医療技術の進歩は、α世代が生きる世界を大きく変えつつあります。
遺伝子医療、再生医療、人工臓器、AI診断などの技術は、かつては研究段階にとどまっていましたが、現在では現実の医療現場に入り始めています。寿命を延ばすこと、病気を治すことが、これまで以上に現実的な選択肢となっています。
一方で、こうした技術の進歩は「どこまで生きたいのか」「命とは何か」という根源的な問いを社会に突きつけます。
α世代は、長寿が当たり前になる可能性と、同時に不老不死という概念が現実味を帯びる時代を生きる最初の世代です。本稿では、長寿・医療・不老不死というテーマを通じて、α世代が引き受ける世界の変化を整理します。
長寿を望むという感覚
調査を見ると、α世代の多くは長寿を肯定的に捉えています。
平均寿命を大きく超えて生きたいと考える若者は少なくなく、100歳を超える人生も特別なものではなくなりつつあります。医療技術が進めば、長く生きられるのは自然なことだという感覚が背景にあります。
この長寿志向は、「死への恐怖」だけが動機ではありません。
より多くの時間を使って学び、経験し、世界の変化を見届けたいという欲求が含まれています。時間が増えることで、人生の選択肢が広がるという感覚は、α世代にとって直感的なものです。
不老不死への慎重さ
一方で、長寿と不老不死は同一視されていません。
不老不死に対しては、期待と同時に強い慎重さが見られます。医療が進歩しても、老いが完全になくなる世界を無条件に歓迎する声は多くありません。
理由の一つは、「取り残される不安」です。
自分だけが長く生き続けることで、周囲との関係が断絶されるのではないか、社会が変化する中で孤立してしまうのではないかという懸念があります。長寿は望むが、永遠の生には躊躇があるという感覚は、非常に現実的です。
技術が命の境界を曖昧にする
医療技術の進歩は、命の定義そのものを揺さぶります。
人工心臓や人工臓器、身体機能を補完する装置が普及すれば、人間と機械の境界は次第に曖昧になります。生きているとはどういう状態なのか、どこまでが医療で、どこからが拡張なのかといった問いが現実の問題になります。
α世代は、こうした技術を恐怖の対象としてではなく、選択肢の一つとして捉えています。
身体を補う技術があるなら使うのは自然だという感覚があり、そこに倫理的な葛藤が全くないわけではありませんが、拒絶反応も比較的少ない傾向があります。
医療格差という新たな課題
医療技術が進歩するほど、別の問題も浮かび上がります。それが医療格差です。
高度な医療を受けられる人と、そうでない人の差が拡大すれば、寿命そのものが不平等になります。長く健康に生きられるかどうかが、経済力や居住地によって左右される社会は、新たな分断を生みます。
α世代は、この点に対しても比較的敏感です。
技術が一部の人だけのものになることへの違和感があり、医療は公共性の高い分野であるという意識が強く残っています。医療の進歩は歓迎するが、独占や排除には慎重であるという姿勢が見られます。
長寿社会と制度の限界
長寿が当たり前になると、社会制度への影響は避けられません。
年金、医療保険、介護といった制度は、一定の寿命を前提に設計されています。寿命が大きく伸びれば、制度の持続可能性は根本から問い直されます。
α世代は、こうした制度の問題を「将来の誰かの課題」としてではなく、自分たちの問題として引き受けることになります。
長く生きることができる社会をどう支えるのか。その設計は、技術だけでなく、政治や財政、価値観の調整を伴います。
命をどう生きるかという問い
最終的に残るのは、「どれだけ生きるか」ではなく、「どう生きるか」という問いです。
寿命が延びても、孤立や不安が増える社会であれば、必ずしも豊かだとはいえません。α世代は、医療技術の進歩と同時に、人生の質にも強い関心を持っています。
これは、長寿を否定する態度ではありません。
むしろ、長く生きられるからこそ、その時間をどう使うのかを真剣に考えようとする姿勢だといえます。
結論
α世代は、長寿と医療技術の進歩を前提とした世界を引き受ける世代です。
不老不死のような極端な未来像に飛びつくのではなく、期待と不安の両方を抱えながら、現実的な選択を模索しています。
命の定義が揺らぐ時代において、技術をどう使い、社会としてどう支えるのか。
その問いに向き合い続けること自体が、α世代が生きる世界の特徴だといえるでしょう。
次回は、こうした技術や価値観の変化を背景に、国家や企業がα世代をどのように見ているのかを取り上げます。
参考
・日本経済新聞「α-20億人の未来」特集
・日本経済新聞「自由な世界、自ら描く α世代1123人の声」
という事で、今回は以上とさせていただきます。
次回以降も、よろしくお願いします。
