない
- 合理的理由があれば通達評価を排除できる
という考え方を示しました。
つまり、
「通達どおり=絶対安全」
ではないことを最高裁が明確に認めたのです。
これは法理論としては理解可能です。
なぜなら、本来の課税標準は「時価」であり、通達はその評価方法の一つにすぎないからです。
しかし実務的には極めて大きな影響があります。
納税者側からすると、
- 通達に従っても否認される
- どこまでが安全かわからない
- 「合理的理由」の範囲が不明確
という不安定性が生じるからです。
「法的安定性」と「公平課税」は衝突する
税務行政には、常に二つの価値が存在します。
一つは「法的安定性」です。
つまり、
- 同じ基準で
- 予測可能に
- 全国一律に
課税することです。
もう一つは「実質的公平」です。
つまり、
- 不自然な節税
- 制度の濫用
- 実態とかけ離れた評価
を排除することです。
この二つは、しばしば衝突します。
通達を厳格に守れば、形式的節税を防げない場合があります。
逆に、実態重視を強めすぎれば、納税者の予測可能性が失われます。
評価通達6項問題は、この対立を極めて象徴的に示しています。
今後の税務は「原則主義」へ向かうのか
近年の税務行政は、徐々に「ルールベース」から「原則ベース」へ移行しているようにも見えます。
たとえば、
- 行為計算否認
- 包括的否認
- 経済合理性
- 実質判定
- 租税回避否認
など、「形式」より「実態」を重視する傾向が強まっています。
これは国際課税や巨大企業課税でも同様です。
AIやデータ分析が進めば、税務当局は形式的ルール違反ではなく、
「実態として不自然か」
をより精密に分析できるようになります。
そうなると、通達依存型実務は徐々に限界を迎える可能性があります。
結論
通達は法律ではありません。
しかし、日本の税務実務は長年、「通達による安定性」の上に成立してきました。
そのため、
- 通達を守れば安全
- 通達どおりなら公平
- 通達に従えば予測可能
という暗黙の信頼関係が形成されてきたのです。
しかし近年は、
- 実態課税
- 租税回避防止
- 個別事情重視
が強まり、その前提が揺らぎ始めています。
最高裁令和4年判決は、その転換点を象徴する判決だったと言えるでしょう。
今後の税務実務では、
「通達に従ったか」
だけでなく、
「その取引に経済合理性があるか」
まで説明できることが、ますます重要になる可能性があります。
つまり、日本の税務は、
「条文+通達の時代」から、
「実態+説明責任の時代」
へ移行し始めているのかもしれません。
参考
・税のしるべ 2026年5月18日
「連載『続・傍流の正論~税相を斬る』第90回/最判にも疑義⑦、画一的評価」 弁護士・税理士 品川芳宣
・日本国憲法第84条
・最高裁令和4年4月19日判決
・財産評価基本通達
・国税通則法