生成AIの進化をきっかけに、SaaS企業の株価が急落する場面がみられました。「SaaSの死」という刺激的な言葉も飛び交っています。しかし本当に、SaaSというビジネスモデルそのものが終わるのでしょうか。
本稿では、日米VCの見解を手がかりに、SaaSとAIの関係を構造的に整理します。論点は大きく三つです。
第一に、SaaS成長鈍化の本当の原因。
第二に、AIがもたらす競争構造の変化。
第三に、企業価値評価の転換です。
単なる流行論ではなく、制度設計や企業戦略に接続する視点で考察します。
SaaSの成長はAI以前から鈍化していた
まず確認すべきは、SaaSの成長鈍化はAI登場前から始まっていたという点です。
コロナ禍における在宅勤務の拡大は、法人向けクラウドサービスの導入を急拡大させました。しかし、急成長の反動として市場は飽和局面に入り、成長率は自然に減速します。これは景気循環と同様の現象です。
そこに生成AIという新たな技術が登場しました。AIは既存ソフトの代替可能性を示唆し、市場の不確実性を高めました。
結果として、「成長鈍化」という既存トレンドに「構造転換リスク」という物語が上乗せされ、株価が大きく反応したのです。
重要なのは、問題はAI単独ではなく、
成長期待モデルに依存してきた評価構造そのものにあるという点です。
記録型SaaSから意思決定基盤へ
従来のSaaSの強みは「正確な記録」にありました。
顧客管理、会計処理、人事管理など、業務フローに沿ってデータを蓄積する仕組みです。
しかしAIが進化すると、単なる記録システムは差別化が難しくなります。
競争軸は次の段階に移ります。
- データをどう活用するか
- 意思決定の文脈まで統合できるか
- AIエージェントを動かす基盤になれるか
つまり、SaaSは「保存装置」から「判断装置」へと進化を求められているのです。
これは単なる機能追加ではありません。
組織の知識構造そのものを扱うビジネスへの転換です。
イノベーションのジレンマと大手企業
既存大手企業は難しい立場にあります。
急速にAI対応を進めれば既存顧客との整合性が崩れます。一方で対応が遅れれば競争力を失います。これは典型的なイノベーションのジレンマです。
この構図は、かつてのオンプレミスからクラウドへの移行期にも見られました。
ただ今回は変化の速度が格段に速い点が特徴です。
ここで問われるのは、技術力以上に移行設計力です。
既存顧客を維持しながら、どの段階でAI基盤へ再構築するかという経営判断が価値を分けます。
内製化は広がるのか
AIツールの進化により、「企業が自社でソフトを作る時代が来る」との議論もあります。
しかし実務上は、業務システムには安定稼働、保守対応、セキュリティ管理といった要素が不可欠です。
高度なエンジニアリング体制を持つ企業を除き、全面的な内製化は容易ではありません。
したがって現実的な姿は、
AI企業とSaaS企業の競争と共存です。
AIモデルを提供する企業と、業務データ・顧客接点を持つ企業。
どちらが主導権を握るかが焦点になります。
企業価値評価は「成長」から「持続性」へ
投資家の評価軸も変化しています。
これまでSaaS企業は売上高成長率を中心に評価されてきました。しかし現在は、営業利益やキャッシュフローへの視線が強まっています。
AI時代は技術革新の速度が速く、競争優位の持続性が読みにくい。
そのため、将来期待よりも足元の収益基盤が重視される傾向が強まっています。
これはスタートアップにも波及します。
明確な収益モデルが見えない企業は評価調整を受けやすくなります。
SaaSは「死」ではなく再定義の段階
結論として、SaaSが消えるわけではありません。
むしろ問われているのは、
SaaSとは何かの再定義です。
- 記録型から意思決定基盤へ
- 単体ソフトからエコシステムへ
- 成長物語から持続的収益モデルへ
AIはSaaSを破壊する存在というより、
その設計思想を根本から問い直す存在といえます。
これはテクノロジー業界だけの話ではありません。
企業統治、資本政策、税制設計においても、
無形資産・データ・アルゴリズムの位置づけを再考する局面に入っています。
AI時代の競争は、「技術そのもの」よりも、
構造を設計できる企業が勝つ時代に移りつつあります。
SaaSの死ではなく、SaaSの進化。
市場が揺れる今こそ、冷静な構造理解が求められています。
参考
・日本経済新聞 2026年2月27日夕刊
「SaaS、『AI登場前から成長鈍化』日米VC投資家に聞く」
・各種VCインタビュー発言内容より整理

