介護保険改革・社会保障改革シリーズ 第3回 「預貯金要件」は妥当なのか―高齢者の資産状況と負担能力をどう考えるか―

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介護サービスの2割負担の対象拡大が議論される中で、新たな論点として浮上しているのが「預貯金要件」の導入です。所得基準だけでは高齢者の実際の生活状況を反映できない可能性があるため、資産の保有額も判断材料に加えるべきではないかという考え方です。
高齢者の「所得」は毎月の年金額などを指す一方、「資産」は長年の貯蓄や退職金などによって大きな差があります。所得が低くても資産を十分に持つ人もいれば、所得基準を満たしていても貯蓄がほとんどなく生活に余裕がない人もいます。
本稿では、介護保険制度における預貯金要件導入の是非や、資産と負担能力をどう捉えるべきかについて、わかりやすく解説します。

1 そもそも、なぜ「預貯金要件」が必要なのか

現行制度は所得(年金収入+その他の所得)で負担割合が決まります。しかし、この方法には2つの課題があります。

(1)所得は低いが資産は多い人が一定数存在する
高齢者の中には、

  • 退職金が残っている
  • 持ち家を売却して現金がある
    など、所得ではなく資産が生活を支えているケースが少なくありません。

(2)所得が基準を少し超えても資産が少なければ負担が重い
年金収入が280万円を少し超えたために2割負担になるものの、手元の預貯金が少なく、生活の余裕がない人も一定数います。

こうした「所得と生活実態のズレ」を補う目的で、預貯金額で負担を調整する仕組みが検討されています。


2 検討されている「預貯金基準」の3案

今回の制度案では、単身世帯の預貯金額について次の3つの基準が例示されています。

  • 300万円以下であれば1割負担を維持
  • 500万円以下であれば1割負担を維持
  • 700万円以下であれば1割負担を維持

例えば所得基準を280万円→240万円に下げた場合、26万人が2割負担の対象になります。しかし預貯金500万円以下の基準を適用すると、そのうち12万人は1割負担のまま据え置きとなります。

つまり、預貯金要件を設けることで、高齢者の生活への配慮を強めることができます。


3 預貯金額の分布から見える「リアルな負担能力」

高齢者の資産分布を見ると、所得だけでは生活実態が把握できない理由がよくわかります。

内閣府の高齢者調査などを基に整理すると、概ね次のような傾向があります。

  • 単身高齢者の金融資産中央値:約500万円前後
  • 2人以上世帯では中央値が約1,000万円
  • 上位層は数千万円の金融資産を保有
  • 一方で預貯金ゼロに近い層も一定割合存在

所得280万円前後の高齢者でも、資産が300万円未満という人もいれば、1,000万円以上を保有する人もいます。この差は、介護サービスの負担能力を考える上で無視できません。


4 預貯金要件の「メリット」と「デメリット」

預貯金要件を導入することは、一見すると合理的ですが、課題も存在します。

(1)メリット
  • 所得だけで判断しないため、生活実態に合った負担設定が可能
  • 資産を十分に保有している層に応分の負担を求められる
  • 現役世代との公平性が高まる
  • 2割負担の対象者を精緻に絞り込める

特に注目すべきは、「所得は少ないが資産は多い」という層が存在する日本の高齢者の特性に合致している点です。

(2)デメリット
  • 預貯金をどのように把握するかという実務負担
  • 「資産を持っていることへの事実上の課税」との批判
  • 申告漏れや不公平の発生
  • 境界付近での不平等感(499万円と501万円の扱いが大きく変わる)

預貯金基準を導入するには、行政・本人双方の手続きが増えることは避けられません。


5 海外では「資産基準」が一般的

国際的に見ても、日本のように高齢者の負担を所得基準のみに依存する仕組みは少数派です。
ヨーロッパ諸国では、医療や介護の負担を決める際、「所得+資産」を総合的に評価する仕組みが一般的で、資産の有無を重視する国も多くあります。

日本では制度が複雑になりやすいことから慎重に扱われてきましたが、人口構造の変化を踏まえると、「所得のみで判断する時代」は終わりつつあるといえます。


6 預貯金要件がない場合の「不公平」

もし今後も所得基準のみで判断すると、次のような不公平が発生します。

ケースA:所得280万円・預貯金2,000万円
→ 1割負担のまま

ケースB:所得300万円・預貯金200万円
→ 2割負担

このように、Aの方が資産的には十分余裕があるにもかかわらず、Bの方が負担が増えるという逆転現象が起きます。

この不公平を是正するためには、貯蓄・金融資産の多寡を一定程度織り込む必要があります。


7 「いくらなら妥当なのか?」―300・500・700万円の意味

検討されている3つの基準は、現実の高齢者の資産状況を踏まえたものと考えられます。

  • 300万円基準:生活保障を重視
     → 生活費のクッションとして最低限の余裕を確保する水準。
  • 500万円基準:中央値を踏まえた一般的な線引き
     → 最もバランスがよく、適用した場合の人数も多い。
  • 700万円基準:広範囲の高齢者を保護
     → 2割負担の対象拡大効果は薄まるが、高齢者の安心感が大きい。

政府としては、財政とのバランスを見ながら300万〜500万円の水準が主軸となる可能性が高いと見られます。


8 最大の焦点は「公平性」

この議論の根底には、世代間・世代内の公平性があります。

〈世代間の公平性〉

  • 資産のある高齢者に応分の負担
  • 若い現役世代の保険料上昇を抑制

〈高齢者内の公平性〉

  • 所得が同じでも、資産の多寡で生活実態は大きく異なる
  • 本当に困っている層は1割負担維持

預貯金要件は、この「公平性の再設計」という大きなテーマの一部でもあります。


結論

預貯金要件の導入は、単なる負担増の議論ではなく、高齢者の生活実態をより適切に反映した負担の仕組みを構築する試みです。所得だけでは判断できない「資産の偏り」「負担能力の違い」を補完し、制度の公平性を高める可能性があります。一方で、行政の実務負担や制度の複雑化、境界での不公平感といった課題も抱えています。
今後の議論では、300・500・700万円という基準がどのように扱われるのか、そして高齢者の生活を守りながら現役世代の負担を抑えるバランスがどこに落ち着くのかが焦点となります。
次回は、制度がなぜこれまで3度も先送りされてきたのかという「政治プロセス」と「利害関係」を明らかにし、改革が進みにくい背景に迫ります。


出典

  • 厚生労働省:介護保険部会資料
  • 内閣府「高齢者の生活と資産に関する調査」
  • 日本経済新聞「介護保険料40~120億円圧縮」(2025年11月29日)

という事で、今回は以上とさせていただきます。

次回以降も、よろしくお願いします。

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