労働時間規制の見直しを巡る議論は、企業の生産性や人手不足対策として語られることが多くあります。しかし、労働時間を考える際に見落とされがちなのが、税や社会保障制度との関係です。
実際には、どれだけ働ける能力や意欲があっても、制度上の制約によって労働時間を抑える選択をせざるを得ない人は少なくありません。
本稿では、労働時間規制と密接に関わる社会保障制度、特に年金、社会保険、在職老齢年金の仕組みに焦点を当て、「長く働く時代」に制度が適応できているのかを整理します。
労働時間と社会保障は切り離せない
労働時間は、単なる労務管理の問題ではありません。
働く時間が増えれば賃金が増え、税や社会保険料の負担が増加します。一方で、一定の基準を超えると、年金給付が減額されたり、扶養から外れたりする仕組みが存在します。
このため、労働時間規制を緩和して「働ける環境」を整えたとしても、社会保障制度がその動きを阻害すれば、実際の労働供給は思うように増えません。
高齢者就労を巡る在職老齢年金の影響
高齢者の就労を考えるうえで重要なのが、在職老齢年金の仕組みです。
在職老齢年金は、一定以上の賃金を得ながら年金を受給する場合に、年金の一部または全部を減額する制度です。目的は、現役世代との公平性や制度の持続性を確保することにあります。
しかし、実務の現場では「働くと年金が減る」という認識が先行し、就労意欲を抑制する要因となってきました。近年、見直しが進められていますが、完全に影響が解消されたとは言えません。
社会保険加入要件が生む「時間の壁」
高齢者やパート層に限らず、社会保険の加入要件も労働時間に大きな影響を与えています。
一定の労働時間や賃金を超えると、厚生年金や健康保険への加入が義務付けられ、保険料負担が発生します。この結果、手取りが減少するケースも少なくありません。
この構造は、働く側にとって「これ以上働かない方が合理的」という判断を生みやすく、労働時間の調整行動を誘発します。
労働時間規制緩和だけでは解決しない理由
労働時間規制の緩和は、制度上の上限を引き上げることで「働ける余地」を広げる施策です。しかし、それだけでは十分とは言えません。
社会保障制度が現行のままであれば、働く側の行動は依然として抑制されます。特に高齢者にとっては、年金減額や保険料負担の増加が見える形で存在するため、労働時間を増やすインセンティブは限定的です。
制度が整合していなければ、労働時間規制の見直しは実効性を持ちにくいと言えるでしょう。
「長く働く」を前提とした制度設計へ
日本では、65歳以上の就労が珍しいものではなくなりました。今後は、70歳、さらにはそれ以上の年齢でも働くことが前提となる社会に向かっています。
この流れの中では、「いつまで働くか」ではなく、「どのように働き続けるか」が重要になります。
年金や社会保険は、引退を前提とした制度設計から、就労と受給が重なる期間を自然なものとして捉える方向へと転換する必要があります。
労働時間規制と社会保障改革の同時進行が不可欠
労働時間規制を巡る議論は、企業側と労働者側の対立構造として語られがちです。しかし、実際には社会保障制度を含めた全体設計の問題です。
労働時間を柔軟にしつつ、働くことで不利にならない制度を整えなければ、就労意欲の底上げにはつながりません。
年金制度の調整、社会保険の負担構造の見直し、そして労働時間規制の在り方は、一体として議論される段階に来ています。
結論
労働時間規制の見直しは、単独で効果を発揮する施策ではありません。
年金、社会保険、在職老齢年金といった社会保障制度が、長く働く時代に適合して初めて、労働時間の柔軟化は意味を持ちます。
賃上げ、AI活用、年収の壁に続き、社会保障改革は働き方再設計の中核となるテーマです。日本社会は今、制度全体の整合性が問われる局面に差しかかっていると言えるでしょう。
参考
・日本経済新聞「労働力、初の7000万人視野 女性・高齢者・パート勤務増加」
・日本経済新聞「労働時間規制 残業上限、原則は月45時間」
・日本経済新聞「高齢者就労と在職老齢年金の見直しに関する報道」
という事で、今回は以上とさせていただきます。
次回以降も、よろしくお願いします。
