日本では近年、「事業承継」が大きな政策課題となっています。
背景にあるのは、
- 経営者の高齢化
- 後継者不足
- 地方企業の廃業増加
- 技術・雇用の消失
です。
こうした中で政府は、「事業承継税制」を拡充してきました。
一定要件を満たせば、非上場株式にかかる相続税・贈与税の納税が猶予・免除される制度です。
特に2018年度改正以降は、特例措置によって対象範囲が大幅に広がりました。
しかし一方で、この制度には強い賛否があります。
- 「地域雇用を守るため必要」
- 「日本経済を支える中小企業を維持するため不可欠」
という声がある一方、
- 「資産家優遇ではないか」
- 「非効率企業の延命につながる」
- 「経済の新陳代謝を阻害する」
という批判もあります。
では、事業承継税制は本当に必要なのでしょうか。
本記事では、制度の本来目的とその副作用を整理しながら、日本型資本主義における承継政策を考察します。
そもそも事業承継税制とは何か
非上場企業では、創業者やオーナー一族が大量の自社株を保有しているケースが一般的です。
問題は、相続時です。
会社の株式評価額が高い場合、多額の相続税が発生します。
しかし、非上場株式は現金化しにくいため、
- 株を売却する
- 借入をする
- 配当で納税資金を作る
必要が生じます。
その結果、
- 経営権が不安定になる
- 設備投資余力が低下する
- 雇用維持が難しくなる
という問題が起きる可能性があります。
そこで政府は、「後継者が会社を継続するなら課税を猶予する」という制度を設けました。
つまり、事業承継税制は単なる減税ではなく、「事業継続政策」として位置づけられているのです。
なぜ政府はここまで支援するのか
背景には、日本経済の構造問題があります。
日本企業の大半は中小企業です。
その多くが、
- 地域雇用
- 技術継承
- サプライチェーン
- 地域インフラ
を支えています。
もし後継者不在で大量廃業が起きれば、
- 地域経済の空洞化
- 技術消失
- 雇用喪失
が進む恐れがあります。
つまり政府は、事業承継税制を通じて、
「会社を守る」
だけでなく、
「地域経済を守る」
ことを狙っているのです。
「株式評価が高いだけ」の問題
日本の事業承継税制が支持される理由の一つに、「評価額と現金収入の乖離」があります。
例えば、
- 土地保有
- ブランド力
- 内部留保
- 長年の利益蓄積
によって株価評価が高くなっていても、実際には現金余力が少ない企業があります。
その場合、相続税を払うために、
- 会社資産売却
- 借金増加
- リストラ
が必要になる可能性があります。
これは「税金のために会社を壊す」状態とも言えます。
そのため、一定の納税猶予は合理性があるという考え方があります。
しかし“延命政策”という批判も強い
一方で、制度批判も根強くあります。
最大の論点は、
「本来退出すべき企業まで残してしまうのではないか」
という点です。
市場経済では、本来、
- 成長企業は残る
- 非効率企業は退出する
ことで、新陳代謝が起きます。
しかし、税制によって承継を後押ししすぎると、
- 収益性の低い企業
- 成長余地の乏しい企業
- 後継者に意欲がない企業
まで維持される可能性があります。
つまり、「地域維持」と「経済効率」の間で葛藤が生じるのです。
“家業維持”は本当に社会正義なのか
日本では長年、
「会社を潰してはいけない」
という価値観が強く存在してきました。
しかし、それが本当に社会全体にとって合理的かは議論があります。
例えば、
- 後継者が疲弊している
- 将来性が乏しい
- 過剰債務がある
- 人材確保できない
企業を無理に存続させることが、かえって地域の活力を奪う場合もあります。
つまり、
「承継すること」
自体が目的化してしまう危険があるのです。
これは、前回まで触れてきたファミリービジネス論とも深くつながります。
M&A承継との関係はどう変わるのか
近年は、第三者承継やM&Aも急速に増えています。
ここで問題になるのが、
「親族内承継だけを優遇すべきなのか」
という論点です。
もし、
- 雇用維持
- 技術継承
- 地域経済維持
が政策目的なら、必ずしも親族承継に限定する必要はありません。
むしろ、
- M&A
- 従業員承継
- ファンド支援
のほうが企業成長につながる場合もあります。
つまり今後は、
「誰が継ぐか」
ではなく、
「社会的価値を維持できるか」
へ政策目的が変化する可能性があります。
「資産課税」として見た場合の矛盾
事業承継税制には、税制論としての難しさもあります。
相続税は本来、
「富の集中是正」
という役割を持っています。
しかし、事業承継税制では、大規模な資産移転が非課税に近い形で行われるケースもあります。
そのため、
- 一般家庭には厳しい相続税
- オーナー企業には特例
という公平性の問題が指摘されます。
特に近年は、巨大な非上場企業も増えており、
「どこまでが地域企業保護で、どこからが資産家優遇なのか」
という線引きが難しくなっています。
本当に守るべきものは何か
重要なのは、「会社そのもの」を守ることではありません。
本当に守るべきなのは、
- 技術
- 雇用
- 地域経済
- 人材
- 信用
- ノウハウ
です。
場合によっては、
- M&A
- 事業再編
- 一部売却
- 他社統合
のほうが、それらを維持できる場合もあります。
つまり、事業承継税制も、
「家業維持支援」
から、
「社会的価値継承支援」
へ発想転換が必要になるかもしれません。
日本型資本主義は“退出”を苦手としてきた
日本は伝統的に、
- 廃業
- 売却
- 解散
をネガティブに捉える傾向があります。
しかし、経済全体で見ると、
「円滑な退出」
も重要です。
新陳代謝がなければ、
- 人材
- 資本
- 技術
が固定化されます。
つまり今後は、
「どう残すか」
だけでなく、
「どう終えるか」
も政策課題になります。
事業承継税制は、その価値観転換の中で再定義を迫られている制度とも言えます。
結論
事業承継税制には一定の必要性があります。
特に、
- 地域雇用
- 技術継承
- サプライチェーン維持
という観点では重要な役割を果たしています。
一方で、
- 非効率企業の延命
- 資産家優遇
- 新陳代謝阻害
という副作用も抱えています。
重要なのは、
「会社を残すこと」
ではなく、
「社会的価値をどう継承するか」
です。
今後の日本では、事業承継税制も、
「親族内承継支援」
から、
「地域経済と社会資本の継承支援」
へと思想転換を求められていくのかもしれません。
参考
・日本経済新聞 2026年5月18日朝刊
「ファミリービジネスの力 創業家のルール明文化」
「継承と再編を進めよ」
「多様な価値観、活力に」
「価値創造の礎となる形式知を」