日本企業が保有する事業用不動産の含み益が20兆円規模に達していることが明らかになりました。
2026年5月、日本経済新聞は、みずほ信託銀行の推計を基に、上場企業が保有する本社・工場・物流施設などの事業用不動産の時価が大きく上昇している実態を報じました。
近年、PBR1倍割れ問題やROE重視の流れの中で、日本企業の資本効率が強く問われるようになっています。その中で、株式市場が新たに注目し始めたのが事業用不動産です。
これまでは、遊休地や政策保有株式が主な対象でした。しかし、インフレによる不動産価格上昇を背景に、今では本社ビルや物流施設、工場といった本業に関わる不動産までが、資本効率改善の対象として議論され始めています。
本稿では、事業用不動産の含み益問題を通じて、日本企業の経営構造、アクティビストとの対立、セール・アンド・リースバックの実務、そして企業は何のために不動産を持つのかという本質的な論点を整理します。
事業用不動産とは何か
事業用不動産とは、企業が本業のために利用する不動産です。
代表例としては、本社ビル、工場、物流センター、倉庫、店舗、営業所、研究施設などがあります。
これらは、賃貸収益を得るための投資用不動産とは異なり、企業活動そのものを支えるインフラとして保有されます。
日本企業では、戦後から長期にわたり、土地は持つものという価値観が強くありました。特に高度成長期からバブル期にかけては、地価上昇が続いたため、不動産保有そのものが企業財務を支える側面もありました。
その結果、多くの企業が本業とは別に、巨額の含み益を抱える構造となりました。
なぜ今になって問題化しているのか
最大の背景は、資本効率経営の浸透です。
東京証券取引所は近年、PBR1倍割れ企業に対して改善要請を行い、企業にはROEの向上、資本コスト経営、WACCを意識した事業運営、非効率資産の圧縮、キャッシュ創出力の向上などが求められるようになっています。
この流れの中で、アクティビストは企業不動産に注目し始めました。
理由は明確です。
含み益はあるものの、収益を十分に生んでいない資産が大量に存在する可能性があるからです。
例えば、都心の本社ビルを数十年前に取得していれば、貸借対照表上の簿価は低くなっていることがあります。一方で、現在の時価は大きく上昇しているケースもあります。
つまり、企業は巨額の資産を保有しているにもかかわらず、その資産を十分に活用できていない可能性があるのです。
アクティビストは何を求めているのか
アクティビストが主張する基本的な論理は明快です。
不動産を保有し続けるよりも、売却して資金を有効活用した方が株主価値は高まる、という考え方です。
具体的には、不動産売却、自社株買い、増配、成長投資、セール・アンド・リースバック、ROE改善などを求めることがあります。
特に近年増えているのが、セール・アンド・リースバックの提案です。
これは、不動産を売却した後も、賃貸借契約を結んで同じ不動産を使い続ける手法です。
企業は売却資金を得られる一方で、不動産所有に伴うリスクや管理負担を切り離すことができます。
セール・アンド・リースバックは本当に合理的なのか
セール・アンド・リースバックは、一見すると合理的な手法に見えます。
しかし、実務上は非常に難しい論点を含んでいます。
企業が不動産を保有している場合、固定資産税、修繕費、維持管理費、建替投資などが発生します。
一方、売却後は賃料支払いへ転換されます。
つまり、資産保有コストから固定的な賃料負担へ変わることになります。
問題は、長期的にどちらが有利かは簡単には判断できない点です。
特にインフレ局面では、将来の賃料上昇リスクがあります。
さらに、物流拠点や工場のように立地競争力が極めて高い不動産は、一度売却すると買い戻しが困難になる可能性もあります。
日本企業が不動産を持ち続けてきた理由
日本企業には、所有を重視する文化があります。
その背景には、長期雇用、終身雇用、地域密着、土地神話、財務安定志向、銀行取引慣行などがあります。
特に工場や物流施設は、単なる不動産ではありません。
サプライチェーン、雇用、地域経済、災害対応、取引先ネットワークなどと密接に結びついています。
つまり、企業にとって事業用不動産は、単なる資産ではなく、事業継続基盤でもあります。
ここに、アクティビストとの大きな価値観の違いがあります。
時間軸の違いが対立を生む
企業経営とアクティビストの最大の違いは、時間軸です。
企業側は、10年、20年、30年という長期で事業継続を考えます。
一方、アクティビストは、比較的短期で投資成果を求めることがあります。
そのため、今すぐ売却すべきだ、資本効率を改善すべきだ、含み益を顕在化すべきだ、という圧力が強くなります。
しかし企業側から見れば、将来の賃料高騰、不動産の再取得困難、事業継続リスク、地域戦略などを考慮する必要があります。
単純なROE比較だけでは判断できないのです。
会計上の問題点も大きい
事業用不動産は、原則として取得原価で貸借対照表に計上されます。
つまり、時価が大きく上昇していても、その価値は財務諸表に十分反映されません。
そのため、含み益の把握、不動産価値の見える化、資本効率分析が不十分になりやすいといえます。
記事では、自社不動産の時価評価額を把握している企業は4割にとどまったとされています。
これは、多くの企業が自社の不動産価値を十分に把握できていない可能性を示しています。
今後は持つか借りるかの再設計が進む
今後、日本企業では、本社は持つべきか、工場は保有すべきか、物流施設は賃借化すべきか、不動産と本業の境界はどこか、資本効率と事業継続のバランスをどう取るか、といった議論が加速すると考えられます。
特にインフレ局面では、不動産の価値はさらに重要性を増します。
含み益は、単なる会計上の数字ではありません。
企業戦略そのものに直結するテーマになりつつあります。
結論
事業用不動産の含み益20兆円問題は、日本企業の経営思想そのものを問い直しています。
これまで日本企業は、安定、長期保有、所有重視、事業継続を優先してきました。
しかし、資本市場は今、資本効率、ROE、WACC、株主還元を強く求めています。
その結果、本社ビルや物流施設までもが、本当に保有すべきなのかを問われる時代に入っています。
もっとも、単純な売却が正解とは限りません。
不動産は単なる資産ではなく、企業の事業基盤そのものでもあるからです。
今後は、保有する意味、所有と賃借の最適バランス、資本効率と事業継続の両立をどう設計するかが、日本企業経営の重要テーマになっていくと考えられます。
参考
日本経済新聞 朝刊 2026年5月8日
「企業施設、含み益20兆円 事業用不動産、インフレ波及 物言う株主が売却圧力」
日本経済新聞 朝刊 2026年5月8日
「事業用不動産 価格上昇で取得時より高く」