令和8年度税制改正では、所得税の基礎控除などについて物価上昇に応じた見直し制度が導入されることになりました。これは、日本の税制において比較的大きな制度的変化といえます。
海外では、所得税の控除額や税率区分を物価に応じて調整する仕組みが広く採用されています。しかし、日本では長い間こうした制度は導入されてきませんでした。
なぜ日本の税制は物価連動制度を採用しなかったのでしょうか。本稿では、日本の税制設計の背景をデフレ時代の経済環境との関係から整理します。
税制の物価連動とは何か
税制の物価連動とは、物価上昇に応じて税制の各種数値を自動的に調整する制度です。
具体的には、次のような項目が対象になります。
・所得税の税率区分
・基礎控除などの控除額
・課税最低限
物価上昇が続くと、名目所得は増加します。税制が物価に連動していない場合、実質所得が変わらなくても税負担が増えることがあります。
この現象は一般に「ブラケット・クリープ」と呼ばれます。
物価連動制度は、この問題を防ぐための制度といえます。
海外では一般的な制度
米国など多くの国では、税制の物価連動制度が採用されています。
米国では、1970年代の高インフレを背景として税制の自動調整制度が導入されました。現在では、次の項目が毎年物価に応じて見直されています。
・所得税の税率区分
・標準控除
・各種控除額
これにより、物価上昇によって実質的な税負担が増えることを防ぐ仕組みが整えられています。
欧州諸国でも、完全な自動調整ではないものの、税制の数値を定期的に見直す仕組みが採用されています。
日本は長く低インフレだった
日本で物価連動制度が導入されなかった最大の理由は、長期間にわたり低インフレまたはデフレが続いたことにあります。
1990年代以降、日本経済は長いデフレの時代を経験しました。物価が上昇しない状況では、税制が物価に連動していないことによる問題は表面化しにくくなります。
むしろ、物価が下落する状況では、税制の数値を固定したままの方が税負担の増加を抑える効果もありました。
このため、日本では税制の物価連動制度の必要性が強く認識されることはありませんでした。
税制改正は政治判断で行うという考え方
もう一つの理由は、日本の税制改正の仕組みにあります。
日本では、税率や控除額などの見直しは原則として毎年の税制改正で決定されます。これは政治判断によって税制を調整するという制度設計です。
この仕組みのもとでは、税制の数値を自動的に調整する制度には慎重な見方もありました。
税制は政策手段の一つであり、景気対策や所得再分配などの目的に応じて柔軟に変更できるようにしておくべきだという考え方です。
その結果、日本の税制では物価連動よりも政治判断による調整が重視されてきました。
物価上昇時代の税制課題
しかし、近年の日本経済は物価上昇の局面に入りつつあります。
賃金が上昇する一方で、税制がそのままであれば、実質的な税負担が増加する可能性があります。
こうした状況の中で、税制の物価連動という考え方が再び議論されるようになりました。
令和8年度税制改正では、基礎控除などについて物価を基準とした見直し制度が導入されています。これは、日本の税制がインフレ時代に対応するための制度的な試みといえます。
附則による制度導入の意味
もっとも、今回の制度は所得税法の本則ではなく附則に盛り込まれています。
附則は、経過措置や今後の政策方針を示すための規定です。このため、今回の制度は厳密な自動調整制度ではなく、政府が定期的に見直しを行うことを基本とする仕組みとなっています。
この点からも、日本の税制が物価連動制度に慎重に取り組んでいる様子がうかがえます。
税制は経済環境とともに変わる
税制は一度決まれば固定される制度ではありません。経済環境の変化に応じて見直されていく制度です。
戦後の高度成長期には、賃金上昇に対応して控除額が引き上げられました。デフレ期には税制の見直しが少なくなり、制度は比較的安定した状態が続きました。
そして現在は、再び物価上昇の時代に入りつつあります。
このような経済環境の変化の中で、税制の物価連動という考え方が日本でも徐々に取り入れられ始めています。
結論
日本の税制が長い間物価連動制度を採用してこなかった背景には、デフレを中心とする経済環境と、政治判断による税制改正という制度設計がありました。
しかし、物価上昇の局面に入った現在、税制と物価の関係を見直す必要性が高まっています。
令和8年度税制改正で導入された基礎控除などの見直し制度は、日本の税制が新しい経済環境に適応していく過程の一つの試みといえるでしょう。
参考
税のしるべ 2026年3月9日
基礎控除等の物価上昇に応じた2年ごとの見直しは税制改正法案の附則
