人手不足が深刻化する中、「働きたい人にはもっと働いてもらえばよい」という議論が強まっています。裁量労働制や高度プロフェッショナル制度の拡充を通じ、労働時間の上限規制を緩和すべきだという主張です。
その背景には、経済成長率の底上げとともに、社会保障財源の確保という切実な問題があります。高齢化が進む日本では、医療費・年金・介護費の増加が続いています。保険料と税収をどう確保するかは、国家的課題です。
では、「たくさん働いてもらう」ことは、社会保障財源の持続可能性を高める有効な処方箋なのでしょうか。本稿では、労働時間自由化と社会保障財源の関係を、構造的に整理します。
社会保障財源の基本構造
日本の社会保障財源は、大きく三つに分かれます。
第一に、社会保険料。
第二に、税(所得税・消費税など)。
第三に、公債。
現役世代が多く働き、賃金総額が増えれば、保険料収入も所得税収も増えます。単純に見れば、労働時間が増えることは財源強化につながります。
しかし問題は、「誰が」「どのように」働くかです。
人口減少社会では、総労働時間の増加が恒常的に続くとは限りません。一部の人が長時間働くことで総額を補う構造が、長期的に持続するのかが問われます。
長時間労働は保険料収入を増やすか
社会保険料は標準報酬月額を基礎に算定されます。報酬が増えれば保険料も増えます。
しかし、一定の上限(標準報酬等級の上限)があるため、高所得層がさらに多く働いても、比例的に保険料が増えるわけではありません。
また、高度プロフェッショナル制度などは、時間外割増賃金の規制を受けません。総労働時間が増えても、賃金総額が必ずしも比例的に増えるとは限らない。
さらに重要なのは、健康リスクです。過重労働は医療費増加や労働離脱のリスクを高めます。短期的な保険料増収が、長期的な医療費増大につながる可能性もあります。
財源強化のつもりが、別の支出増を生む構造がないか、慎重な検証が必要です。
「時間制約格差」と財源の持続性
労働時間の自由化が進むと、時間制約のない人がより多く稼ぎ、保険料や税を多く負担する構造になります。
一見すると合理的ですが、ここに構造的な問題があります。
時間制約のある人(育児・介護・健康上の理由など)がキャリア形成で不利になれば、生涯賃金が低下し、将来的な保険料拠出額も減ります。
社会保障は世代間・世代内の再分配制度です。特定層に依存する拠出構造は、人口動態の変化に弱い。
日本の将来推計では、高齢化率は今後も上昇し、支える側の人口は減少します。一部の高所得・長時間労働層に財源を依存するモデルは、構造的に脆弱です。
持続可能性を高めるには、より多くの人が安定的に参加できる労働市場の設計が不可欠です。
少子化との財政的接続
社会保障財源の持続性は、次世代の規模に大きく依存します。
出生数が減少すれば、将来の保険料拠出者は減ります。これは制度の前提を揺るがします。
もし「制約のない働き方が圧倒的に有利」というメッセージが強まれば、結婚や出産が経済合理性の観点から回避されやすくなる可能性があります。
短期的な労働時間増加が、長期的な人口減少を加速させるなら、財源問題はむしろ深刻化します。
財政の議論は、単年度収支ではなく、世代をまたぐ時間軸で考える必要があります。
生産性向上という別の選択肢
社会保障財源の確保には、労働時間の総量拡大以外の選択肢もあります。
それが、生産性向上です。
限られた時間で高い付加価値を生み出す構造へ移行すれば、賃金総額は時間増加に頼らず拡大できます。デジタル化、業務標準化、AI活用などはその具体例です。
時間投入型モデルから付加価値創造型モデルへ。
この転換は、長時間労働の容認よりも持続的な財源強化に資する可能性があります。
労働時間自由化は一つの選択肢ですが、それが主軸になるべきかどうかは別問題です。
結論
労働時間自由化は、短期的には労働供給を増やし、保険料・税収の増加につながる可能性があります。しかし、標準報酬上限の存在、健康リスク、時間制約格差、少子化との関係などを考えると、単純な財源対策とは言えません。
社会保障財源の持続可能性は、「誰かがたくさん働く」ことよりも、「より多くの人が無理なく参加できる」労働市場設計に依存します。
人口減少社会において重要なのは、労働時間の総量拡大ではなく、参加率と生産性の向上です。
「もっと働く」は解決策の一部にはなり得ますが、主軸に据えるべき戦略かどうかは、長期的な人口動態と制度設計を踏まえて慎重に検討する必要があります。
参考
日本経済新聞
門間一夫「働きたい人は働く」でよいのか
2026年2月27日 朝刊 エコノミスト360°視点
