日本政府は近年、「スタートアップ育成」を国家戦略として強く打ち出しています。
岸田政権時代に始まった「スタートアップ育成5か年計画」では、
- 投資額10兆円規模への拡大
- ユニコーン企業創出
- 大学発ベンチャー支援
- 人材流動化
- ストックオプション改革
などが掲げられました。
一方で、創業者利益への追加課税である「ミニマムタックス」の強化が進み、スタートアップ業界からは強い反発が起きています。
政府は「起業を増やしたい」と言いながら、成功時の税負担を強化しているようにも見えます。
これは本当に矛盾なのでしょうか。
日本政府はなぜスタートアップを重視し始めたのか
背景には、日本経済の構造問題があります。
長年、日本では、
- 大企業中心経済
- 終身雇用
- 銀行融資型経済
- 低い新陳代謝
が続いてきました。
しかし近年は、
- 人口減少
- 労働力不足
- デジタル競争力低下
- 国際競争力低下
- イノベーション不足
が深刻化しています。
特に米国では、
- GAFA
- NVIDIA
- OpenAI
- Tesla
など、新興企業が国家経済を牽引しています。
対して日本では、新興巨大企業がほとんど生まれていません。
そのため政府は、
「新しい産業を作る主体としてスタートアップを増やす」
方向へ政策転換を進めています。
しかし税制は「公平性」を重視している
一方、税制側では別の論理が働いています。
それが「1億円の壁」問題です。
日本では給与所得中心の人よりも、
- 株式譲渡益
- 配当
- 不動産売却益
など分離課税所得の割合が大きい高額所得者の方が、実効税率が低下しやすい構造があります。
このため、
「超高額所得者にも一定以上の負担を求めるべきだ」
という公平性論が強まりました。
ミニマムタックスは、まさにその流れで導入されています。
つまり、
- 経産政策 → 「起業を増やしたい」
- 税制政策 → 「高額所得への負担を強化したい」
という異なる政策目的が並行して存在しているのです。
なぜ「創業者利益」が難しいのか
問題を複雑にしているのは、創業者利益が単純な投資利益ではない点です。
例えば上場株を短期売買して得た利益と、
- 10年以上経営を続け
- 倒産リスクを負い
- 雇用を生み
- 赤字を耐え
- ようやくM&AやIPOに至った創業者利益
を同じ「金融所得」として扱ってよいのかという論点があります。
スタートアップ側は、
「創業者利益は単なる資産運用益ではなく、事業創造への報酬だ」
と主張します。
一方で税制側は、
「所得の種類によって負担率が大きく違うのは不公平」
という立場です。
つまり、
- 成長促進
- 公平性確保
という二つの政策理念が衝突しているのです。
なぜ海外との競争で問題化するのか
この問題がより深刻なのは、起業家が国境を越えて移動できる時代になっているためです。
特にスタートアップ経営者は、
- リモート経営
- 海外法人設立
- 海外VC調達
- 国際M&A
が可能です。
しかも各国は起業家誘致競争を進めています。
シンガポール
- キャピタルゲイン課税なし
- 法人税低水準
- 英語圏
- アジア金融拠点
米国
- QSBS制度
- 巨大VC市場
- NASDAQ
- M&A市場の厚み
UAE・ドバイ
- 所得税ゼロ
- 富裕層誘致
- Web3・暗号資産優遇
こうした中で、日本だけが課税強化を進めれば、
「成功後に海外へ出る」
インセンティブが高まりやすくなります。
これは単なる税収問題ではなく、
- 人材流出
- 本社流出
- 技術流出
- 将来税収流出
につながる可能性があります。
「IPO推進」と「課税強化」のズレ
現在、日本ではIPO環境も変化しています。
東証グロース市場改革によって、
- 小型上場
- 未成熟上場
- 上場ゴール問題
への批判が強まりました。
その結果、
「IPOだけでなくM&Aも重要」
という方向へ政策転換が進んでいます。
しかしM&Aでは創業株式を一括売却することが多く、ミニマムタックスの影響を受けやすくなります。
つまり、
- IPOは厳格化
- M&Aを推進
- M&A利益への課税強化
という流れが同時進行しています。
これは起業家側から見ると、
「出口だけ厳しくなっている」
ようにも映ります。
日本は何を優先するのか
本質的には、日本社会が何を重視するかという問題です。
公平性重視
- 高額所得者への負担強化
- 格差是正
- 税収確保
成長重視
- 起業促進
- リスクテイク促進
- 国際競争力強化
本来は両立が理想ですが、制度設計次第では衝突します。
特に日本では、
- 社会保険負担増
- 個人課税強化
- 相続課税強化
- 富裕層監視強化
なども進んでおり、「成功への期待値」が下がりやすい環境になっています。
本当に必要なのは「メリハリ」かもしれない
重要なのは、一律課税か全面優遇かという二択ではない可能性があります。
例えば海外では、
- 長期保有優遇
- 再投資減税
- 創業者株式特例
- 雇用創出条件
- 国内投資条件
などを組み合わせています。
つまり、
「単なる資産保有」ではなく、
- 起業
- 雇用
- 技術開発
- 再投資
を伴う資本には一定の優遇を与えるという考え方です。
日本でも今後は、
「どの資本を優遇するのか」
という選別型税制が議論される可能性があります。
結論
日本政府は現在、
- スタートアップ育成
- 高額所得者課税強化
という二つの政策を同時に進めています。
しかし創業者利益は、
- 金融所得
- 労働所得
- 起業リスク報酬
の性格が混在しているため、単純な「富裕層課税」として整理しにくい特徴があります。
特に国際的な起業家移動が進む時代では、
「どこで起業するか」
そのものが国家間競争になっています。
今後の日本には、
- 公平性
- 成長戦略
- 国際競争力
- 税収確保
をどう両立するかという、極めて難しい政策設計が求められていると言えそうです。
参考
・日本経済新聞 2026年5月17日朝刊「創業者利益に課税、来年強化 『国内起業意欲そぐ』9割」
・経済産業省「スタートアップ育成5か年計画」
・金融庁「資産所得倍増プラン」関連資料
・日本ベンチャーキャピタル協会(JVCA)調査資料
・国税庁 所得税・金融所得課税関連資料