日本の医療は国民皆保険制度のもとで、誰もが一定水準の医療を受けられる仕組みとして設計されています。しかし現実には、医師の地域偏在や診療科偏在が長年にわたり解消されていません。医師数そのものは増加しているにもかかわらず、なぜ偏在は続くのでしょうか。本稿では、自由開業制度、規制の是非、オンライン診療の可能性と限界という3つの視点から構造的に整理します。
医師数は足りているのに偏在が解消しない理由
日本の医師数は増加を続けており、人口当たりで見れば主要先進国と同水準に達しています。それにもかかわらず、地域ごとの医療格差は依然として大きく、都市部と地方では医師数に2倍以上の差があるとされています。
この背景には、医師が勤務先や診療科を自由に選択できるという制度があります。一般企業であれば、勤務地や部署は企業側が一定程度コントロールしますが、医師の場合はそうした制約が極めて弱い構造になっています。
結果として、生活環境や収入、労働条件に恵まれた都市部に医師が集中し、地方では慢性的な医師不足が生じるという構図が固定化されています。特に地方では、医療機関までの距離が長くなること自体が医療アクセスの障害となり、社会保障の公平性にも影響を与えています。
自由開業制度のメリットと限界
日本では、臨床研修を終えた医師は比較的容易に診療所を開設できます。診療科の選択も原則として自由であり、専門医資格の有無も必須ではありません。この自由開業制度は、医師の独立や競争を促し、医療サービスの多様化や利便性向上に寄与してきました。
一方で、この自由度の高さが偏在の主要因になっているという指摘も増えています。実際、医師の4割以上が「開業規制が必要」と回答しており、特に勤務医の間でその傾向が強くなっています。
勤務医の立場から見れば、都市部での開業が増えることで病院勤務医が減少し、残った医師の負担が増加するという問題が現実に生じています。自由開業は個人の選択の自由を尊重する制度である一方、医療という公共性の高い分野においては、その自由が必ずしも社会全体の最適につながらないというジレンマを抱えています。
規制強化は解決策になり得るのか
海外では、地域ごとの医師数をコントロールする制度を導入している国もあります。例えばドイツでは、医師が過剰な地域では新規開業が制限される仕組みが存在します。
日本でも、2026年の制度改正により、医師が多い地域での新規開業に対して都道府県が一定の関与を行えるようになりました。しかし現時点では強制力は限定的であり、実効性には疑問も残ります。
仮に規制を強化した場合でも、いくつかの課題があります。第一に、医師の職業選択の自由との衝突です。第二に、単に開業を制限するだけでは地方勤務を選択する動機にはならない点です。第三に、過度な規制は医療サービスの質や供給量に影響を与える可能性もあります。
したがって、規制は一定の役割を果たし得るものの、それ単独で偏在を解消する決定的な手段にはなりにくいと考えられます。
経済的インセンティブと労働環境の重要性
調査結果から明らかになっているのは、医師偏在の大きな要因が労働環境と収入格差にあるという点です。特に診療科偏在では、時間外労働や当直の多さといった勤務条件が大きな影響を与えています。
このため、地方勤務医への手当増額や労働環境の改善が最も有効な対策として挙げられています。単に「地方で働くべき」という理念だけでは人は動かず、経済合理性と生活の質の両面からの設計が不可欠です。
地域枠制度のように一定期間の勤務を義務づける仕組みもありますが、制度の柔軟性や公平性に対する見直しの必要性も指摘されています。義務とインセンティブのバランスをどう取るかが、今後の制度設計の重要な論点となります。
オンライン診療は解決策になり得るか
近年、医療アクセス格差の解消策として注目されているのがオンライン診療です。実際、医師の過半数が一定の効果を期待しています。
オンライン診療は、物理的距離の制約を超えて医療サービスを提供できる点で、地方医療にとって有力な選択肢です。特に慢性疾患の管理や軽症の診療では有効性が高いと考えられます。
しかし現実には、導入は全体の1割程度にとどまっています。その理由として、システム導入コストや診療報酬の低さが挙げられています。また、すべての医療行為をオンラインで代替できるわけではなく、対面診療との適切な役割分担が必要です。
つまり、オンライン診療は偏在解消の「補完的手段」としては有効ですが、それ単独で問題を解決するものではありません。
医療は「市場」か「公共サービス」か
医師偏在の問題は、単なる人材配置の問題ではなく、医療をどのような性質のサービスと捉えるかという根本的な問いに関わります。
自由開業制度は市場原理に近い仕組みであり、効率性や選択の自由を重視します。一方で、医療は生命に直結する公共サービスであり、地域間の公平性が強く求められます。
この二つの価値はしばしば対立します。市場に任せれば偏在は拡大し、規制を強めれば自由や効率が損なわれる可能性があります。
したがって、今後の制度設計においては、完全な自由でも完全な統制でもない「中間的なバランス」をいかに構築するかが重要になります。
結論
医師偏在は、単一の原因ではなく、制度・経済・労働環境・価値観が複合的に絡み合った構造的問題です。自由開業制度の見直し、経済的インセンティブの設計、オンライン診療の活用といった複数の手段を組み合わせる必要があります。
重要なのは、医師の自由と国民の医療アクセスという二つの価値をどのように調和させるかという視点です。制度の細部だけでなく、医療のあり方そのものを問い直す段階に来ているといえるでしょう。
参考
日本経済新聞(2026年4月10日朝刊)「診療所開業『規制を』4割 医師、都市偏在を危惧」
日本経済新聞(2026年4月10日朝刊)「医師の自由開業」
日本経済新聞(2026年4月10日朝刊)「遠隔診療に期待 医療アクセス格差是正」
日本経済新聞(2026年4月10日朝刊)「地方勤務医、増やす必要」