スタートアップの人材確保策として広く活用されてきた信託型ストックオプションを巡り、ついに司法の場での争いが始まりました。
2026年3月、Speeeが国を相手に源泉所得税の還付を求める訴訟を提起したことは、この問題が単なる税務解釈の相違を超え、制度そのものの在り方にまで波及していることを示しています。
本稿では、信託型ストックオプションの仕組みと税務論点、そして今回の訴訟が持つ意味について整理します。
信託型ストックオプションとは何か
信託型ストックオプションとは、企業が信託を活用してストックオプションを管理・付与する仕組みです。
通常のストックオプションと異なり、次のような特徴があります。
- 付与対象者を柔軟に変更できる
- 将来の採用や貢献度に応じた配分が可能
- ガバナンスを確保しつつインセンティブ設計ができる
特にスタートアップ企業においては、採用時点で将来の貢献度を見極めることが難しいため、この柔軟性は極めて重要でした。
その結果、2017年頃から急速に普及し、2023年時点では約800社が導入するに至っています。
従来の想定されていた課税関係
導入企業側が想定していた税務処理は比較的シンプルでした。
- 権利行使時には課税なし
- 株式売却時に譲渡所得として課税(約20%)
つまり、課税のタイミングは「現金化された時」であり、スタートアップの実態に合った設計と考えられていました。
この前提のもとで、多くの企業が制度設計を行い、従業員へのインセンティブとして活用してきました。
国税庁見解との決定的なズレ
しかし、2023年5月に国税庁が示した見解は、この前提を大きく覆しました。
国税庁は次のように整理しています。
- 権利行使時に経済的利益が確定
- 株式時価と取得価額の差額は給与所得
- 最大55%の累進課税の対象
この見解に基づくと、従業員は株式を売却していない段階で多額の税負担を負うことになります。
つまり、「現金収入がないのに税金だけ発生する」という問題が生じます。
実務への影響と混乱
この見解変更は、実務に大きな混乱をもたらしました。
主な影響は以下の通りです。
- 企業が源泉徴収義務を負う可能性
- 想定外の税負担による従業員の離職リスク
- 過去分への遡及的な課税問題
- 制度そのものの利用停止・見直し
特に、すでに導入済みの企業にとっては「後出し的なルール変更」と受け止められ、強い不信感を生む結果となりました。
Speeeの還付訴訟の意味
今回のSpeeeによる訴訟は、この問題の核心を突くものです。
同社は以下の立場を明確にしています。
- 国税庁見解は法令解釈として妥当でない
- そもそも源泉徴収義務は発生しない
- 納付済みの源泉所得税は過誤納である
つまり、「課税の前提そのものが誤っている」という主張です。
この訴訟のポイントは単なる還付請求ではなく、
給与所得か、譲渡所得か
という所得区分の根本問題にあります。
今後の焦点となる論点
今後の裁判では、主に次の論点が争われると考えられます。
経済的利益の確定時期
権利行使時点で課税すべきか、それとも売却時かという問題です。
実質的に換金可能かどうかが重要な判断基準となります。
給与所得該当性
企業からの対価と評価できるか、それとも資本取引として扱うべきかという論点です。
源泉徴収義務の有無
仮に給与所得とした場合でも、企業に源泉徴収義務を課すことが妥当かが争点となります。
制度設計としての本質的な問題
今回の問題は、単なる税務解釈の対立にとどまりません。
本質的には、
スタートアップ支援政策と税制の整合性
という構造問題を浮き彫りにしています。
ストックオプションは本来、
- リスクを取る人材への報酬
- 企業価値向上へのインセンティブ
として機能するものです。
しかし、行使時課税が前提となれば、
- リスクだけ負って税負担が先行する
- 実質的に制度が機能しない
という状態になります。
これは政策目的と税制が乖離している典型例といえます。
結論
信託型ストックオプションを巡る還付訴訟は、単なる一企業の争いではなく、日本の税制の柔軟性と予見可能性が問われる事案です。
特に重要なのは次の2点です。
- 税務解釈の変更が実務に与える影響の大きさ
- スタートアップ政策との整合性の確保
今後の判決次第では、既存の導入企業だけでなく、日本のスタートアップ環境全体に影響が及ぶ可能性があります。
税制は単なる徴税手段ではなく、経済政策の一部でもあります。
その視点を踏まえた制度設計が、これまで以上に求められています。
参考
・日本経済新聞「信託型ストックオプション、導入企業が税還付訴訟」2026年3月19日朝刊
・国税庁「信託型ストックオプションに関する課税関係の整理」2023年5月公表資料

