高齢期において「働きながら年金を受け取る」という選択は、今や特別なものではありません。在職老齢年金制度の見直しにより、一定水準まで年金が減額されにくくなったことで、就労継続を選ぶ高齢者はさらに増えると見込まれます。
しかし、年金の支給停止の有無だけを見て判断することは適切ではありません。実際の手取りを左右するのは、所得税や住民税だけでなく、社会保険料負担との関係です。本稿では、在職老齢年金と社会保険料の構造的な関係を整理します。
1 在職老齢年金制度の基本構造
在職老齢年金制度は、老齢厚生年金を受給しながら厚生年金の被保険者として働く場合に適用されます。給与と老齢厚生年金の合計が一定基準額を超えると、超過額の2分の1が老齢厚生年金から支給停止されます。
令和8年4月以降は、この基準額が月額65万円へ引き上げられます。これにより、一定水準まで年金を減額されずに受給できる範囲が広がります。
ただし、ここで重要なのは、厚生年金に加入している限り、給与に対しては引き続き厚生年金保険料および健康保険料が課されるという点です。年金を受け取りながら、同時に年金保険料を負担しているという構図になります。
2 社会保険料負担の実態
65歳以上であっても、一定の条件を満たせば厚生年金の被保険者となります。その場合、給与に対して保険料が賦課され、事業主と折半で負担します。
仮に標準報酬月額が40万円であれば、厚生年金保険料率約18%の半分を本人が負担します。健康保険料や介護保険料を含めると、実質的な社会保険料負担は相当額にのぼります。
在職老齢年金の基準額引き上げにより、年金の支給停止が緩和されたとしても、給与が高くなれば社会保険料負担も増加します。つまり、年金減額がなくなったからといって、手取りが単純に増えるとは限らないのです。
3 年金増額効果との関係
一方で、厚生年金に加入して働き続けることは、将来の年金額の増額につながる可能性があります。厚生年金は報酬比例部分を持つため、被保険者期間が延びれば年金額は再計算されます。
したがって、在職中に支払った保険料は将来の年金給付に反映されるという意味では、単なる負担ではありません。ただし、その増額効果は緩やかであり、短期間の就労では大きな差にならない場合もあります。
ここに、「今の手取り」と「将来の給付」のバランスという論点が生じます。
4 税制との交錯
在職老齢年金の見直しに伴い、給与所得控除と公的年金等控除の合計上限280万円が設けられます。これにより、一定水準以上の所得がある場合、税負担は増加する可能性があります。
社会保険料は所得控除の対象となるため、一定の節税効果はありますが、保険料そのものの負担額が大きい場合、その効果は限定的です。
結果として、次の三つが同時に作用します。
第一に、年金支給停止の緩和。
第二に、社会保険料負担の増加。
第三に、控除上限導入による税負担調整。
これらが複合的に影響するため、単純に「働けば得」とも「働けば損」とも言い切れません。
5 制度の政策的意図
政策の方向性は明確です。高齢者の就労を促進し、労働力不足に対応することが目的です。在職老齢年金の基準額引き上げは、その象徴的な措置といえます。
しかし、社会保険制度は世代間扶養を基礎とする仕組みです。高所得の在職高齢者にも一定の負担を求める設計は、制度維持の観点から合理性があります。
つまり、就労促進と財源確保という二つの政策目的が同時に追求されているのです。
結論
在職老齢年金の見直しは、高齢期の働き方に新たな選択肢を与えるものです。しかし、その判断においては、年金の支給停止の有無だけでなく、社会保険料負担、税負担、将来の年金増額効果を総合的に検討する必要があります。
制度は一方向に動いているわけではなく、複数の調整弁が同時に作動しています。高齢期の就労は、単なる収入の問題ではなく、社会保障制度全体との関係の中で位置づけるべきテーマといえます。
今後は、個別の収入水準や就労形態に応じた具体的なシミュレーションがより重要になるでしょう。
参考
税のしるべ 2026年2月23日
「4月から在職老齢年金制度を見直し、給与のみの場合との控除額の差の問題が顕在化」
厚生労働省 年金制度改正法(令和7年成立)関連資料
日本年金機構 在職老齢年金制度の概要資料