少子高齢化が進む中で、75歳定年制という考え方が議論され始めています。前回はその必要性と全体像を整理しましたが、本稿では一歩踏み込み、「本当に実現可能なのか」という観点から、制度面と企業側の負担という現実的な論点を整理します。
理想論ではなく、制度として成立するのか、企業が受け入れられるのかという視点から検討することが重要です。
現行制度との整合性という壁
現在の日本の制度は、65歳前後での引退を前提に設計されています。年金制度、雇用制度、賃金体系のいずれもが、この前提に基づいて構築されています。
例えば、公的年金は原則として65歳から受給開始となっており、それ以前は「現役」、それ以降は「引退後」という区分が明確に存在します。また企業の雇用制度も、定年後再雇用という形で65歳までの就労を補完する構造になっています。
この前提を75歳まで延ばすということは、単に定年を延長するだけでは済みません。年金受給開始年齢の見直し、雇用契約の再設計、さらには税制や社会保険制度まで含めた大規模な制度改革が必要になります。
つまり、75歳定年制は単独の政策ではなく、社会制度全体の再設計を伴うテーマです。
企業側の最大の課題は人件費構造
企業にとって最大の問題は人件費です。日本企業の多くは年功的な賃金体系を採用しており、年齢が上がるほど給与が高くなる傾向があります。
この構造のまま定年だけを延ばすと、企業の人件費は大きく膨らみます。特に60代後半から70代の社員が増えると、若年層との賃金バランスが崩れ、企業経営に深刻な影響を与える可能性があります。
そのため、75歳定年制を導入するのであれば、賃金体系の見直しが不可欠です。年齢ではなく職務や成果に応じた報酬体系への転換が前提条件となります。
ポスト不足と組織の停滞リスク
もう一つの重要な論点は、ポストの問題です。高齢者が長く働き続けることで、管理職や専門職のポストが固定化され、若手の昇進機会が減少する可能性があります。
これは単にキャリアの問題にとどまらず、組織の活力にも影響します。意思決定層の高齢化が進むことで、変化への対応力が低下するリスクも指摘されています。
したがって、75歳まで働ける環境を整えるとしても、全員が同じ役割で働き続ける前提では成り立ちません。役割の再設計、すなわちマネジメント層と実務層の分離や、専門職制度の強化などが必要になります。
「能力」と「健康」という現実制約
制度として75歳まで働くことを可能にしても、すべての人が同じように働けるわけではありません。個人差は大きく、健康状態や能力の維持には限界があります。
特に肉体労働や高い集中力を求められる業務では、高齢化によるパフォーマンス低下が現実的な問題となります。この点を無視して制度を設計すると、企業と個人の双方にとって負担が大きくなります。
したがって、職種ごとの適性や働き方の柔軟性を前提とした制度設計が必要です。短時間勤務や役割限定型の雇用など、多様な働き方を組み合わせることが不可欠になります。
中小企業にとっての現実的ハードル
大企業と比べて、中小企業にとってはさらにハードルが高くなります。人員に余裕がなく、職務の分業が進んでいない企業では、高齢者の役割再設計が難しいケースが多いからです。
また、賃金体系の見直しや人事制度の再構築にはコストがかかります。これを自力で実行することが難しい企業も少なくありません。
このため、75歳定年制を社会全体で導入するためには、企業任せではなく、制度的な支援やインセンティブ設計が必要になります。
現実的な導入シナリオとは何か
以上の論点を踏まえると、75歳定年制は一気に導入できるものではありません。現実的には段階的な移行が不可欠です。
まずは70歳までの就業機会確保を確実に定着させ、そのうえで賃金体系や役割設計の改革を進める。その延長線上に75歳までの就労を位置づける必要があります。
また、すべての人に一律で適用するのではなく、能力や意欲に応じた選択制の仕組みとすることも現実的な選択肢となります。
結論
75歳定年制は、少子高齢化社会における有力な選択肢の一つですが、その実現には多くの課題が存在します。
特に、賃金体系の見直し、組織構造の再設計、個人差への対応、中小企業への配慮といった点は避けて通れません。制度だけを変更しても、現場が機能しなければ持続可能な仕組みにはなりません。
重要なのは、単なる定年延長ではなく、「長く働ける社会」をどのように設計するかです。そのためには、企業・個人・制度の三者を一体として見直す視点が不可欠となります。
参考
・日本経済新聞(2026年4月9日朝刊)経済教室「加速する少子化 持続性向上へ75歳定年制を」吉田浩
・厚生労働省 各種雇用・年金制度関連資料
・国立社会保障・人口問題研究所 人口統計資料